”DAKAR - KINGSTON”by YOUSSOU NDOUR
なんかユッスー・ンドゥールの新譜ってのが微妙な話題を呼んでいるらしいですな?私はユッスーの、というかセネガルの音楽自体にあんまり興味がないんでまだ聴いていない、というよりこれからも聴くことはないんですが。でも、その話題になりようにはちょっと興味をもった。
なんかユッスーの新譜はレゲ集なんだそうですね。で、彼の支持者の皆さんの感想としては「なぜ、今レゲ?」という肩透かしを食った戸惑い気味の困惑って感じのようだ。レゲのカヴァーなんかじゃなく、セネガル独特の、ンバラっての?それをきっちり聴かせて欲しかった、とファン諸氏の心には、「アルバムが出たのは嬉しいけれども、めでたさほどほど」みたいな不満がわだかまっているようです。
そこで私は思い出したことがある。昔、アフリカ生活の長かった人がエッセイか何かに書いていたんだけれど、アフリカで一番一般的に聞かれている"ポピュラー音楽"は実はレゲなんだそうで。リンガラがブラックアフリカを席巻したのなんのと言っても、もうとんでもないド田舎の村に行って、とにかくラジオから聴こえてくるのはレゲだった、なんて。
つまりはそういうことじゃないのかなあ?
アフリカのミュージシャンがアーティストとしての野心も何も抜きに無防備で音楽やっちゃうと、レゲになってしまう。ユッスーの新譜を覆っているのは、そんな”ぶっちゃけ現象”の発露というべきものじゃないのか?
そして、ワールドミュージック・ファンが高い評価を与えている”彼らのルーツ&ポップミュージック”って、実は現地ミュージシャンにとって、すごく無理してやっている不自然な音楽の側面もあるんではないか、なんて気がしてるんですよね。
もちろん、そうではない、現地の大衆の間から自然に沸き起こってきた台地の調べであったりするのでしょうが、その反面、彼らミュージシャンの心の底に、時に、こんな不満が炸裂する時もありはしませんかねえ?
いわく。
「なーにがグリオの伝統だよ。年がら年中、そんな辛気臭い音楽をやっちゃいられねえってんだ。俺はなあ、ストーンズを聴いてミュージシャンに憧れた人間なんだ。今、本当に作ってみたい音楽はボブ・マリーの”ワン・ラブ”なのさ。ンバラ?ああ、やるとフランス人が喜ぶ音楽だろ?」
私は問題のアルバム、そんな風に静かに静かにユッスーが切れて見せた一発じゃないかと推測してるんですが。
まあ、一度も聴いた事のないアルバムの事をよくもまあ平気であれこれ言うなあってなものですが、上の文章を普通に読んでいただければ、これはユッスーの新譜の評判を取っ掛かりに、ワールドミュージックに接するにあたって、私が以前より気になっている事を述べてみたもの、とご理解いただけるはずです。