![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/48/c584141c67f59d367604895393813063.jpg)
悲劇のハネムーンとその後
イサベル2世王女 イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン
ジルジェンティ伯ガエターノ妃
1851〜1931
今回、ちょいと長いです。
イサベルはイサベル2世の長女です。
長男のフェルナンドは生まれてすぐ亡くなりました。
父親のカディス公は、子供たちに冷たく、よそよそしかったようです。
(ウワサどおりホモセクシャルで不能だったとしたら、自分の子じゃないんだもんね)
母親のイサベル2世も目まぐるしい統治と私生活に追われて
子供たちにかまわないことがよくありました。
イサベル2世は、長女イサベルに目をかけていたみたいで、多くの教育を施されました。
特に語学には力が入っていたみたいです。 どこにお嫁にいくかわからないものね。
イサベル自身は音楽と馬術が好きでした。
政治的理由から、両親の従弟にあたるガエターノとの結婚が持ち上がります。
ガエターノがスペインに到着すると、急ピッチで話が進められ数週間後に結婚しました。
イサベルは17歳、ガエターノは22歳でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/82/5b8f82717e3fe52a101bd6a2b909fd12.jpg)
ガエターノは、背が高く(お写真によるとハンサムで)心優しい人でした。
一方、イサベルは背が低く、従順でしたが保守的で頑固な性格でした。
似合いそう…っちゃあ似合いそうな二人ですね。
しかし、王家を守っていかなきゃいけない激動の時期に、なんで彼を選んだのかと思うんだが
ガエターノはからだが弱く、あまり知的ではなく、心も病んでいました。
家柄だけでよかったんですかね?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e4/8c0b1bdc14f81777fa54a140bdab2459.jpg)
お写真があるのでのせときます
結婚後、二人は、ローマやウィーン、フランスなどを巡る旅に出ます。
一応ハネムーンなんだけど、ガエターノの療養先を探すのがねらいでした。
なかなか見つからなかったんでしょうか? 旅は2年に及びます。
二人はスイスに落ち着くように思えましたが、ガエターノはそこで頭を射って自殺…
結婚生活は3年で終わりを告げました。
一生懸命尽した挙げ句に自ら命を絶たれてしまうなんて
女性にとっては大きな心の傷になりそうですね。
20歳の若い未亡人イサベルは喪に服すと、イサベル2世が亡命しているパリに戻り
弟や妹に勉強を教えたり、独りで暮らしている父親を訪ねたりして静かに暮らしました。
心に傷を負ったままイサベルのストーリーは終わってしまうのか… と思っていたら
1875年、イサベルの人生の第二幕が始まります。
弟のアルフォンソ12世が、スペイン共和国王として呼び戻されました。
未婚だったアルフォンソ12世は、ファーストレディとしてイサベルを選び
1ヶ月後にイサベルもスペインに戻ることになりました。
頼もしいお姉ちゃんに側にいてほしかったのかしら?
スペインでは、イサベルを再婚させようとして、バイエルン家か
ハプスブルク=ロートリンゲン家のどちらか… と縁談を進めていました。
イサベルが嫌がったのか二つの縁談は失敗し、イサベルは、妹の教育や
弟の妃メルセデスの世話にうちこみました。
メルセデスが亡くなった後、マリア・クリスティネをプッシュしたのもイサベルでした。
アルフォンソ12世の死後は、摂政になったマリア・クリスティネをサポートして
甥や姪から “ 第二のお母さま ” と慕われました。
イサベルは、アルフォンソ12世時代、甥のアルフォンソ13世時代で
宮廷でもっとも一目置かれる存在で、アルフォンソ13世失脚後は
共和国から国にとどまってほしいと懇願されましたが、これを拒否します。
イサベルは、宝石のほとんどを甥のアルフォンソ13世に譲り渡し亡命します。
そして、パリ到着後数日で亡くなりました。
意志が固い人だったみたいですね。
3年間だけ連れ添った夫を失った後は、まるで家族と国のためだけに生きてたみたい。
もしかしたら、もう再婚したくないほど辛い3年間だったのかもしれないけど
ロマンティックじゃないので、亡き夫への愛ゆえに… ということにしちゃいましょう。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ひとことごあいさつコーナー
遅蒔きながら、あけましておめでとうございます
今年の年明けは、やっと当たった東急ジルベスターコンサートのダッタン人の踊りで華々しくむかえました!うふふ
良い年になるといいなぁ… 良い年にしたいなぁ…
イサベル2世王女 イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン
ジルジェンティ伯ガエターノ妃
1851〜1931
今回、ちょいと長いです。
イサベルはイサベル2世の長女です。
長男のフェルナンドは生まれてすぐ亡くなりました。
父親のカディス公は、子供たちに冷たく、よそよそしかったようです。
(ウワサどおりホモセクシャルで不能だったとしたら、自分の子じゃないんだもんね)
母親のイサベル2世も目まぐるしい統治と私生活に追われて
子供たちにかまわないことがよくありました。
イサベル2世は、長女イサベルに目をかけていたみたいで、多くの教育を施されました。
特に語学には力が入っていたみたいです。 どこにお嫁にいくかわからないものね。
イサベル自身は音楽と馬術が好きでした。
政治的理由から、両親の従弟にあたるガエターノとの結婚が持ち上がります。
ガエターノがスペインに到着すると、急ピッチで話が進められ数週間後に結婚しました。
イサベルは17歳、ガエターノは22歳でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/82/5b8f82717e3fe52a101bd6a2b909fd12.jpg)
ガエターノは、背が高く(お写真によるとハンサムで)心優しい人でした。
一方、イサベルは背が低く、従順でしたが保守的で頑固な性格でした。
似合いそう…っちゃあ似合いそうな二人ですね。
しかし、王家を守っていかなきゃいけない激動の時期に、なんで彼を選んだのかと思うんだが
ガエターノはからだが弱く、あまり知的ではなく、心も病んでいました。
家柄だけでよかったんですかね?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e4/8c0b1bdc14f81777fa54a140bdab2459.jpg)
お写真があるのでのせときます
結婚後、二人は、ローマやウィーン、フランスなどを巡る旅に出ます。
一応ハネムーンなんだけど、ガエターノの療養先を探すのがねらいでした。
なかなか見つからなかったんでしょうか? 旅は2年に及びます。
二人はスイスに落ち着くように思えましたが、ガエターノはそこで頭を射って自殺…
結婚生活は3年で終わりを告げました。
一生懸命尽した挙げ句に自ら命を絶たれてしまうなんて
女性にとっては大きな心の傷になりそうですね。
20歳の若い未亡人イサベルは喪に服すと、イサベル2世が亡命しているパリに戻り
弟や妹に勉強を教えたり、独りで暮らしている父親を訪ねたりして静かに暮らしました。
心に傷を負ったままイサベルのストーリーは終わってしまうのか… と思っていたら
1875年、イサベルの人生の第二幕が始まります。
弟のアルフォンソ12世が、スペイン共和国王として呼び戻されました。
未婚だったアルフォンソ12世は、ファーストレディとしてイサベルを選び
1ヶ月後にイサベルもスペインに戻ることになりました。
頼もしいお姉ちゃんに側にいてほしかったのかしら?
スペインでは、イサベルを再婚させようとして、バイエルン家か
ハプスブルク=ロートリンゲン家のどちらか… と縁談を進めていました。
イサベルが嫌がったのか二つの縁談は失敗し、イサベルは、妹の教育や
弟の妃メルセデスの世話にうちこみました。
メルセデスが亡くなった後、マリア・クリスティネをプッシュしたのもイサベルでした。
アルフォンソ12世の死後は、摂政になったマリア・クリスティネをサポートして
甥や姪から “ 第二のお母さま ” と慕われました。
イサベルは、アルフォンソ12世時代、甥のアルフォンソ13世時代で
宮廷でもっとも一目置かれる存在で、アルフォンソ13世失脚後は
共和国から国にとどまってほしいと懇願されましたが、これを拒否します。
イサベルは、宝石のほとんどを甥のアルフォンソ13世に譲り渡し亡命します。
そして、パリ到着後数日で亡くなりました。
意志が固い人だったみたいですね。
3年間だけ連れ添った夫を失った後は、まるで家族と国のためだけに生きてたみたい。
もしかしたら、もう再婚したくないほど辛い3年間だったのかもしれないけど
ロマンティックじゃないので、亡き夫への愛ゆえに… ということにしちゃいましょう。
(参考文献 Wikipedia英語版)
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遅蒔きながら、あけましておめでとうございます
今年の年明けは、やっと当たった東急ジルベスターコンサートのダッタン人の踊りで華々しくむかえました!うふふ
良い年になるといいなぁ… 良い年にしたいなぁ…