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SEA side

静けさの中で波の音だけが永遠に響きつづける。
美しいものとの出会いの記憶・・・・。

映画 「ボンボン」

2007年11月06日 | 映画(ハ行)
 世界にはこんな映画もあるのだ、とうれしくなるアルゼンチン映画。だけど、「スパイダーマン」は見ても、この映画を見る人はほとんどいないだろうな。

 タイトルの「ボンボン」は犬の名前。ただし主人公というわけではない。しかもベンジーやラッシーのように愛らしいわけでもない。ぶっきらぼうでいかつい狩猟犬だ。
 しかし、ただそこにいるだけの存在感になにかホノボノとしたものが漂う。

 これまでアンラッキーだった主人公と出会い、その人生に好転をもたらす幸せのシンボルのようなものだ。(オスの犬なので「あげまん」とは呼べない。)
 その見かけによらず奥手なボンボンの童貞喪失までが一つの波乱を与えることになる。

 フランスから来た犬なので、途中まで、柵に書かれていた犬舎名「・・・・Le Chian」が名前だと思って「レチャン」と呼ばれたりしているところも可笑しい。

映画 「フランシスコの2人の息子」

2007年11月02日 | 映画(ハ行)
 あまり馴染みのないブラジル映画。
 実在の兄弟デュオシンガーが、いかにして国民的人気アーティストになったかを描く。

 貧しい幼少期から現在までが描かれるが、2人の息子といっても、途中からデュオの片方は入れ替わりもう一人の別の弟がパートナーとなる。(だから正確には3人の息子なのだ。)その悲劇的な事情を含む波乱万丈の一代記風だ。

 しかし、幼少期パートの少年デュオが抜群に良いので、後半がやや冗長に感じられる。重心の置き方など全体のまとめ方を変えればさらにシャープな秀作に仕上がったと思う。

 ラストにはモデルとなった現実の兄弟が画面に登場している。

映画 「パーフェクト・ストレンジャー」

2007年11月01日 | 映画(ハ行)
 面白くなりそうな題材が平板に仕上がっている。
 ハル・ベリーとブルース・ウィリスのスター映画だが、ブル-スの方は見せ場がない。なぜ彼があえてこのオファーを受けたのか?と言う印象である。

 ある幼い日のトラウマが犯罪の引き金になっているものの、十分に正当性の認められるものなので、そのために犯罪に走るということに説得性がない。

 誰もが怪しげで次々に新しい事実がわかってくる。その末に待ち受ける「衝撃のどんでん返し」なのだがドラマのメリハリが無く、衝撃と言うより、「そう来ましたか」程度に受け止めてしまう。

 予告を見てワクワクしていた時が、思えば一番良かった。というのも悲しい気が・・・・。

映画 「包帯クラブ」

2007年10月01日 | 映画(ハ行)
 柳楽優弥の主演作。「誰も知らない」以降、必ずしも出演作に恵まれたとは言いがたかったが、本作は面目躍如の堂々たる主演だ。しかもこれまでと違うワイルドなイメージで役者としての幅が広がった。

 共演陣はいずれも手堅い青春スターで固められた。ある時は大学生だったり、またあるときはすでに社会人を演じてきた俳優たちが今度は高校生だ。ほかに実年齢に近い役者はいないのか?と思わせるくらい色んなところに色んな役で出てきた青春スターばかり。しかし、あまり違和感も無くちゃんと高校生をこなしているから見事なものだ。実は柳楽優弥が一番若いと言うのも分からないくらいだ。

 「包帯クラブ」は社会の裏側で人の心を癒していく秘密クラブのような存在だ。江戸時代だったら「必殺仕置きクラブ」になっていただろう。

 人のつながりが希薄な現代、他人の心の痛みが分からないかのような犯罪が増えている。そんな時代にむしろ、ネットだからこそ可能なコミュニケーション方法で「癒し」を実現していこうとする試みが斬新だ。しかし、そのクラブの構成員自身も癒しがたい苦悩を内に秘めているのだ。(原作は天童荒太の同名小説)

  舞台となっている地方都市・高崎の景観が効果を高めている。大都会でもド田舎でもこの物語は成立しないだろう。

 クラブの構成員は柳楽優弥、石原さとみ、田中圭、貫地谷しほり、関めぐみ、佐藤千亜妃の6人が演じている。

映画 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」 ~ 少年役の青年

2007年08月29日 | 映画(ハ行)
 シリーズ第5作。
 高層ビル群が画面に出てきて「ハリー・ポッター」の舞台は現代だったのだと改めて思い出した。

 本作では主人公も成長し、苦悩の色が濃い。苦悩が描かれると物語の深みが増す。

 ただし登場人物がやたらと多く、複雑なストーリーをとても138分の中でさばき切れていない。

 そもそも「騎士団」というのが良く分からないし、ハリーの率いる魔法学校生徒の軍団もいる。アズガバンから脱走した囚人集団もいてその一人をヘレナ・ボナム・カーターが演じているくらいなのに、これがまたどういう位置付けなのか分からない。

 ハリーのキスシーンはやたら長いような気がするものの、その彼女の裏切りによる密告、そしてそれが薬物による拷問であったことが分かった後どうなったのかなど未消化エピソード満載という印象である。

 原作をばっさり脚色するか、あるいは内容的にすでに子供向けではないので、思い切って4時間近い大作にするとか前後編の2作に分けるとかしないと、原作のつまみ食いか本編そのものがダイジェストのような味わいになってしまう。

 だけど、では見なければ良かったのかというと、嫌いではない。苦悩による「深み」が魅力だ。その分、小学校低学年が夏休みに見に行く映画ではなくなってくるけれど。

 その苦悩は青年期特有の憂鬱かと思ったら物語上の年齢設定は14歳だそうで、早く取り終えないと俳優の実年齢は隠しようが無く、心配になってくる。
 もっとも邦画「ラフ」の冒頭では速水もこみちが中学生をやっていたけどね。

映画 「ボルベール〈 帰郷 〉」

2007年07月13日 | 映画(ハ行)
 6人の女性を核にした濃密なドラマが展開するペドロ・アルモドバル監督の新作。
 その6人全員がカンヌ主演女優賞というのは前代未聞だ。

 2つの殺人事件が絡むがミステリー映画にはなっておらず、ストレートな感動を呼ぶ傑作に仕上がっている。
 ペネロペ・クルスがラテン系の情熱と活力を感じさせる「強い女性」を熱演する。かつてのイタリア映画ならソフィア・ローレンがやった役かなぁ、などと思う。

 カメラと人物の距離感が抜群で、いつしか物語の中にスッポリと入り込んでしまっているのに気付く。(だからこそまったく違和感が無く、鑑賞中は逆に意識しないのだ。)アクション映画ではないから、カメラが引いて背景を写しこむ必要も無いわけで、じっくりと「ドラマ」を見せ、「ドラマ」で魅せてくれる。

 冒頭のタイトルの見せ方が粋で、ラストのクレジット・デザインも美しい。本編が終わるや席を立つ人の気が知れない。

 それにしてもニコル・キッドマンにしろ、ペネロペにしろ、トムと別れると女優は輝きを増す、というのも不思議だ。

 邦題は「帰郷」じゃ客を呼べないのか?意味がわからなくてもカタカナにする方が良いという判断もなんだか・・・・。

映画 「ブラックブック」

2007年07月10日 | 映画(ハ行)
 オランダの対ナチス・レジスタンスを一人の女性を主人公に描いている。それにしてもナチスの爪痕はいたる所にあったのだなと知る。

 ユダヤ人であるために追われ、家族を殺された女性がレジスタンス活動に身を投じ、ドイツ将校に取り入ってスパイを働くところから生まれるサスペンスが物語の主軸となる。

 ヒロインは過酷な運命に翻弄され、ドイツ側の協力者として捕らえられ凄惨な仕打ちを受ける。しかし、過去に映画で描かれた同様な立場の女性(たとえば「マレーナ」のモニカ・ベルッティ)のような哀れさがあまりない。

 主演女優カリス・ファン・ハウテンのコケティッシュな明るさのためだろう。さらにラスト近くはレジスタンス・グループ内の裏切り者が誰か、追い詰める女探偵のようでもある。むしろたくましい女性と言えるかもしれない。

 ただ、物語は回想になっており、冒頭とラストに現在形の彼女の生活が描かれる。難民キャンプのようなところで教鞭をとっているようだが、一つの戦争が終わってもまた別の戦いがいまだに生活を脅かし続けていることが分かる。

 ポール・バーホーベン監督作品としてはこれまでのあくの強さがやや弱まった感じだが細部には「らしさ」が見て取れる。

映画 「プレステージ」 ~ 私は誰?ここはどこ?

2007年07月09日 | 映画(ハ行)
 知的迷宮とでも言うべき作品。

 鑑賞後の感想は多分3つに分類されるだろう。
 1 迷宮に迷い込んで方向感覚を無くし、さっぱり分からなかったと言う人。
 2 ラストのどんでん返しにびっくりし、素直に面白かったと喜ぶ人。
 3 途中で結末が分かり、精巧に組まれた複線を思い出して迷宮の構造に感嘆する人。

 クリスチャン・ベールとヒュー・ジャックマンが宿命の対立関係にある二人のマジシャンを熱演し、そこにマジックの舞台を支えるスカーレット・ヨハンソン、マイケル・ケインが絡む。
 さらにその時代、エジソンと対立する世紀の発明家に扮するのがデビット・ボウイという豪華配役。

 クリスチャン・ベールベール、マイケル・ケインは「バットマン ビギンズ」に続くノーラン監督作品への出演。

 獄中のベールにジャックマンの手記が差し入れられ、読み解かれるその中身が映像として進行していくが、手記の中にジャックマンが盗み出したベールの手記に関する記述があり、構成はまさに迷宮。だけどそう分かりにくくはない。
 さすが「メメント」の監督だ、と言うことなのだろう。

 全編の鍵はデビット・ボウイ扮する科学者の発明した怪しげな機械の存在にある。中世の錬金術に匹敵するようないかがわしさだ。
 だけどこの映画を鑑賞する現代においては、それに匹敵する遺伝子技術があるわけで、けして絵空事ではなく、むしろこのような筋立てにその技術が応用されたらと考えると空恐ろしくなってくる。

 「私とは誰なのか?何なのか?」クリストファ・ノーラン監督は、神が創った「アイデンティティ」という領域に人間がどういう形で踏み込んでいくか、という壮大なテーマに挑んでいる。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」

2007年07月04日 | 映画(ハ行)
 ものすごい動員力。しかし見て初めて、この長さと分かりにくさが分かる。最初からそれを知っていれば誰も行かないか、それとも、とにかくジョニー・デップだから行くのか?
 デップ・ファンには大サービスだ。マトリックスのエージェント並に何人ものジャック・スパロウで画面があふれるシーンが用意されている。でも、なぜ?かは分からない。

 登場人物は多いし、彼らが皆、前作・前々作は周知の事実として、しゃべるし動くのだが、観客の方は直前復習組以外そんな前の話、ディテールを覚えてはいない。名前が語られてもそれは誰のことだったか・・・、とにかく混乱のきわみである。
 そもそも海賊たちの目的や敵との確執はどういう筋立てだったのか。終了後に解説を読んで初めて分かった。
  
 こんなレベルで作品を見て、良かったとか面白くなかったとか言っているのだ。

 でも、分からないなりに、ビジュアルはエンターテインメントのつぼを押さえており、それなりに見せてくれる。
 2はモンスターのスペクタクルにすべてがつぎ込まれていたが、3は海賊の活劇に見応えがあり、パイレーツ・ムービーらしい作品になっていた。
 スパロウが送り込まれた白一色の砂の海や、石のようなカニの大群など、シュールな味わいのシーンも忘れがたい。(全体のトーンからは浮いていたが)

 主役級の役どころがあるのに、今回は脇の出番がそれに匹敵するくらいで、全体として群像劇のようになってしまった。それがまた面白くもあるが。 

 見ずに出てきた人も多かったと思う、長いエンドクレジットの後に描かれるワンシーンは切ない。七夕でさえ1年に1度なのに、こちらはそれが10年なんだから。

パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド読本

2007年07月03日 | 映画(ハ行)
 A4サイズの半分折りで、4ページの構成にしてある。しかも中を張り合わせて、読む意思を持つ人のみが開いて見るように出来ている。
 というのは、ネタバレ要素満載だから。

 表は登場人物の相関図があり、1,2作をおさらいする意味でも本編鑑賞の参考になる。できればここは鑑賞前に見ておきたかった。だって、ジョニー・デップやオーランド・ブルームが出ていることくらいは覚えていても、細かいところはとうに忘れてしまっているのだから。

 でも、これが鑑賞後、劇場を出ようとするところで目に触れる仕組みになっているのだ。で、よく読むとラストクレジットの後に見逃すべきでない場面が描かれると書いてある。
 そこまでしっかり見てきた私の場合は問題ない。
 しかし、あのやたらと長いクレジットを、最後まで見届ける気力を最後まで維持できない人も多かったはずだ。だって、本編そのものを「長い」と感じたその後に続くのだから。

 そのラストを見ずに家に帰って読本を読んだ人は、この記述に気付いてショックを受けるだろう。ご丁寧に、読本下部には切り取って鑑賞割引を受けられるクーポンもついている。もう一度見に行けという魂胆か?

 せめて入場の半券もぎり時に観客に渡すくらいのことはやって欲しかった。それはやるな!と配給会社から指示でもあったのかと疑いたくなる。