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神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世皇女 マリア・アマーリア

2011-05-17 10:25:12 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
一瞬だけど…神聖ローマ皇帝の座を実家から奪った
ヨーゼフ1世皇女 マリア・アマーリア・フォン・エスターライヒ
神聖ローマ皇帝カール7世妃


1701~1756/在位 1742~1745

マリア・アマーリアは、ヨーゼフ1世と皇后ヴィルヘルミーネ・アマーリエの次女です。
兄で唯一の皇子レオポルト・ヨーゼフの死の1週間後に生まれました。

母のヴェルヘルミーネ・アマーリエはその後身ごもることができませんでした。
あくまでも噂ですけど、ヨーゼフ1世が愛妾の一人から梅毒をうつされて
それが皇后にもうつっちゃったらしいです。

    

マリア・アマーリアも、姉のマリア・ヨーゼファ同様、継承権を奪われて
放棄を認めるまで結婚の許可がおりませんでした。

サヴォイア公子ヴィットーリオ・アメデーオ妃の候補にあがりましたが
ヴィットーリオの父サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世が乗り気でなく
うだうだしている間にヴィットーリオ(息子の方)が亡くなってしまいました。
でも、この話しも継承権問題があるうちは進まなかったかもしれませんね。

その後、マリア・アマーリアは継承権を放棄し
1722年にバイエルン選帝侯マクシミリアン2世の王子カールと結婚しました。

そして1740年、叔父カール6世が亡くなりました。
マリア・アマーリアの夫バイエルン公も早速妻の権利を主張して
ハプスブルク家に戦いを挑みます。

オーストリア=バイエルン戦争で勝利し、1742年にカール7世として
神聖ローマ皇帝に即位しましたが、結局マリア・テレジアの反撃を受けて
領土まで奪われてしまいました。

そんな戦争まっただ中の1745年に、カール7世が亡くなります。
マリア・アマーリアは息子のマクシミリアン3世がバイエルン選帝侯を継承すると
ただちにマリア・テレジアと和平を結ぶように説得して講和を結ばせました。

すでにバイエルンが占領されて負けが見えていたこともありますが
やはり姉や従姉妹と争うのは、本意ではなかったのかもしれませんね。

マリア・テレジアの夫フランツ1世が神聖ローマ皇帝に即位して
皇帝位は再びハプスブルク家の手に戻りました。

1756年にミュンヘンで亡くなっていますから、オーストリアへは帰らず
子供たちの側で暮らしていたようです。

7人のお子様がおりましたが、長女マリア・アントニアと次男マクシミリアン3世が
それぞれ姉マリア・ヨーゼファの息子プファルツ選帝侯フリードリヒ・クリスティアンと
マリア・アンナ・ゾフィーと結婚しています。
四女マリア・ヨーゼファはマリア・テレジアの息ヨーゼフ(2世)の妃になりました。

いとこ・またいとこ同士で3組も! これは戦争している場合ではありませんね。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

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