ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

もう一つの牢獄、もう一つの脱出

2010-03-16 01:56:48 | アフリカ

 ”DAKAR - KINGSTON”by YOUSSOU NDOUR

 なんかユッスー・ンドゥールの新譜ってのが微妙な話題を呼んでいるらしいですな?私はユッスーの、というかセネガルの音楽自体にあんまり興味がないんでまだ聴いていない、というよりこれからも聴くことはないんですが。でも、その話題になりようにはちょっと興味をもった。

 なんかユッスーの新譜はレゲ集なんだそうですね。で、彼の支持者の皆さんの感想としては「なぜ、今レゲ?」という肩透かしを食った戸惑い気味の困惑って感じのようだ。レゲのカヴァーなんかじゃなく、セネガル独特の、ンバラっての?それをきっちり聴かせて欲しかった、とファン諸氏の心には、「アルバムが出たのは嬉しいけれども、めでたさほどほど」みたいな不満がわだかまっているようです。

 そこで私は思い出したことがある。昔、アフリカ生活の長かった人がエッセイか何かに書いていたんだけれど、アフリカで一番一般的に聞かれている"ポピュラー音楽"は実はレゲなんだそうで。リンガラがブラックアフリカを席巻したのなんのと言っても、もうとんでもないド田舎の村に行って、とにかくラジオから聴こえてくるのはレゲだった、なんて。
 つまりはそういうことじゃないのかなあ?

 アフリカのミュージシャンがアーティストとしての野心も何も抜きに無防備で音楽やっちゃうと、レゲになってしまう。ユッスーの新譜を覆っているのは、そんな”ぶっちゃけ現象”の発露というべきものじゃないのか?
 そして、ワールドミュージック・ファンが高い評価を与えている”彼らのルーツ&ポップミュージック”って、実は現地ミュージシャンにとって、すごく無理してやっている不自然な音楽の側面もあるんではないか、なんて気がしてるんですよね。

 もちろん、そうではない、現地の大衆の間から自然に沸き起こってきた台地の調べであったりするのでしょうが、その反面、彼らミュージシャンの心の底に、時に、こんな不満が炸裂する時もありはしませんかねえ?

 いわく。
 「なーにがグリオの伝統だよ。年がら年中、そんな辛気臭い音楽をやっちゃいられねえってんだ。俺はなあ、ストーンズを聴いてミュージシャンに憧れた人間なんだ。今、本当に作ってみたい音楽はボブ・マリーの”ワン・ラブ”なのさ。ンバラ?ああ、やるとフランス人が喜ぶ音楽だろ?」

 私は問題のアルバム、そんな風に静かに静かにユッスーが切れて見せた一発じゃないかと推測してるんですが。

 まあ、一度も聴いた事のないアルバムの事をよくもまあ平気であれこれ言うなあってなものですが、上の文章を普通に読んでいただければ、これはユッスーの新譜の評判を取っ掛かりに、ワールドミュージックに接するにあたって、私が以前より気になっている事を述べてみたもの、とご理解いただけるはずです。



南に飛ぶ想い

2010-03-15 02:41:53 | 南アメリカ

 ”Lugares comunes”by Inti-Illimani

 曇り空の下、プラットホームに楽器を並べて汽車(電車と書くより風情があろう)を待つジャケ写真に、このベテラングループ、インティ・イリマニが背負って来た特異な”旅愁”が忍ばれる。
 1967年結成のチリのベテラン・フォルクローレ・バンド。たまたまヨーロッパ・ツアー中に故国でピノチェト将軍のクーデターが起こり、そのままヨーロッパに留まらざるを得なくなった、”長き旅路”の日々。

 とはいえ、亡命生活を彼らは有意義な研鑽の日々として生かしたのではないか。たとえば冒頭、パーカッション群に支えられてクラリネット、フルート、ヴァイオリンが室内楽的に絡み合う表現の深い美しさには陶然となってしまう。この抑制の効いた美しさなどは・・・
 いや、時の流れは容赦なく、もうオリジナル・メンバーは二人しか残ってはいない。若手へのバトンタッチは進んでいるのだが。

 その若手の一人はキューバから来た黒人であったりし、グループの汎中南米化は進んでいるようだ。演じられる音楽も、南米各地の根の音楽をミクスチュアし洗練させた、知的興奮を誘う奥行きの深いものである。風はアンデスの山中からブラジルのショーロの嘆きを伝え、メキシコの太陽の輝きを歌う。
 不勉強でスペイン語が分らず、彼らが静かな口調で描き出す、南米諸国の民衆の喜怒哀楽を受け止めきれないのが無念なのであるが。

 曇り空の下、異郷の冷たい風に吹かれつつ育んだ豊かな音楽。決して激せぬ抑制した語り口の奥に、母なる南の大地と過酷な運命に不当にも翻弄される人々の面影が過ぎる。ニーノ・ロータに捧げられた最終曲の美しいメロディが妙に後を引く。
 そして音楽が終わり、CDを納めて裏ジャケを見れば、彼らの立ち去った後のからっぽの駅が風に吹かれているばかりである。



燃え残りし我ら、この岸辺で

2010-03-14 02:59:22 | その他の日本の音楽
 ”果てしなき闇の彼方に”by おぼ たけし

 深夜も深夜、午前2時とか3時とか4時とかいう時間帯にテレビがアニメの番組を流し始め、「なんだこりゃ?」と呆れたのも、もはや遠い昔、そんなものはいまや見飽きた日常の光景となってしまった。考えてみれば、「ではアニメの放映が、夜の早い時間帯や昼間なら正常といえるのか?その根拠は?」と問われても応えようがないのであって。

 ひときわ印象に残っているのが、水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」の原型である貸本漫画時代の作品、「墓場鬼太郎」のアニメ化されたもの、なんて代物を何の予備知識もないままに偶然深夜のテレビで見てしまったことだ。
 おそらくはじめからある種の効果を狙って作られていたのだと思うが、アニメというには妙に動きが少なく薄暗い、夜店の幻燈ショーみたいなその映像作品に人の寝静まっている深夜、一人で向かい合っているのは、子供の頃、風邪の熱に浮かされるままに見た悪夢との再会を思わせた。

 そして・・・これは数ヶ月前の話となるのだろうか、その日もブログの原稿打ちながら横目でテレビの画面を見つつ無駄に時間を過ごしていたら、「あしたのジョー2」なるアニメが始まったのだった。時はもう午前4時を廻っていたと記憶している。
 「あしたのジョー」に関して私は、強力に熱中していた連中のすぐ下の世代に属している。リアルタイムでファン化するのも可能だったが、もちろん私があのようなものに反応するはずないね、私は当時、マンガに関しては「ガロ」などのアングラ・マンガを暗い顔で読み耽る出来損ないの文学青年もどきだった。

 で、ちょうどいいや、あれがどんな物語だったのか、遅まきながら確認してやろうとそれなりに気を入れて画面に向き直ったのだが、どうも雰囲気がおかしい。60年代と70年代の狭間という熱に浮かされた時代の空気があまり感じられないのだ。妙に整然と進行するストーリーによる意外なほどのクールな空気感がかもし出す雰囲気は、むしろ先にあげた「墓場鬼太郎」の静けさを連想させる。私の場合、それを見た夜明け近い深夜という条件がますます作品の「しらっちゃけ感」を倍化させた。

 おかしいなと調べてみた結果。タイトルにある「2」がクセモノだったのだ。本作品ともいうべき「1」のほうは1970年から1年間、いわばリアルタイムで製作されたのだが、途中で急進行するストーリーがアニメ製作に追いついてしまい、やむなく途中でアニメは製作中止となったとか。そんな無茶なと思うが、まあ、あの時代はそんな時代だった。
 そして、その先の物語をフォローすべくアニメ「2」が作られたのがおよそ10年後の1980年だった。10年もの時が過ぎれば、血気盛んな若者もそれなりに現実の苦さを知るようになる。なにより、時代の喚起した熱が10年もの歳月を同じ熱さをもって燃え盛るのは不可能だ。

 物語の中に潜んでいた様々な矛盾も「2」においては製作者の手が入り、論理的なストーリー展開が実現されたのだという。しかし、”論理”なんかで受けていた作品だったのか、あれは?
 そもそも1980年に「あしたのジョー」なんて話題になっていたっけ?明らかに時代は変わっているのだから。
 まちがいなく「あしたのジョー」は、1960年代と70年代と言う、まさに世の中が熱に浮かされていたような不思議な時の狭間に燃え盛った奇怪な炎の一形態であった。そいつを、どのような事情があったか知らないが、10年もの時を置いて、しかも論理の矛盾(おそらく、そこにこそ虚実皮膜のドラマの玄妙な間があった)を洗い流してきれいに整地した続編を世に送り出してしまうとは。負け戦は目に見えている。

 しかし、「1」と「2」の、どちらもでチーフ・ディレクターをやっている出統氏(ちなみに私、この名は初対面で、どのような方か、まったく存じ上げません) をはじめ、スタッフたちは、この作品を作らずにはおれなかったのだ。青春残侠伝に片をつけねばいられなかったのだ。真っ白に燃え尽きて、なんてカッコいい終わり方が青春の出口に用意されている事などあるほうが不思議な、カッコつかない人生なのだから。
 などと勝手な当て推量を胸に秘めつつ、いつしか私は深夜の「あしたのジョー2」を楽しみに見るようになっていた。

 「2」のタイトルナンバーである、「果てしなき闇の彼方に」を、オリジナルのおぼたけしの唄と、なぜか後半流れるようになった作詞作曲者である荒木一郎本人歌唱の両ヴァージョン聴きたいがために、「あしたのジョー・サウンドファイル」なるCDまで買い求めた。
 さすが荒木一郎は、”それ”を過ぎたもの、過ぎ去ってしまったものとして、むしろ鎮魂歌といえる形態の曲に仕上げている。曲の形態としてはむしろブルースである。今、私にとっては一杯やったときの最愛好曲である。

 そういえば今度、「ジョー」を実写版で取り直すんだって?やめとけばいいのにねえ。絶対にそれは失敗作になる、それはもう決まっているんだからさ。カッコいい時代はもう、ずっと昔に過ぎていってしまったんだからさ、俺たちを置き去りに。そんな俺たちの見るべき夢は他にある。



音楽の面影

2010-03-13 04:19:39 | 音楽論など

 んごっ。んっんっんっんっ。んごんごんごんごんごんごんごんごっ。ごっごっごっ。んごんごんごんご。ごごごごごごごご。んごんごんごんご。んごっ。んごっ。んごっ。んごっ。

 ぶんたった♪ぶんたった♪へなはれ~ほねへれ~けへねふれへれ~くふめれ~へねへれ~ふへねくれとろ~ふなはれ~ほれるね~へけるくらはほ~~~ほこほねれらえけれそ~ふねへえれそも~~~ぶんたった♪

 ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわぴぽぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわぴぽぴぽ。ぴぽ。




To-Ya、あの頃の唄・・・

2010-03-11 00:10:31 | アジア
 ”First Album”by To-Ya

 今月のミュージック・マガジンの”K-pop特集”など見ながら、えらいことになっちゃったなあ、とか呟いたのであります。隔世の感、というのだろうか。
 だってさあ、この記事を見た若い世代が、かって韓国では日本語の歌はご法度だった時代があるとか、信じられるだろうか。なおかつ、韓国側が日本の唄を禁じたのは、日本のショービジネスに入ってこられると、まだ未発達だった韓国の芸能界がひとたまりもないと恐れたから。と・・・これはそのような説があっただけなのかな?とにかくそんな風に言われていました。
 それが、こんな風に日本の音楽雑誌に、それも理屈っぽいことでは定評のある(?)MM誌で特集が組まれるほどの勢いで、逆に日本に侵攻してきているのだから。

 という訳で、そんな時節にあえて10年前の話を。今はもう解散してしまった韓国の女性コーラス・グループ、”To-Ya”であります。知ってる人がいたら、その反応は「懐かしい」でしょう。アイドルグループではなく女性コーラスと言ったのは、ちょっと大人の雰囲気が売りの彼女らだったから。
 彼女らは、どういう事情があったのか、韓国から日本にやってきて、まず日本でデビューしています。なんか日本のテレビ局が番組内でした企画として、彼女らが呼び寄せられたそうな。
 この辺、歯切れが悪いですが、実は私は全然その動きの実態を知らない。そんな事があったなんて全然知らなかった。何ごとが起こっていたのか、リアルタイムで見届ける事も出来たのになあ。

 ともかく、それが2000年の出来事。その翌年、彼女らは韓国でデビューします。日本でのデビューはあくまで企画の上のお遊びで、こちらが本当のデビューと言うべきなのかもしれません。そしてリリースされたのが、このアルバムです。
 ほぼ10年前のアルバムなんだけど、この時点でもう、韓国R&Bのスタイルって出来上がっていたんじゃないか。”ソウルフル”という事象の韓国風解釈が彼女らの歌声の中にパワフルに突き抜け、バシバシと押し上げてくるボトムのリズムに煽られつつ、力強く躍動している。R&B系アイドル・ポップスとして、今聴いても魅力的な作品と思います。寄せ集めグループゆえ、と言うことなんでしょうか、ソウルっぽいボーカルとアイドルそのものの歌声の交錯するあたりも、奇妙な魅力として聴こえてきます。

 そして、確かに10年前の作品ですね、なんかどこかにのどかな響きが潜んでいる。そいつが何だか妙にいとおしく感じられるんですわ、今となっては。今日の韓国ポップスの、あの刺すような鋭さとは違う、ぬくもりみたいなものがね。
 彼女たちが本国以前になぜか日本でデビューする羽目になった、その詳しい事情を私はいまだに知らずにいるんだけれど、どのみちテレビ番組の悪乗り企画なのでしょう。さらに、グループの活動低迷期にメンバーの一人が日本のレストランでバイトをしていたのにファンの一人が遭遇した話、なんてのも聞きました。
 そんな逸話と、このアルバムの中に流れる人肌の温もり、そして過ぎてしまった時の流れが、なんだかセンチメンタルな思い入れをいつの間にか育んでしまっています。

 現在、メンバーの一人は結婚し、後の二人は別のグループのメンバーとしていまだ活躍中と彼女らの近況を聞いていますが、とりあえず彼女らに幸福なる日々をと祈っておきましょう、月並みですけど。いやあ、ほかになんか気の聞いた結びの言葉がないかと思うんですがねえ、こんな時。



古きアジアの岸辺に

2010-03-09 01:48:19 | アジア

 ”WHARN GUNGWARN VOL.1”by KUMWHARN WEERAWAID

 寒いね。この間、春一番って吹いたんじゃなかったっけ。なのに寒いね、もう3月なのに。地球温暖化とかいうのはイカサマだ、というのの、これは証明なのか、その逆の証明なのか。もはやどういう理屈だったか分からなくなってる。

 さっき海辺のコンビニに買い物に行ったついでに、夜の海岸遊歩道を歩いてみた。夏になれば深夜であろうとスケボーやる奴はいる、犬の散歩をする奴はいる、それらを避けて道の端に寄れば、人目を避けて寄り添ってる二人連れにけつまずいてしまう、そんな場所だが、さすがこの季節、この時間に人影はない。
 通りに沿って一直線に夜風は吹き抜け、通りから見下ろすヨットハーバーからはギシギシと繋索の鳴る音が登って来るのみだ。海沿いのホテルのネオンサインは暗い水面に映り込んだまま凍りついている。
 この数日、雨やら寒さやらを言い訳にサボりっぱなしのウォーキングの埋め合わせに歩いてみようとしたのだが、いや、寒くてやっちゃいられないから簡単に中止してしまったのだった。

 こんな季節に聴いてみたくなった南の国タイの音楽があった。ジャンル的にはタイの演歌といわれるルークトゥンというジャンルのもののようだが、とはいえ陽気な大衆歌謡の賑わいとは段違いの、意外な世界が広がっている。
 ともかくしっとりと濡れたような静けさに包まれた、祈りにも似た静謐な歌世界なのだ。と言っても宗教臭さではなく、どちらかといえば過ぎ去ってしまった優しい時代への郷愁に満ちた優しい人肌の静けさなのだ。

 一瞬、ルークトゥンではなくクロンチョンか?とも思ったが伴奏が違うし、音楽の雰囲気がまるで違う。クロンチョンの潮騒のざわめきのような寄せては返すリズムのさざ波はここにはなく、あるのは悠久の時の流れの中で、旅人たちが古道に残して行った足跡一つ一つみたいな遥かなエコーを感じさせる控えめな拍動だけである。
 これは、ルークトゥンの懐メロ集とか、そんなものなのではないか。他国のものとばかりも思えない、こちらの懐にまでもぐりこんでくるような懐かしさは、その曲調に日本の古い歌謡曲なんかにも通ずるニュアンスを潜ませているから、と思える。

 このアルバム、毎度タイ関係では頼りにさせていただいている”ころんさん”のブログで知ったのだが、ころんさんはこのアルバムに”東アジア歌謡の古層”を想定して論じておられた。なかなかに血の騒ぐ展開と思える。とはいえ、それに加担しようにも、こちらはまるでタイ歌謡の知識も持ち合わせない。けど、勝手な空想を広げて楽しむことは勝手だろう。

 絶妙にコントロールされたKUMWHARN WEERAWAID 女史の歌声は、シンと静まり返った水際にポツンと落とした水滴がそっと波紋を広げるように繊細なヴァイブレーションをもって広がって行く。東アジアの民衆文化の流れの淵に沿って。
 目の前に暮れかけた広い空が広がり、その空の下、遠く遠くに懐かしい人がいる。もう会うことも叶わない人なのだけれど、せめて子供の頃に習い覚えたこの歌をあの人のいる方角に向って歌ってみましょう。
 そんな想いの一つ一つを、フルートやアコーディオンやストリングスの柔らかな響きがそっと包み込み・・・東アジアの空は暮れて行くのだ。


 (もの凄く残念なことに、このアルバムの試聴は見つけることが出来なかった。これは絶対、聴いて欲しかったんだけどねえ。
 と言って、何も貼らないのも淋しいんで、大物ルークトゥン歌手のスナーリー・ラーチャシーマーのものなど下に。まあ、上の文章とあんまり関係ないけど、懐かしめのルークトゥンてこんな感じ、という紹介の意味で)



バンジョー弾きのベル・エポック

2010-03-08 00:57:42 | ヨーロッパ

 ”Lucettina”by jean-Marc Andres

 フランス人のバンジョー弾き。おそらくデビュー作であろう前作は、達者過ぎるテクニックのバンジョーのソロでラグタイムを弾きまくった賑やかな一作だった。ただ、あまりにもテクニックに走り過ぎたゆえに、逆に聴いていると単調に感ずる、という演者も聴く側も悩ましい結果に終わっていた。
 が、今作は”ベルエポック・アンサンブル”と称する、バイオリンやアコーディオンなどをメインに配した小楽団をバックに、”引き”の魅力も考慮に入れた懐の深い音楽で勝負に出てくれた。こいつはのんびり酔える。楽しい。

 演ずるは、ノスタルジックであくまでお洒落なオールド・ヨーロピアン・ジャズの世界。”花の巴里”なんて古い言い回しがいかにも似合う。
 当然思い浮かぶジャンゴ・ラインハルトのジプシー・ジャズのエコーも遠く近くに感じられる仕掛けになっている。ジプシー・ジャズかミュゼットか・・・気品あるスイング音楽の世界。

 このようなバンジョー音楽がベル・エポックの巴里で演奏されていたかどうか知らないのだが、あっても何も不思議ではないと思える、見事な振り返り音楽っぷりなのだ、すべてのサウンドが。電気楽器も一つもなし、おそらく各楽器の即興演奏の際に使われるフレーズも、戦前のパリで使われた音使い限定で行なわれているのではないか。ここにSP盤の針音でも入れておけばきっと、2005年の作品とは誰も思わず。
 何もかもがゆっくりと移ろっていた”パリ、あの頃”への憧憬に満ちたノスタルジックなラグタイム・バンジョー一座の一幕ショー。華やかにして切ないです。



ロッキン・ルイジアナ!

2010-03-07 02:13:19 | 北アメリカ


 ”Dis Ain'tcha Momma's Zodico”by Travis Matte

 もしかして今、白人系のロックンロールと言うものが一番健全なありようを示しているのはアメリカはルイジアナ州南西部、ケイジャンの里ではあるまいか、なんて思えてくるのだった、こんなアルバムを聴いてしまうと。

 アルバムの主人公のトラビス・マッテはまだ若い白人の青年であり、ダイアトニックのアコーディオンとボーカルの担当。バンドはほかにベースとドラムと、このザディゴなる音楽でよく使われる、洗濯板をかき鳴らすパーカッション担当者がいるのみ、というシンプルさ。でも言われなきゃそんな小編成でやってるとは感じられない、キビキビとしたロッキン・カントリーを聴かせてくれるのだった。

 演奏されるのは、ルイジアナ州南西部、フランス系アメリカ人居住地域の大衆音楽の定番であるブルース、カントリー、ブギウギにワルツ。
 とにかくこのマッテ君、くっきりとした輪郭の音楽を奏でる人で、自身のアコのプレイもキビキビとしているし、歌声もやや甲高く鼻にかかってはいるが明るい声質で歯切れの良い、いつも湯上りみたいな爽やかな歌声を聴かせてくれる。

 ベース弾き氏がちょっとテクノなノリがある人で、ボコボコボコボコと定規を当てるように四角四面のビートを進行させてゆく。そいつに反応してカチカチと洗濯板がかき鳴らされ景気の良いドラムが弾めば、なんだか”野生のテクノ”みたいなコンパクトにまとまったノリが心地良いのだった。
 ハイライトは、あのキャンド・ヒートのヒット曲、”オン・ザ・ロード・アゲイン”だ。こいつは楽しい。マッテ君はこの曲をノリの良いロックンロールに仕上げてカチカチとシバきあげて行く。

 そうなのだ、なんかカチカチしているのだよなあ、マッテ君のノリは。アコーディオンのフレーズも、ときどきシンセっぽい響きが混じるように思えるのは気のせいか?結構、ウチではそんなの聴いているのかも知れないよ、いや、何の確信もないんだけど。

 という訳で、久しぶりにアメリカ南部の泥んこ遊びを楽しんだヒトトキだったのだ。



すれ違った唄

2010-03-06 05:02:50 | その他の日本の音楽

 この間から”もう飽きてしまった”という曲の記憶が心に蘇り、それが気になってならない。ずっと昔に聞いた曲なのだが、できればもう一度聴いてみたく思う。そこで検索などかけてみたのだが、結果ははかばかしくない。というか、妙だ。
 曲名”もう飽きてしまった”で、長谷川きよしのそのようなタイトルの唄に突き当たるのだが、どうもその曲ではない。記憶の中のその唄と似ているような気もするのだが、何か違う。実にすっきりしない気分だ。
 これはどこかに記憶の食い違いのようなものがあるのだろうと思う。長谷川の曲と、別の曲の記憶とをごちゃ混ぜにしているとか、ややこしい錯誤が。

 この辺のもどかしさでいえば、私が「ふうてんブルース」として記憶している曲もまた、ずいぶん長い事すっきりしない気分にさせてくれている。
 はじまりは私の高校時代に遡る。いろいろ納得できない出来事ばかりのその年代であり、重苦しい懊悩を抱えて、が、何も出来ずにただ深夜、眠れぬままラジオを聴いていたのだが。
 そんな時、ふと流れてきた女のけだるい歌声が、私の心にベタ、と染み付いたのだった。

 ”なんだってどうだっていいじゃないか その日暮らしのフーテンに
  なんで明日など あるものか”

 曲で言えば”東京キッド”みたいな感じのちょっと古め(その時点でも)の歌謡曲調、そして自堕落なタッチの歌詞内容にふさわしく、物憂げな、と言うより投げやりな歌唱が、その時の私の心のありようにフィットし、妙に忘れられない曲となったのだ。
 と言っても、不意に流れてきた歌謡曲の一節であり、上に記した部分しか、メロディも歌詞も覚えていない。かといって、とりあえずロック少年だった当時の私がそんな曲に拘泥して詳しいところを調べようなどとも思わなかったし、調べようにも手段が思いつかない。

 中途半端な気分のまま日々は過ぎた。唄は、この中途半端な断片のまま忘れ去られることもなく、私の心に住み着いた。その後私は、人生においてどうだって良くない形勢になりそうな事件に巻き込まれるたび、心の中でこのフレーズを呟いてきた。現実の、何の助けになるものでもなかったが。

 長い事、この唄のタイトルを”ふうてんブルース”と信じ込んでいた。で、何年か前、昔の歌謡曲の復刻CDにそのタイトルが記されているのを知り、ついにあの曲のフル・ヴァージョンが聴けると、おおいに期待したのであるが、さっそく買い込んだCDから聴こえてきたのはまったく別の曲だった。
 おお。ここに来て、ついに私はあの唄のタイトルさえ不明である事実に直面させられてしまったのだ。などと深刻になるほどの問題でもないのだが。とか言いつつも、私はこの唄の幻影をどうやら一生引きずりかねない形勢であるのだが。

 まあ、どうでもいいんだけどさ。と、こんな場面で口ずさむのが、この唄なのである。
 下に貼ったのは、「この唄あたりが曲調としては近いかなと思える西田佐知子の”東京ブルース”である。似てないかも知れないけど、まあ、どうだっていいじゃないか。



踊り明かそうアラブの夜を

2010-03-05 03:43:08 | イスラム世界

 ”Dabke Wa Dabeeke”

 ある人のブログで話題にされていたりで気になったりもしていたアラブの大衆舞踊音楽、”ダブカ”の盤を聴く機会を得た。

 いま、大衆舞踊音楽とか書いたけどその素性、例によってよく分らない。婚礼の席で出席者によって踊られたりすると言う事なので、まあ日本で言えばナントカ音頭みたいな存在なのかと想像していた。あるいは韓国におけるポンチャク・ミュージックの如く、オッチャンオバハン祝いの席に勢ぞろいで浮かれて踊るおめでたい、まさに祝祭音楽なのかも、などと思っていたのである。

 が、こうして現物を聴いてみると相当にテンション高く、あんまり笑い事の音楽ではない。バシバシと打ち鳴らされる民俗打楽器群に被り、気ぜわしく吹き鳴らされる木管系民俗笛が乾き切った砂漠の風を運ぶ。結構これはハードボイルドな音楽だぜ。

 サビの効いた喉の男女の歌い手により力強く歌い上げられる素朴なアラブのメロディ。近代的なアレンジを施されたアラブポップスをそれなりに聴き慣れた耳には、その質実剛健っぽさが逆に新鮮で、爽やかなかっこ良さを感じたりする。

 華美を排し質朴に徹した民俗色濃い音楽、ということで、ふとカッワーリーなども連想してみたり。もっともこの辺は、まだこのアルバム一枚を聞いただけでどうこう言うのは早過ぎるだろう。とりあえずここは初対面のアラブ音頭、ダブケが予想以上にパワフルでカッコいい音楽だったと、そこまで覚えておくことにしよう。

 下に貼った試聴は、現地のサラリーマンなんだろうか、おっさんたちが一列に並び、ステップを踏む笑える映像で始まるが、他にも赤ちゃんたちのよちよち歩きの映像をダブカのリズムにシンクロさせたりした画像もあり、やはり民衆の暮らしに根ざした音楽の感触が濃厚だ、ダブカ音楽。