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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「僕の彼女はサイボーグ」

2008年06月11日 | 映画(ハ行)
 タイムマシンものだ。未来からやって来る女性サイボーグ。登場シーンは「ターミネーター」だ。

 定番のタイムパラドックスがストーリーの鍵となるが、変えてははいけない過去を、主人公の悔いの残らない形に変えまくるので、そこからパラレルな世界がいくつも分岐していく。

 加えてロボットは人間の心をもつことが出来るのか、という鉄腕アトム系の苦悩も味付けしてあり、この部分がどんでん返しと言うほどでもないが爽やかなサプライズになっている。

 ただ良く考えるとかなり複雑な構造になっており、そもそも未来の主人公は誰をオリジナルなモデルにしてサイボーグを作ったのかが分からなくなってくる。結局何役もこなした綾瀬はるかの、それぞれの役柄の関係が脚本段階でうまく説明しきれていないことに、その原因はありそうだ。

 やや過剰なてんこ盛り状態で、時代感覚は欠如、冗長な部分もあるが、それらの欠点を認めた上でデートムーヴィーとしては楽しめるだろう。地震シーンのリアルさは怖い。

映画 「僕のピアノコンチェルト」

2008年05月27日 | 映画(ハ行)
 天才の夢を描いた作品。それが何と「普通でいる事」なのだ。

 単なる音楽やピアノの天才というだけではない。その辺が「アマデウス」とはちょっと違う。モーツァルトの、音楽以外の幼児性みたいなものは微塵もない。極めて大人っぽい少年だ。したがって周りにはなじめず孤独だ。

 しかし、演技の天才でもあった事で人生が豊かに動き出す。望みを自分自身でかなえることが出来たのだ。天才と凡人、両方の生活を知ったことで人間としてのバランスも獲得できたのだろう。

 祖父役のブルーノ・ガンツがとても優しく、大きな愛で少年を包んでいるのが素敵だ。

 監督はスイスのフレディ・M・ムーラーだが、日本での公開作品は「山の焚火(1985)」 「最後通告 (1998)」に次ぐ3作目である。もともと寡作なのか?一作ごとにまったく趣が異なっているがどれも見応えがある。

  少年役のテオ・ゲオルギューは実際の新進ピアニストだそうだ。吹替えなしの演奏シーンは見事だ。彼自身は天才の孤独に悩むことはないのだろうか? 

映画 「フィクサー」

2008年05月09日 | 映画(ハ行)
 2000年公開のジュリア・ロバーツが主演したソダバーグ監督作品「エリン・ブロコビッチ」のように巨大企業を相手にした公害訴訟を扱っているが、法廷劇ではなくミステリータッチである。

 冒頭、いくつかのエピソードが綴られた後、4日前にさかのぼって物語が進行する。この冒頭がなんだかよく飲み込めず、付いて行けるだろうかと不安になるが、再び時間がそこまで巡って来るまでにすっかり事態は呑みこめている。で、再び冒頭のシーンが繰り返された後クライマックスが待っている。

 主役のジョージ・クルーニーは弁護士だが、華やかな法廷弁護士ではなく影で事件をもみ消す掃除屋(フィクサー)だ。

 その彼が今回のこの大スキャンダルをどう掃除するのか、そこが見所となっている。

映画 「ブラックサイト」

2008年04月25日 | 映画(ハ行)
 無責任な好奇心がいかに人を傷つけるか、がテーマ。それをシリアル・サイコ・キラー風のミステリーに仕上た作品。

 あそこまで残忍な犯行に走れるかどうかは別として、犯人の動機には同情の余地がある。

 ダイアン・レインがネット犯罪を担当する捜査官を演じるが、母としての家庭生活と仕事との葛藤もキチンと描かれる。

 冒頭でヒロインは道路渋滞に巻き込まれる。道路脇の交通事故現場を眺める車両が、そこで速度を落とすためだと分かる。この好奇心がネット上で悪意のもとに操られたらどうなるかを描くために、さり気ない伏線として配置されたエピソードだ。渋滞の理由をヒロインは、車中からやはり最新のシステムを使って知る。

 物語の基本的な組立てや背景を、自然にかつコンパクトに観客に提示する巧妙なオープニングだ。

 操作のプロセスは明快にスピーディに進み、一挙に犯人を特定、ラストのクライマックスへ突入する。これが動機なき愉快犯だったらこう簡単には行かなかっただろう。

 ネット時代、誰もが荷担してしまう可能性のある恐怖の世界を描いている。

映画 「ポストマン」

2008年04月03日 | 映画(ハ行)
 富士山、菜の花、赤いポスト・・・日本の原風景だ。そういうモチーフの映画はたいていまっすぐに素直だ。本作もその例外ではない。思ったとおりに筋が運ぶ、そういう意味では安心できる。が、そこが物足りないという人も多いだろう。

 民営化前の郵政公社時代の郵便局が舞台になっている。郵便が運ばれるしくみも、郵便局の規則も、なるほどこうなっていたのかと良く説明してくれる。

 手紙というメディアの持つ意味を、いまさらながらに再認識させてくれる内容だ。

 郵便は「心を運ぶ」という部分で単なるビジネスではない。そこで人情と職場の規則の板ばさみになる主人公の立場も描かれる。
 しかし最終的にここに描かれるのは人情の世界だ。ウォール街のビジネスマンではない「郵便屋」の世界だ。

 今回製作総指揮も兼ねた長嶋一茂のやや前近代的な主人公の描写が、類型的ではあるが悪い感じはしない。

 すでに郵便局は昨年秋に民営化されている。効率化で切り捨てられていくものも多いはずだ。主人公の世界観はどう変わるのか?民営化で揺れる郵便屋を描く期待の第2部・・・が出来るわけないか。

 素直な運びの中でただ一つ、物語の主筋に関わる郵便の意外な利用法が出てくる。どんでん返しというほどではないものの、物語の薬味として効いている。

映画 「バンテージ・ポイント」

2008年04月01日 | 映画(ハ行)
 構成で見せる映画。豪華な配役、それぞれの視点で大統領暗殺事件を描く。

 冒頭はシガーニー・ウィーヴァーがディレクターを務めるテレビ局の中継モニター室の様子が描かれ、事件の全容がそこのモニター画面で観客に提示される。

 次いで時計がリワインド、登場人物誰かの視点で事件が繰り返される。

 黒澤明の「羅生門」のように各人の主張が食い違うということは無い。それぞれの視点から、一つ、また一つと新たな事実、あるいは新たな謎が付加され、怒涛のクライマックスへなだれ込んでいく。

 リワインドする前に見つかったらしい事実を、その時点で直接見せることをせずに複線として後のエピソードに引っ張っていくことで、連続ドラマのような効果を出している。

 クライマックスは主要な登場人物を一箇所に集めてしまうショー感覚で、90分を一気に見せてしまう脚本、演出は見事だ。

 フォレスト・ウィッテカーがとにかくよく走る(走らされた?)。
 大統領役はウィリアム・ハート。冒頭であっけなく死んでしまうはずはない重鎮だ。(これから見る人のためのヒント)

映画 「僕がいない場所」

2008年03月21日 | 映画(ハ行)


 「この道は母へとつづく」に続き、再び孤児施設が舞台になった作品。ただし、こちらは開巻早々にそこを脱出するところから物語が始まる。

 「この道は・・・」とは対照的だ。国立の孤児施設に入っている主人公の少年は孤児という訳ではない。母親はいる。その居場所もわかっている。むしろ事情があって「施設に入れられた」というべきなのだろう。したがって、そこを抜け出しても彼を受け入れてくれる場所は無い。

 自立心は非常に強い。一人でも生きて行こうとする生活力がある。その日常をカメラは追っていく。

 何らかの劇的なストーリーがあって、こんな状況で登場人物はいつ何を食べて生きているのだろう、と思いたくなる作品が多いが、この映画はその点リアルだ。
 少年が生きていくためには、まず食べなくてはならない。むしろ毎日のその部分の描写がこの映画の肝なのだ。観客は、果たしてこんな生活をこのまま続けることが出来るのだろうか心配しつつ、この生きようとする命を少しでも守ってあげたいと思っている。

 そこにやはりやって来る結末。この結末を実は最初のシーンで見せられていたことに気付くのだ。

 お前は誰なのだと係官に問われて、少年は答える「僕だよ!」と。英語タイトルはこのラストの台詞から採られた「I am」だ。

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映画 「光の六つのしるし」

2008年01月17日 | 映画(ハ行)
 ハリー・ポッター系の、光と闇の戦いを巡るダーク・ファンタジー。

 強大化する闇の力に打ち勝つために、六つのサインを探し出さなくてはならない。その探索者たる運命の下に生まれた子供の物語。

 凝った映像で丁寧に作られているが全体にスケールが小さく感じられる。
 というのは舞台がイギリス郊外の村の中に限定されるからだ。光の側のパートナーたちはみな村の住人だし、世界を闇が支配するという割には、「ロード・オブ・ザ・リング」のような軍団が襲ってくるわけではなく、馬に乗った闇の騎士が一人で頑張っているだけなのだ。

 六つのしるしは「現在」に存在するとは限らず、その予兆を感じた子供は過去へも、時空を越えた旅をしてそのサインを手に入れる。

 誕生時に、間違って闇の世界へ連れ去られた双子の兄との邂逅など、家族の抱える悩みも解決して光に満ちた世界が訪れる。

 これで完結して何の不思議も無いエンディングだが、シリーズもの原作の最初のパートだそうだ。はたして続編はできるのか?本作のヒット具合によるだろう。

映画 「ヘアスプレー」

2007年12月12日 | 映画(ハ行)
 最初から最後までハイテンションの、愛すべきミュージカル。

 60年代ファッションでタイトルデザインまで統一されている。歌も踊りも美しく楽しい。久々にサントラが欲しくなる作品だ。

 ストーリーや設定のリアルさに関してはやや甘さを残すが、のりのりのミュージカルでそんなことは言っていられない。むしろ人種差別という深刻なテーマを堂々と取り上げていることを評価すべきだろう。
 ただヒロインにとっては、自分がデブでテレビ局に差別されることとそう違わないレベルの問題のようだ。だから逆に、同じ立場の者として憤慨し、積極的な行動に出ているわけだけど。

 主役を若く無名の新人ニッキー・ブロンスキーに譲って、豪華共演陣が脇を固め、喉も披露してくれる。

それにしても本作最大の功績はジョン・トラボルタを母親に配役したことにあるだろう。思いついた人は偉い。敬意を表したい。

 もっとも、舞台が先にあった本作は88年にはジョン・ウォーターズ脚本・監督で一度映画化されており、その時の母親役ディヴァイン(男優)のイメージを下敷きに、かつそれに対向できるという条件で配役がイメージされたと思われる。

 ちなみにディヴァインは88年のインディペンデント・スピリット賞で助演男優賞にノミネートされているが、本作のジョン・トラボルタもアカデミー賞レースに期待が持てそうだ。

映画 「パンズ・ラビリンス」

2007年11月13日 | 映画(ハ行)
 悲惨な現実と少女の幻想が絡まりあった世界が描かれる。

 1985年公開の同じスペイン映画「ミツバチのささやき」(ヴィクトル・エリセ監督)で、フランケンシュタインが少女の幻想として物語に絡んでくるのとテイストが近いかもしれない。ただその叙情性に対して、本作はかなりダイレクトで強烈な描写が多い。

 したがってファンタジーといっても子供が見に行くというイメージの作品ではない。ひたすらダークだ。やはり少女が主人公だったテリー・ギリアム監督の「ローズ・イン・タイドランド」もそうだったが。

 ナナフシかウスバカゲロウか、という印象の妖精に導かれて現れる、深い陰影で描かれた異界の描写が素晴らしい。

 冒頭のワンシーンで、試練に耐えた者にのみ開かれる王国の扉の物語が、過酷な現実の前に命を落とす少女の、死の間際のつかの間の幻影として描かれる物語の構造が提示される。

 なんとも切ない映画だ。