![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/75/4937ae3f4e42e13fbf2e248aa1c7c4c9.jpg)
こちらベアトリクスのご両親、踊ってんの?
完全に政治目的の幼な妻
オットー4世妃 ベアトリクス・フォン・シュヴァーベン
1198~1212/在位 1212
イタリア王フェデリーコ2世の摂政だった教皇インノケンティウス3世が
フェデリーコの(神聖ローマ皇帝予備軍的な)ドイツ王即位を阻止しようとして
前ドイツ王シュヴァーベン公フィリップの対立王を皇帝に強行指名したのが
ヴェルフェン家のオットー4世です。
ひどいわね
母コンスタンツェが息子を助けてほしいと指名した摂政なのに。
ホーエンシュタウフェン家 VS ヴェルフェン家の争いは激しくなっていきます。
そんなオットー4世の妃は、なんと! 宿敵ドイツ王フィリップの娘ベアトリクスです。
ベアトリクスの父方の祖父は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、
母方の祖父はビザンツ皇帝イサキオス2世という、東西の皇帝の血をひいておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/c1/d4b5ddbff397bdcfe03ebea4c957cc21.jpg)
ベアトリクスの父シュヴァーベン公フィリップは1198年にドイツ王に選ばれました。
その約20日後にヴィッテルスバハ伯オットー8世が対立王に選ばれます。
ふたりの対立は1208年にフィリップが暗殺されるまで続きます。
オットーは自分の地位を確固たるものにするためか、フィリップにベアトリクスを含む
4人の娘のうちの誰かを嫁にちょうだいと申し入れたんですけど断られてしまい
強行手段に出たようです。
ちなみにフィリップの子どもは4姉妹だけで、継承する男子がおりませんでした。
しかしさすがに、求婚を断られたからってその父親を殺すっていうのは…というわけで
オットーは、インノケンティウス3世とイングランドのジョン王という
強力な援護者を失います。
代々の領土まで失ったオットーですが唯一のドイツ王になりましたので
ホーエンシュタウフェン家に同盟を申し入れ、その証しとして
長女ベアトリクスと結婚することになりました。
とりあえず、32歳のオットーと10歳のベアトリクスはすぐに婚約しました。
1209年にオットーが神聖ローマ皇帝に即位しましたが、結婚はまだ先です。
ベアトリクスは、14歳になった1212年にオットーに嫁ぎましたが
結婚からわずか19日後に病で亡くなりました。
なんかすごく怪しくない?
オットーは1208年のドイツ王選挙で、ホーエンシュタウフェン家の全面的援助のもと
再びドイツ王に選ばれています。
ここを乗り切りたかっただけじゃないのか…なんてね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
とにかく、完全に政治的な駒でしかなかった14年の人生でした。
こんな一生なら、もし彼女が贅沢三昧でわがまま一杯の生活を送っていたとしても
許してやっていい気になりますね。
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
完全に政治目的の幼な妻
オットー4世妃 ベアトリクス・フォン・シュヴァーベン
1198~1212/在位 1212
イタリア王フェデリーコ2世の摂政だった教皇インノケンティウス3世が
フェデリーコの(神聖ローマ皇帝予備軍的な)ドイツ王即位を阻止しようとして
前ドイツ王シュヴァーベン公フィリップの対立王を皇帝に強行指名したのが
ヴェルフェン家のオットー4世です。
ひどいわね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ホーエンシュタウフェン家 VS ヴェルフェン家の争いは激しくなっていきます。
そんなオットー4世の妃は、なんと! 宿敵ドイツ王フィリップの娘ベアトリクスです。
ベアトリクスの父方の祖父は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、
母方の祖父はビザンツ皇帝イサキオス2世という、東西の皇帝の血をひいておりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/c1/d4b5ddbff397bdcfe03ebea4c957cc21.jpg)
ベアトリクスの父シュヴァーベン公フィリップは1198年にドイツ王に選ばれました。
その約20日後にヴィッテルスバハ伯オットー8世が対立王に選ばれます。
ふたりの対立は1208年にフィリップが暗殺されるまで続きます。
オットーは自分の地位を確固たるものにするためか、フィリップにベアトリクスを含む
4人の娘のうちの誰かを嫁にちょうだいと申し入れたんですけど断られてしまい
強行手段に出たようです。
ちなみにフィリップの子どもは4姉妹だけで、継承する男子がおりませんでした。
しかしさすがに、求婚を断られたからってその父親を殺すっていうのは…というわけで
オットーは、インノケンティウス3世とイングランドのジョン王という
強力な援護者を失います。
代々の領土まで失ったオットーですが唯一のドイツ王になりましたので
ホーエンシュタウフェン家に同盟を申し入れ、その証しとして
長女ベアトリクスと結婚することになりました。
とりあえず、32歳のオットーと10歳のベアトリクスはすぐに婚約しました。
1209年にオットーが神聖ローマ皇帝に即位しましたが、結婚はまだ先です。
ベアトリクスは、14歳になった1212年にオットーに嫁ぎましたが
結婚からわずか19日後に病で亡くなりました。
なんかすごく怪しくない?
オットーは1208年のドイツ王選挙で、ホーエンシュタウフェン家の全面的援助のもと
再びドイツ王に選ばれています。
ここを乗り切りたかっただけじゃないのか…なんてね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
とにかく、完全に政治的な駒でしかなかった14年の人生でした。
こんな一生なら、もし彼女が贅沢三昧でわがまま一杯の生活を送っていたとしても
許してやっていい気になりますね。
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)