”Steel Pan Plays Classic”
このタイトルがそのまんますべてを物語る、とういった作品である。あのカリブ海はトリニダッド名物、ドラム缶を叩き伸ばして音程を刻みつけた旋律打楽器(?)であるスチール・パンでクラシックの有名曲を演奏してみせたもの。
俎上に乗せられるのは、ショパン、バッハ、ドビュッシー、ラフマニノフ、パッヘルベルなどなどの作曲家たち。それらが、素っ頓狂なスティール・ドラムのキンキンポコポコした音によって奏でられて行く、この不思議な感触。あえてミスマッチに挑戦してみました、みたいな企画ものである。
まあ、冒頭にサティの曲とか入ってると言えば、雰囲気は分かるね。あの陽気なお祭り楽器のスティール・パンが、ここではなんだか気取ってしずしずと、まるで別人みたいな顔をして”いかにも室内楽”なお上品な演奏を繰り広げる。
曲によってギターやウクレレ、アコーディオンなどが並走するが、演奏は全体に淡く、あくまでもクールにメロディは辿られ、終わる。宣伝文句によればこの音楽、”都市生活者のためのサウンド・インテリア”なんだそうで、よく分からないが、まあ、そういうものなのだろう。しかし。
全体に”心休まる”みたいな方向で演奏が行なわれているのだけれど、なんと言うのかなあ、この楽器が本来、その音色のうちに秘めている、ヒトビトの心を陽光の下のカーニバルに駆り立てる陽性のパワーみたいなもの、そいつが演奏が始まるとどこからか顔を出して辺りを飛び回るので、いくら気取って演奏してみても、どこかでその計画は破綻している感触がある。 ゆえに、製作者の目論見通りには心安らぐ世界は出来上がっていず、むしろ何かむずがゆいようなとぼけた問いかけが音の向こうから聴こえてくるような、不思議な世界がここには出来上がっているのだった。
まあ、このような企画モノと言うのは、そのアイディアを「あ、スティール・パンでクラシックをやるのか。そりゃおかしいや。一本取られたね」と相手に思わせ、笑いの一つも取ってしまえばそれで成功、もうそれで十分なくらいのものではないか。って話は、いくらなんでも無茶過ぎるか。
ともあれ。この盤を聞いているうちに心のうちに浮んでくる、どこに収まるべきか良く分からない、静かな疑問符みたいなものが面白く、ときどき妙に聴いてみたくなる不思議作ではある。
このタイトルがそのまんますべてを物語る、とういった作品である。あのカリブ海はトリニダッド名物、ドラム缶を叩き伸ばして音程を刻みつけた旋律打楽器(?)であるスチール・パンでクラシックの有名曲を演奏してみせたもの。
俎上に乗せられるのは、ショパン、バッハ、ドビュッシー、ラフマニノフ、パッヘルベルなどなどの作曲家たち。それらが、素っ頓狂なスティール・ドラムのキンキンポコポコした音によって奏でられて行く、この不思議な感触。あえてミスマッチに挑戦してみました、みたいな企画ものである。
まあ、冒頭にサティの曲とか入ってると言えば、雰囲気は分かるね。あの陽気なお祭り楽器のスティール・パンが、ここではなんだか気取ってしずしずと、まるで別人みたいな顔をして”いかにも室内楽”なお上品な演奏を繰り広げる。
曲によってギターやウクレレ、アコーディオンなどが並走するが、演奏は全体に淡く、あくまでもクールにメロディは辿られ、終わる。宣伝文句によればこの音楽、”都市生活者のためのサウンド・インテリア”なんだそうで、よく分からないが、まあ、そういうものなのだろう。しかし。
全体に”心休まる”みたいな方向で演奏が行なわれているのだけれど、なんと言うのかなあ、この楽器が本来、その音色のうちに秘めている、ヒトビトの心を陽光の下のカーニバルに駆り立てる陽性のパワーみたいなもの、そいつが演奏が始まるとどこからか顔を出して辺りを飛び回るので、いくら気取って演奏してみても、どこかでその計画は破綻している感触がある。 ゆえに、製作者の目論見通りには心安らぐ世界は出来上がっていず、むしろ何かむずがゆいようなとぼけた問いかけが音の向こうから聴こえてくるような、不思議な世界がここには出来上がっているのだった。
まあ、このような企画モノと言うのは、そのアイディアを「あ、スティール・パンでクラシックをやるのか。そりゃおかしいや。一本取られたね」と相手に思わせ、笑いの一つも取ってしまえばそれで成功、もうそれで十分なくらいのものではないか。って話は、いくらなんでも無茶過ぎるか。
ともあれ。この盤を聞いているうちに心のうちに浮んでくる、どこに収まるべきか良く分からない、静かな疑問符みたいなものが面白く、ときどき妙に聴いてみたくなる不思議作ではある。