”特攻花”by 笠木透
mixiの奄美大島愛好コミュに、作家・島尾敏雄が昭和33年から20年余りを”鹿児島県立図書館奄美分館”の館長として務めた際に住んだ住宅が道路整備のために取り壊される危機にある、なんて報告があった。
まあ、私はその種の記念物にさほどの思い入れも持たないタチではあるのだが、島尾という作家も移り行く時の流れに押し流されて行くのだなあ、などと慨嘆などしてみたのも事実だ。
島尾といえば当方が最近、入れ込んでいる奄美に縁の深い作家である。彼には有名な”死の棘”なんて作品の影に、”夢の中の日常”などというシュールな短編があり、太平洋戦争末期に特攻隊の指揮官として奄美の基地に赴いた際の体験に取材した「出発はついに訪れず」という重要な作品もまた、残している。
というか。島尾は結構好きな作家で、そのどちらも学生時代に読んでいるはずなのに、何が書いてあったかほとんど覚えていないのだった、私は。情けないことに。
せめて特攻隊の若者たちを思い、今度、後者だけでも読み返してみよう・・・などと思いつつ、8月15日が過ぎるとともに、そんな想いは忘却の彼方に押しやられてしまうのだった、毎年。
怠惰の上に時は降りつつ。そう、こんな風に時はすべてを押し流して行く。
60年代の終わり、あの中津川フォークジャンボリーを主催したことで知られ、以後も地味ながら日本のフォーク界に独自の地位を占めるシンガー・ソングライター、笠木透が奄美を舞台に”特攻花”なる歌を作っている。
飛び立った特攻機が給油のために南の島に降りる。給油を終え、飛び立っていった特攻機はそのまま帰らなかったが、その機体にくっついていたらしい植物の種がその場に落ち、後に芽を噴き、あちこちに可憐な紅い花を咲かせた。南の島の人々は誰ともなくその花を”特攻花”と呼んだ。
笠木のこの歌は、悲嘆を歌うではない、告発を行なうでもない。もとより、特攻などという戦術を賞賛するはずもないが。
ただ、ほとんど軽やかといっていいリズムとメロディのうちに淡々と、特攻隊員の運命と、特攻花の伝説を歌う。それは、逝ってしまった特攻隊員たちの青春へのオマージュかと思いたくなるような爽やかさを持っていて、涼やかな後味を残す。
しかしそいつは心の底にいつの間にか太く強い何かを残していって、そいつはいつまでも静かな、硬質な怒りを奏で続けるのだった。
☆特攻花(作詞・笠木透)
”風吹けば 風に揺れ 雨降れば 雨にぬれ
小さ愛さ 紅い花だよ 小さ愛さ 赤い花だよ”