まりっぺのお気楽読書

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ハンガリー王カーロイ1世妃 マリア

2010-09-16 23:46:29 | ハンガリー王妃
ハンガリーとポーランドの新しい架け橋
カーロイ1世妃 マリア・ピアスト


1282頃~1315/在位 1306~1315

プシェミスル家、ヴィッテルスバハ家と王位が変わったハンガリーは
イシュトヴァーン5世を祖父に持つ、アンジュー家のカーロイ1世が継ぐことになりました。

ピアスト家のビトム公カジェミシュの公女マリアは
カーロイが即位した1306年に嫁いだと言われています。

ポーランド王権を手に入れたピアスト家と関係を持つことで
カーロイはポーランドにくい込んでいこうとしたようです。

          

カーロイ1世は、よそからやって来た王様にしては上手く国を治めましたし
ボヘミア王やポーランド王を招いてのドナウ・サミットを開いて地域の安定を図るなど
なかなかできる君主だったようです。

しかしマリアとの間に世継ぎは生まれませんでした。
(王女カトリンとエルジェーベトはマリアの子供説もあります)

マリアは30代半ばで亡くなり
セーケシュフェヘールヴァールの王家の墓所に葬られました。
上の肖像画はその時のもの…なんか苦しそうな顔していますが…



お世継ぎ期待論の犠牲者
カーロイ1世妃 ベアトリックス・ルクセンブルギ


1305~1319/在位 1318~1319

前妃マリアを亡くしたカーロイは、お世継ぎをつくらなきゃ!という訳で
30歳の時、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の皇女ベアトリックスと再婚します。

        
ベアトリックス、この時14歳。
おおいにお世継ぎが期待されたってことなんだが、ちょっと待って下さる?

すぐに子供がほしいならなぜ20歳を過ぎた女性にしないんでしょうか、と
前々から不思議でした。
中世時代の出産て、何歳がベストだと思われていたんでしょうか?
14歳に子供を期待するのが普通だったってことですかね?

結局ベアトリックスは翌年出産の時に亡くなりました。
お子様も助からなかったそうです。

出産で命を落とす十代の妃をたくさん見てきただろうに…
少しは学習してほしかった。

(参考文献 加藤雅彦氏『ドナウ河紀行』 Wikipedia英語版)

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