
好色王を支えたベストパートナー
ハインリヒ4世妃 ベルタ・フォン・サヴォイエン
1051~1087/在位 1084~1087
幼くして王になり、貴族諸候たちにいいように使われちゃったハインリヒ4世の妃は
サヴォイ公オードの公女ベルタでした。
ベルタは4歳の時に5歳のハインリヒと婚約し、15歳で結婚しました。
ハインリヒは教皇が支配するイタリアにも皇帝の力を及ぼそうとしていて
度々ぶつかってましたので、イタリアの有力な家系を味方につけたかったのかもしれません。

ベルタは最初からハインリヒに夢中でしたが、ハインリヒは違いました。
ベルタは可愛らしい少女だったということですが、ハインリヒは新妻を嫌悪していて
頻繁に浮気を繰り返していました。
でもね、これはベルタが嫌いっていうことだけではないと思います。
根っからの女好きっていうのかしら?
ひとりの女性で満足することができなくて、常に複数の愛妾を抱えていたらしいよ。
しかも「あそこに美しい女性がいる」と聞けば、人妻だろうがなんだろうが
無理矢理宮廷に来させたらしいです
本当にいたんだね、そういう王様。
ハインリヒ4世は、ベルタをないがしろにするだけでは飽き足らず
結婚から2年で離婚の手続きに入りました。
でも議会はハインリヒを相手にせず、直訴した教皇からも却下され
離婚は成立しませんでした。
ところがこれがハインリヒにとってはすごくラッキーなことでした
王権の再建をめざすハインリヒを嫌って陥れようとする貴族たち、
教皇の権力を確立しようとハインリヒを追いつめる教皇グレゴリウス7世、
誰からも理解を得られないハインリヒの唯一の理解者がベルタだったからです。
ここからふたりの二人三脚が始まります。
ふたりはやっと信頼し合える夫婦になりました。
世に言う “ カノッサの屈辱 ” でハインリヒが危険を冒してカノッサに出向いた時も
ベルタは同行しています。
凍てつく寒さの中、教皇に会うために夫とふたりで城壁の前に4日間立ち続けました。
1084年、破門を解かれたハインリヒは晴れて神聖ローマ皇帝に即位しました。
しかしハインリヒを助け、供に歩んで来たベルタはその3年後にマインツで亡くなりました。
最初の2年はつらかったかもしれないが、その後解り合えてよかったよぉ
耐えた甲斐があったというものです。
女と見りゃあ見境のない男を愛し続けるってものすごく我慢強いですよね。
けれどもハインリヒ4世の治世が安泰だったら、浮気の虫もおさまらず
ふたりの仲もどうなっていたかはわかりませんね。
窮地になるほど愛は深まるという教えの実例といえましょう。
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
ハインリヒ4世妃 ベルタ・フォン・サヴォイエン
1051~1087/在位 1084~1087
幼くして王になり、貴族諸候たちにいいように使われちゃったハインリヒ4世の妃は
サヴォイ公オードの公女ベルタでした。
ベルタは4歳の時に5歳のハインリヒと婚約し、15歳で結婚しました。
ハインリヒは教皇が支配するイタリアにも皇帝の力を及ぼそうとしていて
度々ぶつかってましたので、イタリアの有力な家系を味方につけたかったのかもしれません。

ベルタは最初からハインリヒに夢中でしたが、ハインリヒは違いました。
ベルタは可愛らしい少女だったということですが、ハインリヒは新妻を嫌悪していて
頻繁に浮気を繰り返していました。
でもね、これはベルタが嫌いっていうことだけではないと思います。
根っからの女好きっていうのかしら?
ひとりの女性で満足することができなくて、常に複数の愛妾を抱えていたらしいよ。
しかも「あそこに美しい女性がいる」と聞けば、人妻だろうがなんだろうが
無理矢理宮廷に来させたらしいです

本当にいたんだね、そういう王様。
ハインリヒ4世は、ベルタをないがしろにするだけでは飽き足らず
結婚から2年で離婚の手続きに入りました。
でも議会はハインリヒを相手にせず、直訴した教皇からも却下され
離婚は成立しませんでした。
ところがこれがハインリヒにとってはすごくラッキーなことでした

王権の再建をめざすハインリヒを嫌って陥れようとする貴族たち、
教皇の権力を確立しようとハインリヒを追いつめる教皇グレゴリウス7世、
誰からも理解を得られないハインリヒの唯一の理解者がベルタだったからです。
ここからふたりの二人三脚が始まります。
ふたりはやっと信頼し合える夫婦になりました。
世に言う “ カノッサの屈辱 ” でハインリヒが危険を冒してカノッサに出向いた時も
ベルタは同行しています。
凍てつく寒さの中、教皇に会うために夫とふたりで城壁の前に4日間立ち続けました。
1084年、破門を解かれたハインリヒは晴れて神聖ローマ皇帝に即位しました。
しかしハインリヒを助け、供に歩んで来たベルタはその3年後にマインツで亡くなりました。
最初の2年はつらかったかもしれないが、その後解り合えてよかったよぉ

耐えた甲斐があったというものです。
女と見りゃあ見境のない男を愛し続けるってものすごく我慢強いですよね。
けれどもハインリヒ4世の治世が安泰だったら、浮気の虫もおさまらず
ふたりの仲もどうなっていたかはわかりませんね。
窮地になるほど愛は深まるという教えの実例といえましょう。
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)