![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/62/c7761d71c6c5c0d837a081fe4d1c9bdd.jpg)
またの名を “ ベルトランの娘 ”
アフォンソ5世妃 ジョアナ・デ・トラスタマラ
1462~1530/在位 1475~1479
ファナ(ジョアナ)の母親はポルトガル王ドゥアルテとレオノール・デ・アラゴンの
王女ジョアナで、父親はカスティーリャ王エンリケ4世ということになっていますが
スペインでは “ ファナ・ベルトラネーハ(ベルトランの娘)” と呼ばれていました。
ベルトランとは母と噂のあったアルブルケルケ伯のことです。
母ジョアナは司教フォンセカの城へ追放にされた上に
フォンセカの甥と愛し合っちゃって、1468年に結婚を取り消されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a5/d86fd114d4d618a99db6e71a4392471d.jpg)
エンリケ4世はイサベル1世の異母兄にあたります。
異母妹弟を恐れたエンリケは早々にファナを後継者に指名して
カスティーリャ王位を要求するアフォンソ5世と結婚させることにします。
アフォンソは1455年に王妃イサベル・デ・アヴィシュを亡くしていました。
しかしその後、両親の結婚が無効になったためにファナの継承権は剥奪され
アフォンソとの結婚は立ち消えになります。
アフォンソ5世は、新たに継承者になったイサベル(後の1世)と結婚しようとしたのですが
イサベルはムチャクチャ嫌がり、速攻でフェルナンド2世と結婚しちゃったわけです。
ファナは8歳の時にギュイエンヌ公と結婚して、再び王位継承社者に指名されますが
2年で夫が亡なります。 10歳で未亡人…
結局エンリケ4世の後はイサベルが継ぎました。
しかし貴族の中にはファナやアフォンソ5世を推す一派もあって
“ ポルトガル王位奪還! ” を目指すふたりは結婚することになります。
アフォンソ5世は約束通りカスティーリャに侵攻したわけですけど
戦いにはアラゴンも加わって長引きます。
4年後、教皇シクストゥス4世から「親戚だから」と
ファナとの結婚の無効を宣言されたアフォンソ5世も疲れ果てて
カスティーリャ&アラゴンと同盟を結び、ファナが女王になる道は絶たれました。
女王イサベルは、自分の王子と結婚するか、サンタ・クララ修道院に入るか
どちらか選ぶようファナに言い、ファナが修道院を選ぶと
「その選択は正しい」と褒め讃え、お別れ会まで開いてくれました。
それに、ずっと幽閉する気もなく3年後にはサン・ジョルジュ城で暮らす許可を与えます。
すっかり王位に欲が無くなったように見えたファナ、
子供の頃からの政争に疲れ果て「もうこりごり…」と感じているかと思いきや
どうやら手紙には死ぬまで “ 女王 ” と署名していたそうですよ。
イサベルが亡くなった時も
「わたくしの継承権は放棄し、王女ファナに譲る」とのたまいました。
でも、女王ファナはすでに即位していたんだけどね…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp17.gif)
(参考文献 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』 Wikipedia英語版)
アフォンソ5世妃 ジョアナ・デ・トラスタマラ
1462~1530/在位 1475~1479
ファナ(ジョアナ)の母親はポルトガル王ドゥアルテとレオノール・デ・アラゴンの
王女ジョアナで、父親はカスティーリャ王エンリケ4世ということになっていますが
スペインでは “ ファナ・ベルトラネーハ(ベルトランの娘)” と呼ばれていました。
ベルトランとは母と噂のあったアルブルケルケ伯のことです。
母ジョアナは司教フォンセカの城へ追放にされた上に
フォンセカの甥と愛し合っちゃって、1468年に結婚を取り消されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a5/d86fd114d4d618a99db6e71a4392471d.jpg)
エンリケ4世はイサベル1世の異母兄にあたります。
異母妹弟を恐れたエンリケは早々にファナを後継者に指名して
カスティーリャ王位を要求するアフォンソ5世と結婚させることにします。
アフォンソは1455年に王妃イサベル・デ・アヴィシュを亡くしていました。
しかしその後、両親の結婚が無効になったためにファナの継承権は剥奪され
アフォンソとの結婚は立ち消えになります。
アフォンソ5世は、新たに継承者になったイサベル(後の1世)と結婚しようとしたのですが
イサベルはムチャクチャ嫌がり、速攻でフェルナンド2世と結婚しちゃったわけです。
ファナは8歳の時にギュイエンヌ公と結婚して、再び王位継承社者に指名されますが
2年で夫が亡なります。 10歳で未亡人…
結局エンリケ4世の後はイサベルが継ぎました。
しかし貴族の中にはファナやアフォンソ5世を推す一派もあって
“ ポルトガル王位奪還! ” を目指すふたりは結婚することになります。
アフォンソ5世は約束通りカスティーリャに侵攻したわけですけど
戦いにはアラゴンも加わって長引きます。
4年後、教皇シクストゥス4世から「親戚だから」と
ファナとの結婚の無効を宣言されたアフォンソ5世も疲れ果てて
カスティーリャ&アラゴンと同盟を結び、ファナが女王になる道は絶たれました。
女王イサベルは、自分の王子と結婚するか、サンタ・クララ修道院に入るか
どちらか選ぶようファナに言い、ファナが修道院を選ぶと
「その選択は正しい」と褒め讃え、お別れ会まで開いてくれました。
それに、ずっと幽閉する気もなく3年後にはサン・ジョルジュ城で暮らす許可を与えます。
すっかり王位に欲が無くなったように見えたファナ、
子供の頃からの政争に疲れ果て「もうこりごり…」と感じているかと思いきや
どうやら手紙には死ぬまで “ 女王 ” と署名していたそうですよ。
イサベルが亡くなった時も
「わたくしの継承権は放棄し、王女ファナに譲る」とのたまいました。
でも、女王ファナはすでに即位していたんだけどね…
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(参考文献 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
福本秀子氏『ヨーロッパ中世を変えた女たち』 Wikipedia英語版)