”人の気も知らないで”by 沢知美
先日、ネット上の知り合いのE+Opさんがご自分の日記にムーンライダースの”ヌーヴェルバーグ”所収の歌の中で、好んで口ずさんでしまう歌のベスト3を、”「スイマー」や「ジャブ・アップ・ファミリー」や「いとこ同士」”と書かれていたので、ははあ、ずいぶん趣味の違いというのはあるのだなあと感心してしまったのだった。
ちなみに私が”ヌーヴェルバーグ”の中から鼻歌ソングを3つ挙げるとすると、「ドッグソング」「マイネーム・イズ・ジャック」「トラヴェシア」となろうか。
E+Opさんは ”旬が短く腐りやすく 劣化の早い音に激しく反応する性向が”と、ご自分の趣向を分析しておられるが、真似して自己分析するとすれば私の場合、”メロディ主体の歌謡曲性への傾き”となろうか。
何のことはない、安易に馴染みやすいメロディにただ傾斜して行く傾向が年を追うごとに強くなって行く。サウンドなんか、もうどうでもいい。いや、いいわけはないのだが、そちらはあくまでも歌をを成り立たせるための”従”としての認識しかない。少なくとも昔のように、「間奏のギター・ソロを聞きたくて、歌が終わるのをひたすら待つ」なんて聴き方はしなくなって久しい。
で、まあついでだから、そんな私が本年前半によく口ずさんだ”鼻歌ベスト3”でも挙げてみようと思う。これがまあ、なんとも演歌の世界で弱ったものであるのだが、ワールドミュージック探求の過程で今、当方はこんな場所にいるとのとりあえずの記録である。
まずは”奄美小唄”だろう。奄美の大衆音楽の巨人といえよう、三界稔のペンになるいわゆる”奄美の新民謡”の一曲である。
”名瀬の港の夕波月に♪”という歌いだしは、奄美音楽に傾斜しつつあった頃の私には、この歌を歌うとわが家の前の相模湾が奄美の海に変身して行くような錯覚があり、口ずさむたび、妙に血が騒いだものだ。今年の初め頃は、何かというとこの歌を口ずさんでいた。
これは田端義夫の”島歌”アルバムで覚えた曲。もっとも、それが本当に初対面であったか確証がない。間に差し挟まれる奄美の方言に、かすかに聞き覚えがある。ような気がする。ひょっとして子供の頃、奄美ブームのまさにリアルタイムに田端義夫がテレビかラジオで歌うのに接していた可能性もある。
それはともかく。私はこの歌の、あまりにも”しがない歌謡曲”性には惚れこんでしまったのだ。
名瀬の港のちょっぴりエキゾティックな風景とエトランゼの感傷に耽る旅人がいて、はかない恋に溜息をつく乙女がいて、すべてを押し包んで暮れて行く夕暮れがある。
いっぷくの絵のような歌謡曲ぶりで、単なる歌謡曲、それ以上でも以下でもない、そのつつましいありようがたまらなくいとおしかった。
第2位。この場合、順位ってのに何の意味があるのか分からないが続ける。第2位は”思案橋ブルース”である。
60年代末に流行った、いわゆるムードコーラスもの。この歌の、黒潮の流れに沿って東南アジアから北上してきた湿気というか風呂場の湯気と窓ガラスについた水滴みたいなものが昔から気になっていたのだ。
この曲が今頃になってまた気になりだした理由は、別件の調べものをしていた際、現地において思案橋なるものも、その橋がかかっていた川も、曲が出来た当時には失われて久しかった、という事実を知ったから。
とうの昔に失われた河の記憶の上に展開される人々の暮らしがあり、そこに地霊の囁きのようにふと湧き上がる歌がある。そのイメージは、地霊の表層をコンクリートで固めた近代日本の抱え込んだ呪い、みたいなものまで当方に幻視せしめたものだ。
第3位。わが最愛の歌手、沢知美が1969年に世に出した唯一のアルバム、”人の気も知らないで”所収の一曲、”ポート・ヨコハマ”である。当時のテレビの深夜番組、”11PM”のカバーガールであったことしかおそらく人々の記憶に残っていないであろう彼女の、妙に心に残る一曲。
分類すれば”ナイトクラブ系艶歌”とでもなるのだろうか。当時、すでに”ちょっぴりエキゾティックでオシャレな街”という評価も出来上がっていたのであろう港ヨコハマの夜の一叙景。夜霧に霞む通りの向こうにポツンと港の明かりが見え、とうに過ぎ去った恋の記憶が燃え残る胸を抱きながら、歌の主人公は海沿いの道を一人、歩を進めて行く。
30年以上も経ってしまった今、そんな歌に恋してみても何の意味もありゃしねえ、と自嘲しつつも深夜、深酒に至るイントロとしてまず、この曲を聴かねば収まらない今日この頃なのである。