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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「蛇にピアス」

2009年01月08日 | 映画(ハ行)

 演劇界の鬼才、蜷川幸男の監督作品。

 精力的に演劇作品を演出し続けながら、よく映画まで監督できるものだと感心してしまう。しかも感性的にはまったくの異界の物語、どこまで蜷川ワールドが肉薄していくかに興味をそそられた。

 ボディピアスに刺青、の身体改造劇が逃げのない映像で痛々しく表現されるが、その先に本人たちの恍惚感があるのかどうか。ロマンポルノの巨匠が挑めば、多分その辺がうまく表現できたのではないかと思うのだが、観客として今回は引いてしまった。

 基本的な骨格は三角関係だし、それに殺人事件が絡む。濃厚な人間の業に関わるドラマにもミステリーにもなりえただろうが、そうはなっていない。改造シーンのインパクトを除けばドラマとしてのメリハリは弱く、尺が長く感じられた。現代的な風俗にも取り組んでみましたという趣で、ギリシャ悲劇やシェークスピアをものにした蜷川流の読み替えはない。

 小栗旬、藤原竜也、唐沢寿明ら蜷川組ゲスト出演の豪華さと、途中で何回か挿入される、望遠でとらえた列車の走行シーンがなんとも官能的だったのが印象に残った。

 主役の3人、吉高由里子・高良健吾・ARATA は体を張った熱演だ。

映画 「百万円と苦虫女」

2008年12月26日 | 映画(ハ行)

 蒼井優主演のロードムービー、と聞けば旅の映画かと思うが、目的のない、言わば煩わしさから逃れるための「移動」が描かれる。

 事情があって他人の荷物を捨てたことが一応刑事事件の範疇に入ることから、そうおおげさなものでもないだろうに、自ら「前科者」のレッテルを貼ってしまう。

 居づらくなった家を出ての生活が始まるが、「誰も自分を知らないところで職を得、百万円貯まったら他所へ行く」というルールを自分に課している。他者との関係がちょうど煩わしくなりかけるタイミングと百万円貯まる頃が、面白いことにリンクしてくる。

 最初、彼女と小学生の弟との関係が険悪なように見えるが、実は二人はとても良く似ており一体なのだ。映画全体がその二人の成長物語になっていることに気付く。外にいる彼女と弟をつなぐのは手紙によるコミュニケーションだ。

 ラストで、ねじれてしまった森山未來との恋愛が果たしてどういう結末を迎えるのか、余韻をもって観客の想像にゆだねられる。

映画 「ブラインドネス」

2008年12月10日 | 映画(ハ行)

 価値観が崩壊した混沌の中でいかにして支配と被支配の関係が出現するかを描いた寓意的な作品。

 同じようなテイストの作品をあげると「蝿の王」「es エス」などがある。前者は南海の孤島への漂着によって、後者は実験のため刑務所内への拘束という手段によって隔離された集団が作り出される。

 本作の場合は、原因不明で突然失明するという事態に見舞われた人たちが感染を恐れた権力によって病院に隔離される。

 その中に一人異常のない人間が自らの意思で紛れ込んでいるところからドラマが発展する。さらに健康であったはずの外部もいつのまにか感染しており、内外の境界が消滅して舞台が一挙に拡がる。

 冒頭は信号のアップで始まる。カットごとにカメラが引いていきそれが信号であることが分かるのだが。
 道を整然と走り、また止まる車の秩序正しい動きはこの信号が支配している。そのシステムが崩壊したら・・・という「秩序なき世界」に希望はあるのか、を見せてくれる作品である。

映画 「ブーリン家の姉妹」

2008年11月19日 | 映画(ハ行)

 宮廷を舞台にした重厚な歴史劇。ナタリーポートマンとスカーレット・ヨハンソン主演で、性格のまったく異なる2人の姉妹の愛憎が描かれる。

 イングランド王ヘンリー(エリック・バナ)の寵愛を得るための駆け引きは極めて現代的だし、主役姉妹2人もコスチュームをまとった現代劇のようで生き生きしている。

 「1000日のアン」という1969年の作品も同じ題材を扱っているが、こちらは純愛モノで断頭台に消えるアン・ブーリンの悲劇を描いていた。
 かわって、本作ではナタリー・ポートマンのアンがかなり積極的で、あの手この手の策略で王の愛を手に入れている。歴史の中で勢力を得ようとしたブーリン家の政略の道具になった姉妹とその行く末が描かれる。

 断頭台に消えるアンは剣で、弟は斧で斬首される。男女でその差があったのか、あるいは何を使うか執行人の得手、不得手があったのか。
 いずれにしろ大勢の人がそれを見ている。昔の人は、ちょっとした事件で心理的影響を心配する現代とは比べ物にならない、強い精神力を持っていたと見える。

 本作ではアンが姉、メアリーが妹だが、逆に描かれている場合もある。英語圏ではあまりその区別をせずにsister、brotherを使っている事が多い。

映画 「ファン・ジニ 映画版」

2008年10月28日 | 映画(ハ行)

 TVドラマも放映されており、その再編集による劇場公開かと思っていたら、監督もキャストもまったく別の独立した作品だ。ドラマ版は未見。

 ヒロインの波乱万丈の物語だ。山あり谷ありというより、身分的には貴族の娘から芸妓へという、山から谷へ一直線の転落人生であるが、そこは中々したたかだ。貴族だっただけに気品と美貌と言う武器がある。

 主役のソン・ヘギョは、映画スターとはこんな人のことを言うのだと思わせるような絵に描いたように綺麗な女優さんだ。
 韓流ドラマらしい登場人物に振られた役柄と物語のうねりが見ていて飽きない。

 ヒロインの転落を仕組んだのは、実は身分差を越えたかなわぬ愛を成就させるための男の仕業であった事が分かるが、男の贖罪が二人の愛をさらに強いものにしていく、という屈折した愛憎が見所となる。

映画 「プラネット・テラー in グラインドハウス」

2008年10月09日 | 映画(ハ行)

 B級映画のテイストを再現することがテーマの作品。

 予告4本を含むB級映画2本立ての体裁そのままに構成された191分の作品「グラインドハウス」が、独立した2本の作品として別々に上映された、これはその1本。

 ロバート・ロドリゲスが監督したゾンビ系お色気ホラー・アクションだ。もう1本を監督したクエンティン・タランティーノも本作では俳優として出演し、怪演を見せる。

 始まったと思うとこれはフェイクの予告編。その後本当に始まる本編もフィルムの傷や上映途中でフィルムが熱で燃えて途切れたり、巻紛失で一部飛んだりとB級の「雰囲気」は満点。楽しんで作っている事は分かるし、当時の雰囲気を懐かしむ映画ファンがいる事も事実だろうが、現代の観客が楽しめるかどうかはまた別の問題。

 でも、娯楽作としてのツボはきっちり押さえたつくりだ。ドギツイのが苦手な人にはお勧め出来ないが。191分のオリジナル版は、このテンションが続くとすれば間違いなく疲れることだけは確かだ。

 本来の作品が無い予告編はすでに「予告」ではないのだから、これ自体も短編と見るべきだろう。

 

映画 「ハンコック」

2008年09月26日 | 映画(ハ行)
 ウィル・スミス主演のヒーロー映画。良い意味で期待を裏切ってくれた。

 頻発されるテレビ・スポットでほとんどの映画は見た気分になってしまう。劇場で見るのはテレビ・スポットの単なる確認に過ぎないことが多いのだ。

 ところがこの作品の場合、こんな映画だろうと思っていた部分はその前半だけだった。

 ウィル・スミスの不良ヒーローものだから、マーヴェル・コッミクスの正統派アメリカン・ヒーローとはそもそも違う。「ヒーローとはいかにあるべきか?」というヒーロー論は新バットマン「ダークナイト」でも展開されたが、こちらはコメディ。コマーシャル・クリエーター一家が加わって、「ヒーローをプロデュース!」の趣となる。

 と、ここまでが前半で以降は意外やその「ヒーローの血筋」がテーマ。永遠に生きる血族の、来歴と弱点が物語を引っ張っていく。

 配役からしてシャーリーズ・セロンが単なる主婦のはずが無い、と思った人は正解。このことが後半への大きな伏線にもなっていく。

映画 「ひゃくはち」

2008年08月29日 | 映画(ハ行)

 一味違う高校野球映画。ベンチに入れるかどうかが勝負の補欠選手の野球部生活が綴られる。
「身の丈にあった努力」のレベルで物語が進行するので、華はないが共感が持てる。

 中学野球の天才ピッチャーを描いたあさのあつこ原作の「バッテリー」も面白かったが、天才の影で悔し涙を流す他の部員側から描かれるのが本作。

 その「バッテリー」でキャッチャーを演じた山田健太が高校生になり、将来を嘱望される大物新人として入部、今回の主人公を脅かすキャスティングが面白い。

 脇役の大人たちに芸達者を揃えて野球部を取り巻く地元の雰囲気が伝わってくる。

 野球のボールの縫い目は108あるそうだ。

映画 「ハプニング」

2008年08月05日 | 映画(ハ行)

 「世の中には科学では説明できない現象がある」というテーマの作品。事件だけ起こって謎解きのないミステリーのようなものだ。したがって観客にはストレスだけがたまる。

 アメリカ全土からミツバチがいなくなっているのは何故か?という教授の問いに対するある学生の答えが冒頭の台詞だ。それが伏線だと言うのなら、その伏線に沿って物語が展開するわけだが、まさかそんなことで終わってしまうとは思ってもいない。

 ひょっとしたら我々はシャマラン監督のことを長い間誤解しつづけていたのかも知れない。それでも次はきっと・・・という思いを繋いで来た。でもそれが誤解だったことにようやく気付かされたのだ。

 もう次回作は見ない。

映画 「春よこい」

2008年06月18日 | 映画(ハ行)
 佐賀県唐津市呼子が舞台になっている。美しい海の景観を誇る町が映画の舞台としてさっぱり生かされていない。単なる海辺の町ならどこでも良さそうだ。

 工藤夕貴は熱演だが、西島秀俊も時任三郎も、彼らが出演するテレビドラマの方がよほど良く作ってある感じだ。

 人物像やエピソードが安易かつ平凡なのだ。

 西島扮する新聞記者の記事がドラマの核となるが、地元の人物をあのような形でローカル紙に取り上げる結果を理解できないのかという部分で観客はしらけてしまう。

 人を殺めた父親の逃亡理由も分からなければ、定年を明日に控えた宇崎竜童刑事のドラマもなし。ボケ老人犬塚弘も画面をウロウロしているだけ。

 天下の東映が映画にするのだから、地元の人が胸を張れる「ご当地映画」にしてもらいたいものだ・・・と、今回はかなりの酷評でした。