夫が早世なので・・・
ヨーゼフ1世妃 ヴィルヘルミーネ・アマーリエ
フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1673~1742/在位 1705~1711
ヨーゼフ1世は、レオポルト1世の後を継いでからたったの6年で
天然痘で亡くなったのね。
ヴィルヘルミーネは30年ほど長生きしてますがほとんどエピソードがございませんの。
娘のマリア・アマーリエが嫁いだカール・アルブレヒトが、後々カール7世に即位して
神聖ローマ皇帝位が、一瞬ですけど、ハプスブルク家から
ヴィッテルスバハ=バイエルン家に移ったことがあります。
女帝マリア・テレジアの母君
カール6世妃 エリーザベト・クリスティーネ
フォン・ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル
1691~1750/在位 1711~1740
とにかく美しかったらしい…
13歳の時に皇帝ヨーゼフ1世の弟カール(後の6世)と婚約していますが
これは野心家の祖父ヴォルフェンビュッテル公と
ヨーゼフ1世妃ヴィルヘルミーネが根回しをしてまとめたそうです。
あわよくば皇帝の座をハプスブルク家からブラウンシュヴァイク家へ!ってことかしら?
ただこの結婚には障害が… エリーザベトはプロテスタントだったのです。
エリーザベトが素直に改宗してまるくおさまりましたけど。
1708年にカールとエリーザベトが結婚した時
カールはブルボン家とスペイン王の座をかけて戦いの真っ最中でした。
ちなみに… カールの義理の姉マリア・アントニアが嫁いだヴィッテルスバハ=バイエルン家は
この時ブルボン家側についてたのよ~ 。
思惑が入り乱れている感じがしますね。
エリーザベトはスペインで結婚し、スペイン継承戦争を夫とともに戦いました。
1711年、兄のヨーゼフ1世が亡くなったため、カールが皇帝に指名されます。
カールはものすごくスペイン王位に未練があったらしいのですがやむを得ません。
せめてバルセロナだけでも守る! というわけでしょうか?
エリーザベトを残してひとりでウィーンに出発しました。
1713年にカールが王権を放棄するまで、エリーザベトは行政官として残り守り抜きました。
カール6世は、スペイン王位は手放しましたが
ベルギーやナポリ、ミラノなどを手に入れ、領土を広げた名君です。
子供の中で成人したのはふたりの皇女で
姉が、あの、女帝マリア・テレジアでございます。
マリア・テレジアは難しい政局にあって果敢に国政を行った女王です。
もしかしたらお父様、お母様のいいところを併せ持つ
まさに、君主たる性格の持ち主だったのかもしれませんね。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
ヨーゼフ1世妃 ヴィルヘルミーネ・アマーリエ
フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1673~1742/在位 1705~1711
ヨーゼフ1世は、レオポルト1世の後を継いでからたったの6年で
天然痘で亡くなったのね。
ヴィルヘルミーネは30年ほど長生きしてますがほとんどエピソードがございませんの。
娘のマリア・アマーリエが嫁いだカール・アルブレヒトが、後々カール7世に即位して
神聖ローマ皇帝位が、一瞬ですけど、ハプスブルク家から
ヴィッテルスバハ=バイエルン家に移ったことがあります。
女帝マリア・テレジアの母君
カール6世妃 エリーザベト・クリスティーネ
フォン・ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル
1691~1750/在位 1711~1740
とにかく美しかったらしい…
13歳の時に皇帝ヨーゼフ1世の弟カール(後の6世)と婚約していますが
これは野心家の祖父ヴォルフェンビュッテル公と
ヨーゼフ1世妃ヴィルヘルミーネが根回しをしてまとめたそうです。
あわよくば皇帝の座をハプスブルク家からブラウンシュヴァイク家へ!ってことかしら?
ただこの結婚には障害が… エリーザベトはプロテスタントだったのです。
エリーザベトが素直に改宗してまるくおさまりましたけど。
1708年にカールとエリーザベトが結婚した時
カールはブルボン家とスペイン王の座をかけて戦いの真っ最中でした。
ちなみに… カールの義理の姉マリア・アントニアが嫁いだヴィッテルスバハ=バイエルン家は
この時ブルボン家側についてたのよ~ 。
思惑が入り乱れている感じがしますね。
エリーザベトはスペインで結婚し、スペイン継承戦争を夫とともに戦いました。
1711年、兄のヨーゼフ1世が亡くなったため、カールが皇帝に指名されます。
カールはものすごくスペイン王位に未練があったらしいのですがやむを得ません。
せめてバルセロナだけでも守る! というわけでしょうか?
エリーザベトを残してひとりでウィーンに出発しました。
1713年にカールが王権を放棄するまで、エリーザベトは行政官として残り守り抜きました。
カール6世は、スペイン王位は手放しましたが
ベルギーやナポリ、ミラノなどを手に入れ、領土を広げた名君です。
子供の中で成人したのはふたりの皇女で
姉が、あの、女帝マリア・テレジアでございます。
マリア・テレジアは難しい政局にあって果敢に国政を行った女王です。
もしかしたらお父様、お母様のいいところを併せ持つ
まさに、君主たる性格の持ち主だったのかもしれませんね。
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)