まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世妃 エウフラクシア

2010-12-19 16:57:45 | ドイツ系王妃
前妃とは一転、夫を陥れる妻
ハインリヒ4世妃 エウフラクシア(アーデルハイド)・フォン・キエヴ


1071~1109/在位 1089~1105

ハインリヒ4世は苦労を供にした妃ベルタが亡くなると2年後に
キエフ大公フセヴォロド1世王女エウフラクシアと再婚します。

実はハインリヒ、ベルタの生前からエウフラクシアにぞっこんでした。
うぅぅ
信頼し合う夫婦になったとはいえ、ハインリヒの女好きはそのままだったのね。

       

エウフラクシアは最初にノルドマルク辺境伯ハインリヒ・ロングと結婚しました。
しかし1087年に死別し、彼女はクヴェトリンブルク修道院に入ります。

クヴェトリンブルクは王侯貴族に縁が深い大修道院です。
たぶんハインリヒも誰かを訪ねていたんでしょうね、
そこで彼女に出会い、すぐに美しさに惹かれてしまいました。

再婚後エウフラクシアはアーデルハイドに改名しています。

ハインリヒ4世は片時もエウフラクシアと離れたくなかったのか
イタリア遠征にも連れて行ってヴェローナで待たせておきました。
けれども彼女はそこから逃げ出し、カノッサでトスカーナ伯マチルデに会います。

このマチルデっていうのはハインリヒの宿敵です。
はしょるけど、ハインリヒ4世は、マチルデとの不倫スキャンダルをネタに
グレゴリウス7世を廃位しようとして破門されてしまったのね。
“ カノッサの屈辱 ” の時には教皇と並んでハインリヒを辱めたという女性です。

そんな女に会いに行くなんて~ ! 何があったんでしょうね?

エウフラクシアはハインリヒとの結婚は自分の意思に反していて
自分は無理矢理ハインリヒのものにされてしまったと告発します。
黒魔術の儀式で裸体を捧げさせられた…とも言っています。

その上ハインリヒ4世と前妃ベルタの皇子コンラートと手を組んで
夫に反旗をひるがえしました。
この時ハインリヒ4世はふたりの母子相姦を責め立てています。

窮地に陥ったハインリヒ4世ですが、ヴェルフェン家のおかげで盛り返し
コンラートを追放しました。

影の参謀エウフラクシアはイタリアから脱出しハンガリーへ渡ります。
1099年に故郷キエフに帰りました。
離婚はしていないので皇后のままです。

1105年にハインリヒが亡くなると修道女になり、4年後に亡くなりました。

どちらの言い分が正しいんでしょう?
ハインリヒ4世には女好きという弱味があるからなぁ…
無理矢理嫁にしたという訴えも嘘じゃないかもしれませんね。

片やエウフラクシアが、21歳年上の夫より3歳年下の義理の息子を好きになるのは
自然なことかもしれないし…

黒魔術とか出てくるあたり、教皇がハインリヒを陥れるために脚色した可能性もありますね。

(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)

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