見知らぬ男を息子と宣言した
イヴァン4世妃 マリーヤ・ナガヤ
?~1608/在位 1581~1584
マリーヤの生い立ちもよく分からんのですが、1581年にイヴァン4世と結婚して
その年に皇子を生んでるんで…できちゃった結婚なのかもしれません。
1584年にイヴァン4世が亡くなると、ボリス・ゴドノフによって
皇子ドミトリィやナガヤ家の兄弟とともに追放されました。
ゴドノフは皇太子フョードルの妃イリーナの兄ですので、みえみえのお家騒動ですね。
1951年には皇子ドミトリィが変死しました。
のどを切られていたらしいのですが、調査の結果はひげ剃り中の事故死…
マリーヤは修道院に入れられてしまいました。
(前々から思っていたのだが、修道院て懲罰で入るところじゃないよね? )
ところが1605年、マリーヤに転機が訪れます。
以前から「自分は逃亡していたドミトリィだ」と主張していた男性が皇帝になったのです。
マリーヤや投獄中のナガヤ兄弟はモスクワに引き戻されて
彼が本当にドミトリィか承認を求められます。
マリーヤは彼を息子だと認めました。 認めざるをえなかったのでしょうね。
マリーヤはそのまま母后としてモスクワにとどまりましたが、結局1年後に
ドミトリィ1世が反乱軍に殺されると「彼は息子ではなかった」と告白しました。
(ところが1608年に再び「自分はドミトリィだ」と名乗る人物が現れると
これも承認しちゃてるんですよね~。 うぅぅぅむ… )
いずれも生き延びるために、反乱軍に言わされたのかもしれません。
その後どうしたのかは不明で1608年に亡くなっています。
ひとりの男の子を生んだというだけで自分の意思など顧みられず
命は危険に晒されてしまう、女性として母親としてのささやかな幸せも望めないなんて
何が玉の輿なのかよく分かんなくなっちゃいますね。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
イヴァン4世妃 マリーヤ・ナガヤ
?~1608/在位 1581~1584
マリーヤの生い立ちもよく分からんのですが、1581年にイヴァン4世と結婚して
その年に皇子を生んでるんで…できちゃった結婚なのかもしれません。
1584年にイヴァン4世が亡くなると、ボリス・ゴドノフによって
皇子ドミトリィやナガヤ家の兄弟とともに追放されました。
ゴドノフは皇太子フョードルの妃イリーナの兄ですので、みえみえのお家騒動ですね。
1951年には皇子ドミトリィが変死しました。
のどを切られていたらしいのですが、調査の結果はひげ剃り中の事故死…
マリーヤは修道院に入れられてしまいました。
(前々から思っていたのだが、修道院て懲罰で入るところじゃないよね? )
ところが1605年、マリーヤに転機が訪れます。
以前から「自分は逃亡していたドミトリィだ」と主張していた男性が皇帝になったのです。
マリーヤや投獄中のナガヤ兄弟はモスクワに引き戻されて
彼が本当にドミトリィか承認を求められます。
マリーヤは彼を息子だと認めました。 認めざるをえなかったのでしょうね。
マリーヤはそのまま母后としてモスクワにとどまりましたが、結局1年後に
ドミトリィ1世が反乱軍に殺されると「彼は息子ではなかった」と告白しました。
(ところが1608年に再び「自分はドミトリィだ」と名乗る人物が現れると
これも承認しちゃてるんですよね~。 うぅぅぅむ… )
いずれも生き延びるために、反乱軍に言わされたのかもしれません。
その後どうしたのかは不明で1608年に亡くなっています。
ひとりの男の子を生んだというだけで自分の意思など顧みられず
命は危険に晒されてしまう、女性として母親としてのささやかな幸せも望めないなんて
何が玉の輿なのかよく分かんなくなっちゃいますね。
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)