まりっぺのお気楽読書

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ポーランド公ヘンリク4世妃 マティルダ

2014-07-13 20:57:02 | ポーランド王妃
略奪婚?妄想が膨らむ妃
ヘンリク4世妃 マティルダ・ブランデンブルシュカ


1270~1298/在位 1288~1290

モヤモヤを残しつつ表舞台から去っていったコンスタンツィアと離婚後か死別後に
ヘンリク4世が再婚したのは、ブランデンブルグ=ザルツヴェーデル辺境伯オットー5世の娘
マティルダです。
         
同じくオットー5世の娘でマティルダの姉あたるベアトリクスが
マティルダに先立ってピアスト家のシュフィドニツァ公ボルコ1世に嫁いでいます。
このことがマティルダの縁談を大きく後押ししました… ってことなんですけど
一説によれば、ヘンリクとマティルダは結婚前から関係があったということです。

ボルコ1世とベアトリクスは1284年に結婚しています。
マティルダがその時にポーランドを訪ねたとして、ヘンリク4世の目にとまっちゃったとして
誘惑に負けちゃって… どんどん想像が膨らんじゃうわ…

ヘンリク4世とコンスタンツィアが離婚した年ははっきりしていませんが
もし、1284年以降だとすると略奪婚の可能性は大きいですね。

姉も嫁いでいるぐらいですから両家の政治的な思惑は十分あったでしょうけど
正妻を陥れて離婚させ王妃の座に座るなんて、悪女伝説にもってこいですよね。
特にコンスタンツィアが、語りつがれているように惜しまれて亡くなったとすると
悪役にもってこいのキャラクターですけど… 肖像画はそう見えませんね。

1290年にヘンリク4世が突然亡くなりました。
これは毒殺らしいです。

マティルダは結婚後2年ほどで未亡人になり、故郷に帰りました。
まだ20歳前後の若さだったと思うのですが再婚した形跡はなく、1298年に亡くなりました。

悪女としてでもいいから、何かエピソードが残っているとよいんですけどね。
本人はイヤかもしれないけど…


幸福でなによりです
プシェミスゥ2世妃 リクサ・シュヴェシュカ


1273~1293年/在位 (王妃)在位せず (公妃)1290~1293

ヘンリク4世の遺言により最高公の座を継承したプシェミスゥ2世は3回結婚しています。
一人目の妃は、メクレンブルク家のリュドガルダで、1273年に結婚しました。
しかし10年後リュドガルダは急死しまして、これはプシェミスゥの仕業という説もあります。
ずっとお子様ができなかったのね…

その2年後の1285年にスウェーデン王ヴァルデマーの王女リクサと再婚しました。
           
なーんのエピソードも残っていないのですが、言い伝えでは幸せな結婚生活だったそうです。

没年は不明ですが、1293年にプウシェミスゥがリクサの碑文を発注したそうなので
そのあたりではないかと言われています。
ボズナンの大聖堂に葬られました。
墓所だけでもわかっていてよかったですね。

プシェミスゥ2世は久々にポーランド王の座についた君主ですが
即位が1295年なのでリクサは即位していません。

リクサはプシェミスゥ2世に唯一の子供、リクサ・エルジェビエタを残しています。
エルジェビエタは、ボヘミア王ヴァーツラフ2世に嫁いだ後未亡人になり
同じくボヘミア王のルドルフ1世と再婚するんですけど、このボヘミア王二人は
プシェミスル家とハプスブルク家と、家系が違う王様です。
エルジェビエタも中世らしい複雑な人生を歩んだ王妃と言えそうですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
今さら…なのですが、この前私が働いている商業施設にVIXXがイベントで来てて、なんと!スタッフ通路で2回も遭遇
キレイな顔でした~やっぱり。 あまり詳しく知らないのですが、親近感がわいたのでまずは名前から覚えようっと

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