ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遥かなるノース・カントリー・メイド(前編)

2011-02-11 02:44:44 | フリーフォーク女子部
 ”1st”by Marianne Faithfull

 という訳で、あいかわらず肝心の3rdアルバム、”ノース・カントリー・メイド”が手に入らないマリアンヌ・フェイスフルなのだが。興味を引かれている彼女の”フォーク期”のその他のアルバムなどは、手に入りつつある。
 たとえば今回のこれは1965年4月、英国デッカから発売された彼女のデビュー・アルバムのようなもの(?)である。
 ようなものってのも変な言い方だが、当時、レコード会社は彼女を普通のポップスを歌わせるか、その時点で流行だったフォークっぽい方向で売り出すか決めかねていた形跡がある。で、めんどくさいから両方出しちゃえというんで、ほぼ同時と言っていいタイミングで2種のデビュー・アルバムが出ている。ポップスよりのものとフォークよりのものと。

 あるパーティでマリアンヌを見かけ、その清楚な容貌が気に入ってしまったストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの鶴の一声でショー・ビジネスの世界に引っ張り込まれたという彼女らしい、ドサクサ話であります。
 あ、これには「心ならずポップス歌手としてデビューさせられた彼女自身が、フォーク歌手への転身を望んだから」との説もあります。そちらの方が本当かもしれない。でも、こちらの話のほうが好きなんで、ドサクサ説を取ってしまいます。いずれにせよ彼女のデビューにあたって、趣きの異なる2種のアルバムがほぼ同時にレコーディングされた、というのは事実のようだ。

 で、有名な”アズ・ティアーズ・ゴー・バイ”を含むこちらはポップスよりのものということになる。実際、いかにも1960年代の英国ポップスっぽいというか、当時のヨーロッパのどちら方面に行きましても見かけることが可能だったような軽い流行歌を歌う、清純なる美少女マリアンヌ・フェイスフルの姿がここにある。当時マリアンヌ、19歳。
 古きヨーロッパの都会の石畳の道。雨上がりの日曜日。流行のファッションに身を包んで現われたマリアンヌの青春の輝きに被さるように、ロックのリズムに乗ってチェンバロの間奏が、チンチロリンとバロック音楽のフレーズで駆け抜けます。

 さて、フォークとポップス、彼女にはどちらが向いていたろう?とかいうほどの問題じゃない、まずデビュー当時の浅田美代子など思い出してしまった歌唱力の新人歌手マリアンヌの何を論ずれば良いというのだ?か細く震えながらフラフラとメロディにすがりつくように歌い継ぐ彼女の歌唱は。まあ、ロリコン趣味の人にはたまらんでしょがね、と申し上げるよりない。で、ちなみに。すいません、私、結構、その趣味があります。
 そんな事情を加味して話を聞いていただけるなら、これは60年代英国ポップスの傑作のひとつと言えるんではないか。可愛いしね。爽やかだしね。不安定な、ハラハラさせるような部分も、キュートな味わいとしての作用をしているし。良い出来上がりだと思う。

 こうして、ストーンズのミックやキースなどをお相手に配し、ドラッグとセックスと、その他さまざまな芸能ゴシップ満載のマリアンヌの青春が幕を開けるわけだが、あ、その前に、もう一枚のデビュー・アルバム、フォークよりのほうのものの話を(続く)