”赤花”by 知名定男
知名定男の”メジャー・シーンへ向けてのデビュー・アルバム”であるところの”赤花”が、とうの昔に廉価版でCD再発なっていたのに気が付き、購入。
78年度の作品と帯にあるから、私にとっては30年ぶりの再会ということになる。いや、きちんと作品に相対するのは発売30年目にして初めて、というのが正直なところだ。
今日では民謡歌手としての評価も高く、またネーネーズらのプロデューサーとして沖縄の大衆音楽を世界にまでも向けて発信する沖縄島歌界の一方のドン、と言うことになるのだろうか。
この知名という男が若き日、”沖縄発の新人シンガー・ソングライター”として中央に打って出ようとした際の貴重な記録とでも言うべき作品集である。収められた曲たちはどれも非常に魅力的で、今聴いても新鮮な感動がある。沖縄の伝統に根ざし、かつポップ。この配合具合は心地好いものだ。
とはいえ30年前、このアルバムを初めて聴いた際の私の印象はあまり芳しいものではなかった。
70年代当時、同じ”沖縄からの衝撃”として先行して話題になった喜納昌吉の、あの派手なキャラクター設定に比べるとこのアルバムの大きくエコーをかけられた朴訥な歌声はいかにも地味だった。
歌詞も強烈なメッセージを打ち出しているわけでなし、一つ一つの曲のポップさも、なんだか商業主義に媚を売っているようでうさんくさく感じてしまったのである。
結局私はこのアルバム、発表当時にFMかなにかでいくつかの曲を聴いただけで購入することはなかった。
その後、私が”大衆音楽としてポップであること”の奥深さ、偉大さに気がつくのに十数年かかっている。その”ポップさ”が、知名が沖縄民謡の奥深い泉の底から細心の注意を払って汲み上げて来た大衆音楽のエッセンスに根ざすものと気がつくまでにそれだけかかった、とも言えよう。
知名の歌声の後ろで響いている、いかにもな”70年代の日本のニューミュージック”風のバッキングは、今となってはなにやら気恥ずかしくて、その種の音楽をリアルタイムで体験してきた当方のような世代には青春時代のさまざまな失敗談と絡み、時に身の置き所のないような気分にも誘われるのだが、それでもこのアルバムに横溢する若き知名の輝きは貴重なものと感ずる。
あの頃、まだ時は若く、トライすべき荒野は残されていた。そしてこのアルバムの歌声は、その荒野に踏み出した(ややトウは立っていたにせよ)青年の血の騒ぎのレポートの一巻だった。
なんて文章で終えてしまいたくなるのも、わが老境の感傷か。