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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

Heart Like a Wheel

2011-08-04 05:10:06 | フリーフォーク女子部

 ”Tell My Sister”by Kate & anna McGarrigle

 こんなもの、そもそもが北国の音楽なんだから、何もこんなクソ暑い時期に話題にしなくてもいいだろう。第一、これについて語りたい奴は、もうとっくに語り終えている頃だぜ。
 という状況は自分でも良く分かっているのだが、みょうん成り行きで今頃、このアルバムを手に入れてしまって、しかもここに何か書いてみたいという気持ちに取り付かれてしまったが身の因果だ。
 そういうわけで、私のように青春時代にシンガー・ソングライターの音楽が繚乱と咲き誇っていた、そんな記憶を持つ者にはさまざまな感慨を持って受け取るしかないアルバムの話である。今年の春に出たばかりの、Kate and Anna McGarrigle姉妹の追想アルバム(?)、”Tell My Sister”だ。

 なんだかなあ。こう書き始めてみると、夏の盛りに書いているせいばかりではなく、何の故か、「夏休みの宿題をやっている」みたいな気分になってくるのよなあ。それがどこから出された、何の学科をマスターするために必要な課題であるのかもさっぱり分からないのだが。
 シンガー・ソングライター・デュオ、Kate and Anna McGarrigle姉妹は、全盛を誇ったアメリカのシンガー・ソングライターたちの音楽が、そぞろ煮詰まりの影を漂わせ始めた1970年代の半ばに、北国カナダから忽然と現れた。
二人の掲げる伝承音楽の影を漂わせたメロディアスで独特の陰影を持つ音楽は、とても新鮮な輝きに満ちていて、カナダの広大な森の香りを、その内に秘めているようにも思えた。彼女らの音楽は当時の口うるさいマニア連中からも、熱烈な支持を取り付けたものだった。

 とか言っているが、私は二人がデビュー・アルバムを世に問うた1975年、そろそろシンガー・ソングライターの音楽から足を洗うことを考えていた。
もうシンガー・ソングライター連中の歌う孤独や放浪の歌は賞味期限が切れかけていて、移り行く時代と切り結ぶには無理が出てきた、なんて思えていたからだ。感傷的なギターの爪弾きよりは、カリブ海やアフリカから聞こえてくる賑やかなパーカッションの響きに惹かれ始めていたのだった。
 だから、彼女らのデビューアルバムというのは私が、立ち去ろうとしていた土地で見かけた最後の輝きとでも言うべきものだった。「あ。面白い連中が出てきたな。昔の俺なら夢中になっただろうな」などと平気で嘯きつつ。私はその場を立ち去ったのだった。

 それから長い年月が流れた。20年も30年もの。その間にあれはこうなり。これはああなり。それはあまりにも長い物語だから、そちらで勝手に回顧しておいてもらいたいのだが。
 そんな時の流れのうちでも、Kate and Anna の片割れが、私が以前、ひいきにしていたお笑いシンガーのラウドン・ウエインライトと結婚してみたり、といった話題が伝わってきて驚かされたりしたものだ。
 そして昨年。姉妹の片割れのKate が癌で亡くなったとの知らせが伝わってきた。時の流れの中である者は生き残り、ある者は不在となる。そしてもう、姉妹の物語は進むことはない。

 今回、取り上げたこのアルバムは、Kate and Anna のデビュー盤と2枚目のアルバム、そして二人の未発表だった幾つかのレコーディングを集めた拾遺集の3枚から成っている。この全体が、彼女らがシンガー・ソングライターのチームとして過ごした時間へのオマージュなのだろう。
 ことにこの3枚目の、未発表曲集の存在が大きい。要は、デビュー前後の、二人が出来上がった曲をピアノやギターの弾き語りで、すっかりリラックスして歌っているものだ。
 デモテープにでも使う気だったのか、あるいは単に心覚えのノート代わりに録音しておいたものなのか。ともかくそれは、姉妹二人の素顔のぬくもりがそのまま伝わってくるような暖かい手触りの曲集であって、Kate and Anna の長い間のファンであった人々にはたまらないものではあるまいか。

 そして、実際には二人の音楽とはすれ違ってしまった私も、その拾遺集欲しさに、この3枚組みのCDを買ったのだった。そいつは、彼女らの音楽をそばに置いて生きていたかは別として、同じ時代をすごした事実、それに対する私なりの感傷かと思う。
 30数年の時を隔てて虚心に向かいあうKate and Anna の音楽は、驚くほど豊富なユーモアを孕み、今聴いても新鮮な感覚を持ち、創造的な幻想を繰り広げ、何より自由な魂の発露がある。
 この盤で、彼女らの出世作である”Heart Like a Wheel”の原型である歌など聴き、改めて、うわあ、良い曲を書いていたんだな、などと感心してみる。
 そしてあの時代、もし自分がこのようにして、あるいはあのようにして生きていたら今頃・・・などという、しても報いのない妄想に浸り、あるいはもう逢うこともなくなった友人たちの顔を思い出してみる。

 さて、時は過酷にすべてのものを押し流して行ったが、我らに、まだ踏破すべき道は残されているのか?



菜の花畑を裸足で走れ

2011-06-22 04:04:54 | フリーフォーク女子部

 ”Songs Lost & Stolen”by Bella Hardy

 イギリスのフォークやトラッドに興味のある人たちには、かなりの好評をもってむかえられているみたいな、新人シンガーソングライター。このアルバムが早くも三枚目だそうな。
 なるほど、流れの生き生きとしたメロディのある曲を書き、ややひねくれた躍動感(?)をもって奔放に歌いまくる彼女は魅力的だ。

 彼女の歌からは、頭は良いんだけどちょっぴり意地悪、みたいな女の子像が浮かび上がる。まだ子供のクセに、いろいろ人生の機微みたいなものを知識として入れ込んでいて、時にドキッとさせる表現で鋭く大人をからかう、みたいな。
 そんな女の子の感じた日々のときめきや孤独なんかがリアルな手触りを持って立ち上がり、その辺を跳ね回る。そんなものを見る面白さだろう、彼女の歌の魅力は。

 アルバムを聴いていると、てっきり自身のギター弾き語りを中心にしたサウンド作り、なんて聴こえるんだけど、実はご本人はフィドルしか弾いていない。
 というのをデータを読んで知り、なんだか化かされたみたいな気持ちになったが、歌を聴いた後では、それも彼女の仕掛けたいたずらみたいに思えたりする。




カナダの湖畔にて

2011-03-09 05:09:59 | フリーフォーク女子部

 ”Birds of My Neighborhood”by The Innocence Mission

 寒いッ「スね。冬なんてこの間、春一番だ吹いて、あれで終わったのかと思っていたら、冗談じゃない、今が本番じゃないですか。さっき、一時頃だったかなあ、コンビニに買い物に行ったら、吹き付ける夜風のあまりの冷たさに死にそうになった。なったく。なんだよ、これは。
 なんて事を雪も降らない土地の人間が言っていたら申し訳ないだろうか、雪国の人に。
 コンビニでついでに買ってきた、”コパン・メープルシロップ味”というスナック菓子をいくつかつまんたら、鼻の辺りにメープルシロップの淡い匂いが染み付いてしまい、しばらく取れない。嬉しいような迷惑のような感じだ。

 子供の頃はメープルシロップと言えばホットケーキを食べる時に使うもの、としか認識していなかったな。そんなものを食べることが十全な幸福を意味していたあの頃。まだ日本に貧しいけれどゆっくりとした時間が流れていた頃。
 あの独特の甘みのシロップが北国カナダの原生の樹液であると知った時にはちょっとした感動があった。灰色の空の下、冷たい空気の中で音一つ立てずに立ち並ぶ針葉樹林群があり、地平線の彼方まで木々は広がっている。雄大な光景。そしてその空間の空気はメイプルシロッップの甘い香りに満たされているのだ。

 アメリカの田舎から出て来た、Peris夫妻を要としたフォークユニット、”Innocence Mission”に”Birds of My Neighborhood”なるアルバムがあり、ここに”The Lakes of Canada”と言う曲が収められている。
 いつかカナダ旅行に行った時の思い出なのだろうか、その時撮った下手くそなスナップ写真の向こうで揺れているちっぽけな思い出のカケラに関する簡素な歌、そんな感じだが、妙に心に残って何度も聞き返してしまう。アルバムではこの曲の前にジョン・デンバーの”フォロー・ミー”のカバーが収められていて、この二曲の繋がりを続けて聴くと二倍、良い感じだ。

 今日、生まれてはじめて外に出て、その際のさまざまな驚きに満ちた見聞について語る幼い子供、みたいなあまりにピュア過ぎて面食らうくらいのPeris夫人の歌声を、ダンナやその友人が奏でる生ギターのシンプルな和音が支える。サウンドと言っても、それだけ。ときたまエレキギターが入れる簡単な間奏が不思議な音選びで新鮮な驚きがあり、あれ、結構やるな、などと感心したりする。

 今この静まり返った夜の連なりの遥か果てに広がるカナダを感知する。延々と連なる針葉樹の森と、メープルシロップの大気と。Peris夫妻の音楽を聴いている夜明け前。





北へ行く雲は

2011-03-08 00:35:48 | フリーフォーク女子部

 ”Everyone is Someone”by Dala

 一部で話題のカナダの女性フォーク・デュオのデビュー作。
 エレキギターやドラムも使われているけれど、それは後ろに下がり、生ギターのストロークが目立つフォークロック調の作り。二人のコーラスはいかにも北国というべきか、クールでやや翳のある、内向きの繊細な表情が覗えるもの。
 決して感情に流されずに、物静かに歌を語って行く二人。プロデュースの仕方によってはお嬢様系アイドルとして売り出すのも可能かと思える可愛らしさもあるんだが、二人はそんなことには興味がなさそうだ。

 彼女らの書くメロディも同様に、フォークというにはややポップでもあり、ことに60年代ポップスの香りみたいなものが漂っているのが不思議な気がする。そんなものをリアルタイムで知っている年齢では当然、ないわけだろうに。
 また、二人の書く歌詞も、難しい言葉を使うわけではないんだがその使い方がなにやら抽象的で英語が外国語でしかない身には理解しきるのは難しい。

 と挙げて行くとなんだか不思議だね、愛想があるんだかないんだか。でも、なんだかこの二人には独特の魅力があり、北国カナダの灰色の空の色をそのまま映して流れる、そのハーモニーをいつのまにか、繰り返し聴いてしまっている。
 そうして淡い水彩画みたいなシンと澄んだ二人の歌の世界を何度も訪れるうち、彼女たちが歌に込めた、言葉にはしがたい喪失感や孤独なんかが、同時代を生きる者として身近かに感ずるようになってくるのだった。





遥かなるノース・カントリー・メイド(後編)

2011-02-12 02:59:07 | フリーフォーク女子部

 ”Come My Way”by Marianne Faithfull

 という訳で。昨日に続いて今度は、マリアンヌ・フェイスフルの”もう一枚のデビュー・アルバム”について。ちょっと送れて世に出たゆえ2ndアルバムと認識されている、フォーク色の強いほうの盤だ。
 昨日は、「レコード会社の方針が定まらなかったゆえにデビューアルバムが2種類も出てしまった。そう考えるほうが面白い」なんて書いたけど、このアルバムを聴いてみると、「どうしてもフォークっぽいアルバムにしたかったマリアンヌの真意をレコード会社が受け入れた」という解釈のほうが当たっていそうだ。

 ほとんどギター一本がバックみたいなシンプルな音つくり。ギター弾きのスタイルは、当時のアメリカのフォークロックの影響が色濃く、デビュー当時のバーズが偲ばれたりする。
 その中にマリアンヌのキリッと背筋を伸ばした感じの歌声が響く。前作のポップな装いに戸惑い、自信なさげだったボーカルとはかなり違う。そもそもが実力派といえるような歌唱力の持ち主ではないが、自分の信ずる音楽に筋を通したという思いが凛と通っている感じだ。

 声の出し方は当時の女性フォークシンガーのトレンドというか、高音をきれいに響かせるジョーン・バエズっぽい方向。歌われている曲目は、ポートランド・タウン、朝日の当たる家、スペイン語は愛の言葉、風は激しく、などなど。アメリカのフォークの影響が強かった当時のイギリスのフォーク・シーンをそのまま映し出している感じだ。
 ウッドベースが唸り、ジャズィーに生ギターがスイングする「朝日の当たる家」のアレンジは、どう考えてもそこで浅川マキが出て来そうな雰囲気が漂い、そう気がつくとおかしくてたまらない。
 ともかくもどの曲もみずみずしい情感に溢れ、窓際に置かれた一輪挿しの花みたいな瀟洒な出来上がりのフォーク・アルバムなのである。これはもっと早く聴いておけばよかったよなあ。

 そしてここで展開された世界のさらに高次な結実が次作、「ノース・カントリー・メイド」なのだから、これは聴きたい。が、これが手に入らないのだな、最初の話に戻るが。
 何年か前にボックスセットの中の一枚として再発売になったもの、どうやら「ノース・カントリー・メイド」のCD化の例はそれだけのようで、それもとうに廃盤。今はただただ無駄にオリジナルのアナログ盤が高値を呼ぶばかり。なんとかしろよ、レコード会社。

 ところで。「2種類出たマリアンヌのデビュー・アルバム」の、どちらが商業的に成功したかといえば、最初のポップアルバムがこちらの倍の枚数、売れたのだそうな。まあ、あちらにはヒット曲も含まれているし。
 いずれにせよ、これは勝った負けたの問題ではない。だってこのあと彼女は先に述べたセックスやドラッグにかかわる芸能スキャンダルに巻き込まれ、なにもかもがフイになってしまうのだから。マリアンヌがミュージシャンとしての自分を取り戻すのは、音楽シーンが次の展開を迎えた後のことである。
 そして、ハードなサウンドをバックに強力な声で人生にかかわる重い歌を歌う今のマリアンヌに、あまり私は興味をもてない。まあ、時の流れは過酷なもの、失われたものは2度と戻ってこないのだから、そんなことをブツクサ言ってみても詮無いことではあるのだが。



遥かなるノース・カントリー・メイド(前編)

2011-02-11 02:44:44 | フリーフォーク女子部
 ”1st”by Marianne Faithfull

 という訳で、あいかわらず肝心の3rdアルバム、”ノース・カントリー・メイド”が手に入らないマリアンヌ・フェイスフルなのだが。興味を引かれている彼女の”フォーク期”のその他のアルバムなどは、手に入りつつある。
 たとえば今回のこれは1965年4月、英国デッカから発売された彼女のデビュー・アルバムのようなもの(?)である。
 ようなものってのも変な言い方だが、当時、レコード会社は彼女を普通のポップスを歌わせるか、その時点で流行だったフォークっぽい方向で売り出すか決めかねていた形跡がある。で、めんどくさいから両方出しちゃえというんで、ほぼ同時と言っていいタイミングで2種のデビュー・アルバムが出ている。ポップスよりのものとフォークよりのものと。

 あるパーティでマリアンヌを見かけ、その清楚な容貌が気に入ってしまったストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムの鶴の一声でショー・ビジネスの世界に引っ張り込まれたという彼女らしい、ドサクサ話であります。
 あ、これには「心ならずポップス歌手としてデビューさせられた彼女自身が、フォーク歌手への転身を望んだから」との説もあります。そちらの方が本当かもしれない。でも、こちらの話のほうが好きなんで、ドサクサ説を取ってしまいます。いずれにせよ彼女のデビューにあたって、趣きの異なる2種のアルバムがほぼ同時にレコーディングされた、というのは事実のようだ。

 で、有名な”アズ・ティアーズ・ゴー・バイ”を含むこちらはポップスよりのものということになる。実際、いかにも1960年代の英国ポップスっぽいというか、当時のヨーロッパのどちら方面に行きましても見かけることが可能だったような軽い流行歌を歌う、清純なる美少女マリアンヌ・フェイスフルの姿がここにある。当時マリアンヌ、19歳。
 古きヨーロッパの都会の石畳の道。雨上がりの日曜日。流行のファッションに身を包んで現われたマリアンヌの青春の輝きに被さるように、ロックのリズムに乗ってチェンバロの間奏が、チンチロリンとバロック音楽のフレーズで駆け抜けます。

 さて、フォークとポップス、彼女にはどちらが向いていたろう?とかいうほどの問題じゃない、まずデビュー当時の浅田美代子など思い出してしまった歌唱力の新人歌手マリアンヌの何を論ずれば良いというのだ?か細く震えながらフラフラとメロディにすがりつくように歌い継ぐ彼女の歌唱は。まあ、ロリコン趣味の人にはたまらんでしょがね、と申し上げるよりない。で、ちなみに。すいません、私、結構、その趣味があります。
 そんな事情を加味して話を聞いていただけるなら、これは60年代英国ポップスの傑作のひとつと言えるんではないか。可愛いしね。爽やかだしね。不安定な、ハラハラさせるような部分も、キュートな味わいとしての作用をしているし。良い出来上がりだと思う。

 こうして、ストーンズのミックやキースなどをお相手に配し、ドラッグとセックスと、その他さまざまな芸能ゴシップ満載のマリアンヌの青春が幕を開けるわけだが、あ、その前に、もう一枚のデビュー・アルバム、フォークよりのほうのものの話を(続く)



オ・ジウンに淫して

2011-02-08 01:48:57 | フリーフォーク女子部
 ”1st”by 오지은 (OH JI EUN )

 なんか自分でもよく理由が分からないけど偏愛してしまう歌手というのがいて、たとえばこの韓国のシンガー・ソングライター、オ・ジウンなんかもその一人だ。ネットで彼女の写真を見て、いかん、これはすぐにこの子の歌を聴かねばいかんとYou-tubeに飛びつき、歌を聴いて、慌ててCDを取り寄せた。
 別に凄い美人ってわけでもなく、歌だってそれほどとっつきやすいものばかりでもないのに、そもそもアイドル歌手なんかとは真逆のスタンスにいる子なのに、もう恋してしまったノリで彼女にのめりこんだ(その時点でまだ、彼女のCDはウチに着いていない)なにをやっているのかなあ、オレは。

 彼女のキャリアなど知ってみると、「同種同士、引き合うもんがあったのかなあ」などと思ったりもした。
 子供の頃から相当の洋楽ファンだったようだが、高校2年のとき釜山に転校し、そのおかげで見ることが出来るようになった日本のMTVに夢中になる。大学に入ったものの気ままな生活が改まらず、即除籍。その後、日本語の習得のために札幌あたりにいたようだが、何をしていたのやら。その遊学のために親に借りた金を返すために通訳などの仕事に従事、やっと返し終わった時にはもう22歳になっていた。翌年、大学に復学。その年、自主制作盤を出すつもりでいたが、そのための資金は友達とヨーロッパ旅行に行って使ってしまう。
 などなど、もう堂々の行き当たりばったりぶり。なおかつその芯に、何かに夢中になってしまうとあとさき見えなくなる”業”みたいなものがある。他人と思えないんだよなあ。

 そんなこんなで彼女が念願の自主制作盤を出せたのは26歳になってからだったのだが、それまでのクラブ出演やら音楽コンテスト応募などで徐々にオ・ジウンの音楽への注目がなされ始め、ついに自主制作盤がメジャーから発売されることとなる。それが今回取り上げたこの盤なのであるが。
 以上、さまざまな理由で遅いデビューとなったが、オ・ジウン自身はそんな事は気にせずにマイペースで自分の音楽を追求しているようだ。最近、自身のバンドを結成してアルバムを製作、とも聞いている。

 その後はまた別の展開があるのだが、メジャーでは2008年の発売となった、オ・ジウンのデビュー作であるこのアルバムでは、まだ素朴なシンガー・ソングライター色が強い。幻想的な、たゆたうようなメロディ・ラインで気ままに心象風景を歌いつずって行く様子は、初期のジョニ・ミッチェルの系列の、と言いたいところだが、ぶっといオ・ジウンの歌質ゆえ、そうは聞こえないかもしれない。また、さすが日本ポップスのマニアだっただけあり、というべきか、突然一曲だけ矢野顕子っぽく飛び跳ねるナンバーなどがあり、苦笑させられる。ちなみにアルバム全曲、オ・ジウンの作詞作曲。

 ともかく今どき流行らないディープな低音の歌声、ギターの弾き語りやピアノのみバックというモノクロームなサウンドで地味に迫るが、気がつくと彼女の体温をすぐ身近かに感じてしまうような独特の存在感は、すでにその内に宿っている。うん、妙に心に残るんだよ、彼女の歌は。で、気になって気になって、もう一度聴きなおしたくなってしまうのさ。




楓の森の少女

2011-01-16 03:04:01 | フリーフォーク女子部

 ”Vive la Canadienne”by Bonnie Dobson

 この盤は、初期カナディアン・フォークの隠れたる名盤ということになるんだろうか、1960年代にアメリカとカナダのフォーク・サーキットで活躍したカナダ出身の女性シンガーソングライター、Bonnie Dobsonである。
 今聞くとなかなか先鋭的なポジションにいた人で、確かにもっと再評価というものがなされてもいいような気がするのだが、その種の歌手、つまりシンガー・ソングライターのブームとなった70年代にはもう彼女は歌手活動の末期に入っていたゆえ、陽の目を見そびれたというところだろう。

 おそらくキャリアの初め頃はジョーン・バエズあたりに影響を受けたのであろうと思われる、澄んだ美声を高々と響かせるタイプの歌い手である。さっき明けたばかりの朝の大気の涼やかさ、そんな歌心が実に清潔な響きをもって迫ってくる。生成りの木綿のような、なんて表現があるでしょう、そんな感じだ。

 多くはギター一本の弾き語りで、素朴なフォークナンバーや自作曲を弾き語る。やや、トラディショナル・ナンバーが多いだろうか。初期にはアメリカ合衆国の。後期には自国カナダの。こいつもカナダ人ゆえのこだわりなのだろう、フランス語の伝承歌も重要なレパートリーとなってくる。
 おそらく、アメリカのフォーク歌手の物真似から入り、その後、カナダ人としての自分の独自性、といったものが気になり始め、やがて自分なりに曲も書き出して、といったステップを踏んで自分の音楽世界を構築していったのではないか。

 それにしても、この楚々たる響きの高音で美しいメロディを高らかに歌い上げるというパターンには最近、あまり出会わないせいか、心地良い。その素朴な歌心の向こうに、確かにカナダの広大な自然がひんやりとした空気の中に広がっているのが見えてくるようだ。
 非常に萌える、というのか、世代の違いゆえに彼女のキャリアの最盛期に同じ青春期を過ごして彼女を応援できなかったのが惜しくてならない、なんてバカな焦燥に駆られてしまったりするんで、我ながら弱ったものだと思っている。

 ところで彼女、付属のブックレットを見ると、もっと可愛く写ったり美人に写ったりしている写真もあるのに、何でこのアルバムのジャケ写真はこれなのかね?わざわざブサイクに写ったものの中からあえて選んだ、みたいじゃないか。
 それとも、彼女の身近かにいた人々にしてみれば、彼女の人間性を良く表しているのはこれ、なのかも知れないが。私は、なんか納得出来ないんだがね。




轟き森にて

2011-01-14 03:49:56 | フリーフォーク女子部
 ”I Can Wonder What You Did With Your Day”by Julie Doiron

 以前、一回触れた事のあるカナダの女性シンガー・ソングライター、Julie Doironの2009年作。
 ジャケには素朴なタッチの絵画で、顔に猫ヒゲを描いた少女や猫耳の生えた仮面を被った少年の姿が描かれている。こちらとしては何となく宮沢賢治の童話なんかを連想してしまう、気味悪いような懐かしいような世界なのだが、このようなものを欧米では、どのように認知されているのか。
 ちょっとしたアーティスティックな気取りと、それと裏腹な、刺々しい現実に心折れた者の奥底に芽生えた「悪意の表出の権利、我が内に生ぜり」みたいな確信犯的思いが、透けて見えるみたいな感じだ。

 前回紹介した出世作は、ギターの弾き語り中心のシンと静まり返って独り言みたいなフォークっぽい音つくりだったが、今回はギター中心のロックバンドが入って賑やかなものになっている。。
 とはいえバンドもあまり濁った音を出すタイプではなく、クリアな弦の音を響かせる個性なので、Julie Doironの温度の低いモノトーンっぽい持ち味にあまり変わりはない。出来の良い曲も実は、いつものギターの弾き語りを聴かせるものだったりする。
 とにかくJulie Doironの歌唱そのものはいつもの訥々としたものなので、このエレクトリック・サウンドの導入は合っているようなちぐはぐのような、奇妙なユーモアを含んだパントマイムを想起させるものとなって、聴く者の脇腹をくすぐる。そして気が付けば、喧しく思えたギターの轟音も、いつしか心地良く聴こえ始めるのだった。




時の流れを誰が知る

2011-01-04 01:35:39 | フリーフォーク女子部
 ”Who knows where the time goes”by Sandy Denny

 正月は何をするでもなくテレビを見ながら寝転がったりしていたのだが、もう絶望的に何も面白い番組がないのにはうんざりさせられた。まあ、いまさら言うことでもないのだが、年々ひどくなるのではないか、テレビの退屈装置のありようは。こんな内容の枯れ切った状態で地デジに移行とかいってるが、見る気を起こす奴が一人もいなかったらどうする気だ。

 という次第で、しょうがないから「フリーター、家を買う」なんてドラマをまとめて放映していた、それにチャンネルをあわせ、横目で見ながらずっと本を読んでいた。なにしろ”生涯一フリーター”で終わりそうな自分としては番組タイトルがどうも気になったので、一応チェックを入れておこうと。
 大学を出たものの就職が叶わず、土木のバイトをしながら就職活動を、うつ病を患った母親などにも悩まされつつ行なう若者、といった内容のようだった。というか、私には”自分の病気を脅迫材料として息子の精神を萎縮させ自分の精神的奴隷と化そうとする母親のホラー・ストーリー”のように思えたのだが気のせいか?その方向で見て行くと、最終回でも何も解決していないのだが。まあ、それはそれとして。

 見終えて思ったのだ。これから職を得、社会に出て行こうとする若者。そうかあ。これから人生が始まる奴もいるのか。そんなことに驚いているのも呆れたものだろうが、当方、自分の老化と共に全世界も衰退し崩壊へ向っているような気分でいたのだった。そうか、俺が
死んでも世界はまだここにあるのだな。

 大学卒業を前に職探し、なんてオノレの体験を振り返れば、もはや番組内容と比べようもないほど大昔の出来事となっているのだが、あの頃も大就職難で、真面目に勉強していた奴が拾ってもらえる会社を見つけられずにいた時代に、バンドばかりやっていた私が行ける会社などあるはずもなく、自慢じゃないが受けた会社すべてに、それも書類選考の段階で落ちた。
 で、ギター抱えて旅に出てしまった。「この社会に組み込まれたくないから就職はしない。好きな音楽の道に生きる」とか言っていたが、実は行き所のなくなってしまった自分の立場を、そうやってごまかしていたのだった。
 名目上はライブハウスで歌いながらシンガー・ソングライターを目指していることになっていたが、実は知る人の居ない土地でバイトで食いつなぎ、歌を歌うのなんて月に一度がいいところ、曲もまるで書けず。そんな生活に行き詰まれば実家に逃げ帰っていたのだからひどい話だ。

 将来自分が何になる気なのか、自分でも分からなかった。なりたい職業はミュージシャンだが、自分の実力を思えばなれるとも思えず。
 あの頃、いつも冬の高い空を吹き抜ける北風を途方に暮れつつ見上げ、行くあてもなく歩いていた気がする。あるいはバイトの現場で、出来上がった道路の埃を果てしなく除去して歩いていた炎天下。
 イギリスのシンガー・ソングライター、サンディ・デニーの”時の流れを誰が知る”は、そんな具合にマトモに人生なんかに直面せずに済んでいた、でももうすぐそこまでそんな時間は迫っていた大学時代に、ふと訪れたタイムポケットみたいなひとときを思い出させる一曲だ。

 歌の中に出てくる海岸に、自分はいたような覚えがあるし、去って行く仲間たちに心当たりがあるような気もする。寒さから身を守るための火を起こし、ここにたゆたう時間という物質はどこへ行ってしまうのだろうと想いを寄せる季節の記憶。
 この曲が収められていたフェアポート・コンベンションの”アンハーフブリッキング”なるアルバム自体が私には青春そのものの一枚みたいに思える。フェアポートが、自分たち独自の音楽世界への扉に手をかけ、開け放った瞬間を捉えたアルバム。彼らの心の内の、まさに青春そのもののときめきに溢れかえりそうな音楽に、自分の心も強力に共鳴していたと感じられたのだった。

 そんな具合にこのアルバムを一緒に聴いていた仲間と、もう会うこともなくなって久しいのだが。
 曲を作り歌ったサンディ・デニーも不慮の事故により、若くして逝ってしまった。冬が近いと感じる瞬間にはいまでもこの歌の一節、”Before the winter fire”のメロディが心に蘇るのだが。いったいそっちに行って何年になるんだ、サンディ?生きてりゃいくつになるんだ、君は?
 と問うてももちろん答えはないから、まだ生きてる私はやっぱり歩き出さねばならないんだが、さて、どこへ?