たまたま、中高生を相手に講義する形でまとめられた池谷裕二著の「進化しすぎた脳」を最近読んだばかりだったので、冒頭、京極堂が延々と披露する「現実とは何か」がすんなり頭に入った。この世界観を突き詰めると「マトリックス」になるわけだ。
たぶん原作がそうなっているからなのだろうが、娯楽作と割り切るならばバッサリと切ってしまうであろう観念的な部分が、じっくり描かれているところに実相寺監督らしさがある。斜め構図の多用や舞台的な照明など映像上の表現にもこだわりを見せる。監督の観念上の駒として俳優が動いており、生きた人間として観客が感情移入をすることはあらかじめ拒まれているかのようである。
その辺が、たぶん比較の対象になるであろう横溝正史の金田一耕介シリーズ映画化作品と比べると好みの別れるところだろう。
実相寺監督は「ウルトラマン」で知られているがATGで公開された映画群「無常」「曼陀羅」「哥(うた)」のタイトルを見ただけでも並みの娯楽作を撮る監督ではないことが分かる。「並みの娯楽ではない」本作もメジャーな公開だから動員は可能だろうが、果たして見終わった観客の反応はどうなのだろうか。