ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スコットランドの行路灯

2010-11-25 01:17:20 | ヨーロッパ

 ”Air Chall∼ Lost”by Rachel Walker

 スコットランドの民謡歌手の中では、もう伝説上の存在みたいな感もあるレイチェル・ウォーカー。これは彼女の4年ぶりの新譜。堂々の横綱相撲、みたいな落ち着いた出来上がりである。
 特別、熱唱をする訳でなく、むしろ淡々とケルトの民の残した言葉、ゲール語で古き伝承歌を歌い紡いで行く。もうベテランのはずの彼女の声がいつまでも瑞々しい響きで聴こえるのは、そのか細い美声のせいなんだろう。深い森に住む妖精の物語を歌うに、いかにもふさわしい。緑の森の息吹が、まさに彼女の歌声に乗ってこちらに伝わってくるのだ。
 一体何歳になるのか知らないが、いつまでも神秘の美少女のイメージがある人である。

 今回のアルバムも彼女らしい”凛”とした手触り。しっとりとした情感が終止流れていて、まさに深い森の緑に抱かれたような気持ちにさせられる。
 今回の盤、タイトルにも”Lost”の文字が見えるが、”喪失”がテーマとなっているととるべきなのだろうか。最後に置かれた、恋人を海で失った女性の嘆き歌がとりわけ印象的だ。他に、生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら、水夫の夫の帰りを待つ妻の歌や妖精に恋した男の不思議な物語など。伝承曲7曲、自作曲4曲。

 途中、11曲収録中の6曲目だからアナログ盤だったらA面の最終曲になるのだろうか(申し訳ないが、いまだにこういう聴き方をしている。CDの曲順を見ながら、「これはB面の3曲目に相当するんだろうな」などと)そのあたりに置かれたアルバム中唯一の英語曲、”Home On My Mind”にもドキッとさせられる。
 そこでは、それまでゲール語で繰り広げられていたファンタジィの霧がひととき晴れ、生身の彼女が生きる、剥き出しの現実が顔を出している。深夜の都会の通りと孤独の物語。通り過ぎた雨が濡らしていった歩道が行路灯の明かりに光り、冷たい風が吹き抜け、彼女は夫と幼い子供たちが待つ家を想う。

 すべては過酷な現実の上に頼りなく浮ぶ泡のようなもので、そいつはふとした運命の気まぐれで一瞬にして失われてしまう。その儚さの中で人が最後に信じ、握り締めるものは何だろう。
 さて、彼女からの次の便りは何年後になるんだろうな。