まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ16世妃 マリー・アントワネット

2009-04-05 10:08:30 | フランス王妃・王女
最悪のとばっちりをうけた王妃
ルイ16世妃 マリー・アントワネット・ドートリッシュ


1755~1793/在位 1774~1792

なんといっても『ヴェルサイユのばら』がありますからね。
あまりにも有名なので、いちいちエピソードを言うまでもないと思います。
家系図に関係ある生い立ちなどをさっくり書いてみます。

マリー・アントワネットは、ご存知のとおり
女帝マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の皇女でございます。

         

当時、台頭目覚ましいプロイセンのフリードリヒ大王に国土を脅かされていた
マリア・テレジアはロシアの女帝エリザヴェータ
ルイ15世愛妾ポンパドゥール夫人の協力を得てプロイセンに対抗する勢力を作り上げました。
俗に “ 3枚のペチコート作戦 ” といわれています。

けれどフランスとオーストリアは長年の宿敵です。
より強い結びつきを確保するために王太子ルイと
マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットの縁談がとりまとめられました。

            
             婚約時代のマリー・アントワネット

ルイ(後の16世)は、ルイ15世の孫にあたります。
父のルイが早世したため王太子になりました。

1770年、14歳になったマリー・アントワネットとルイは華々しく結婚しましたが
その後はご存知のとおり、王家の運命とともに破滅への道を進んでいきます。

ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人との不毛な争い、兵隊遊びに夢中で彼女を顧みない夫
連日連夜の仮面舞踏会、奇妙奇天烈なヘアスタイルと一度しか着ないドレス
市民が食うや食わずだというのに音楽だ、芸術だ、バレエだと娯楽にうつつをぬかす
スウェーデン貴族フェルセンとの恋、貧しい人の怒りをかったというプチ・トリアノン
彼女の物欲が招いたとされる首飾り事件… 池田理代子先生の絵が浮かんできますわ

そして1789年「バスティーユに白旗がっ!」から始まるフランス革命によって
国王ルイ16世一家は捕えられ、王に続いてマリー・アントワネットも
断頭台で38歳の命を閉じました。
            
ここで不肖わたくしは、マリー・アントワネットは当時の王侯貴族の妃として
なに一つ間違ったことはしていない! と言わせていただきたい。

そりゃあ少し愚かだったかもしれませんが、愚かな妃はなにも彼女だけじゃなし
国を傾けるほど乱費した王妃なんかゴロゴロいます。
プチ・トリアノンなんてかわいいもんじゃないですか?
歴代の王が愛妾に建てた城にくらべたら… シュノンソー城を見てごらん!
ファッションも(笑っちゃうけど )他の王妃だってすごいでしょ?
からだ中宝石と絹で、キラキラ、ギラギラ、ピカピカです。

ちなみに「パンが食べられないないならお菓子を食べればいいのに…云々」は
マリー・アントワネットではなく、ルイ15世の王女たちが言った言葉です。
どこの王女たちだってそういうことを言ってもおかしくなかったんだと思います。
そういうふうに育てられてきたのですから。

だいたい革命の種はルイ14世が絶対王政を確立し、ありとあらゆる贅沢を
享受していた頃からくすぶっていたんじゃないでしょうか?
ルイ15世の時には相当の高ぶりをみせていたと思われますが王は対処しませんでした。
ルイ16世は、市民の意見を尊重しようと努力していたように見受けられます。

王とマリー・アントワネットは完全にとばっちりをうけたのだと思います。
たとえマリー・アントワネットがドレスや宝石を我慢し、舞踏会を開かなくても
革命は避けられなかったでしょう。
革命派は体制自体が気に入らないのですから、王なんか誰だって関係ないですよ。

結局、ルイ16世が試みた、平民を政治に加えようという政策に反対した
保守派貴族の一部は、革命になるとフランスを逃げ出して
亡命政府なるものをつくったりします。

その時反革命派が旗印に掲げたのが、王子ルイ・シャルルでした。
新国王ルイ17世とはいえ革命軍に捕えられていた少年は、食べ物も充分与えられず
暗く狭い塔の一室に閉じ込められたまま10歳で世を去りました。

              
                 ルイ17世です

将来火種になることを怖れて殺された王子や王女は数えきれないほどいます。
王家に生まれた者の宿命とはいえ、子供たちには罪はないのに…哀れですね。

(参考文献 三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』
      江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)

ハプスブルク家の女たち 講談社


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講談社新書、私は昔の表紙の方が好きでしたけれどもね…

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5 コメント

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悲劇の王妃 (きなこもち)
2011-11-19 10:46:31
確かに国王と王妃が誰であれ、当時の状況からして革命は避けられなかったでしょうね。
むしろルイ16世とマリー・アントワネットに対する国民の不満が高まったのは革命が始まってからだったと思われます。国王自体は革命前は人気があったそうですし。
処刑された原因は浪費癖より、逃亡と革命打倒未遂(祖国オーストリアにフランス軍の情報を流していた)の件が大きいと思います。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-11-21 23:39:57
きなこもちさま、こんばんわ

私も、マリー・アントワネットはとばっちりを受けて本当に可哀想だと思っているひとりです。
(エリザヴェータに対してはそんなに同情してないんですけどね…)

でも彼女とかエリザヴェータとかファナなんかは、後世まで悲劇の王妃として語り継がれて、幸せな方かもしれません。
すごく悲惨でもひっそり埋もれちゃってる王妃も多いですもんね。
返信する
Unknown (きなこもち)
2011-11-27 13:49:55
>でも彼女とかエリザヴェータとかファナなんかは、後世まで悲劇の王妃として語り継がれて、幸せな方かもしれません。

エリザヴェータ→エリザベート(エリーザベト)の間違いでは?

この3人はエピソードが多くて波乱万丈の人生を送っているので後世まで語り継がれているのでしょうね。後、名門王家の王女・王妃だったことと、漫画や舞台、映画の主役として取り上げられたのも大きいでしょうね。

現代の王妃ではダイアナ妃がそうなりそうですし、雅子様も今はかなり叩かれていますが、後世彼女達と同様の扱いになるかもしれませんね(汗)
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-11-30 23:08:17
きなこもちさま、こんばんわ

そうですね、エリーザベトです。
混乱してますね、すみません。

現代のプリンセスやクィーンは昔と違ってエピソードが瞬時に知れ渡っちゃいますからね。
数が少ないから注目されちゃうし…なかなか大変な人生ですね。
返信する
フランス王国史上、最も有名な王妃、マリー・アントワネット (メリエンダ)
2018-10-25 15:49:50
マリー・アントワネットは、“悲劇の王妃”として有名ですが、とりわけ、日本では、“ヴェルサイユのバラ”のおかげで、圧倒的な知名度を誇り、フランス王妃と言えば→マリー・アントワネットと殆どが筆頭に名前を上げる程。
マリー・アントワネットは、時代により、悪女
悲劇の王妃、と色々見方が変わるようですが、国を自らの野望の為に敵国に売り渡そうとしたイザホーや大虐殺を実行したカトリーヌらに比べたら、ずっっっっと(笑)善良だと思います。
確かに“賢い王妃”とは言い難く、楽しく遊び暮らすのが大好きで、贅沢もしましたが、先代王達の寵姫らに比べたら‥とも思いますが‥。
夫のルイ16世も、“国どころか、妻をも御し得ない愚鈍な王”なんて長年言われてきたみたいですが、彼は、勉強熱心な、数か国語を自在に話す事ができる程の教養があり、信仰心あつく、慈愛溢れる人柄だったともされていますね。先代王ルイ15世など、“ぐうたら王”なんて呼ばれ、ハレムの王のような日々を送り、取り得と言ったら“フランス一の美男子”と言われた美貌くらいで、数々の妾、庶子を作り、そのせいで国庫は火の車だったらしいですね。この祖父に比べたら、何倍も優秀な君主だったと思いますが‥
マリー・アントワネットも、若い頃は、かなりの贅沢をしましたが、子供が生まれ、母たる自覚を持つようになり、子供中心の日々を送るようになったとされていますが‥やはり、アントワネット以前から色々国庫が破綻していたのでは?“我らの後は、大洪水”なんてポンパドール夫人が晩年に残した言葉がそれを物語っていると思います。ルイ16世、マリー・アントワネット夫妻はとばっちりをもろに受けてしまったのですね‥ルイ16世は、革命期の王になるには力不足だったみたいですね。もし、泰平な世の君主だったら、質素で、勉強熱心で、優しい人柄の彼は名君とまでいかないものの、善き君主だった、とされていたかも知れませんね‥アントワネットも、子供を慈しみ、その成長を至福とする慈愛溢れる王妃、として幸せな人生を送れたかもしれません‥‥
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