”Tell My Sister”by Kate & anna McGarrigle
こんなもの、そもそもが北国の音楽なんだから、何もこんなクソ暑い時期に話題にしなくてもいいだろう。第一、これについて語りたい奴は、もうとっくに語り終えている頃だぜ。
という状況は自分でも良く分かっているのだが、みょうん成り行きで今頃、このアルバムを手に入れてしまって、しかもここに何か書いてみたいという気持ちに取り付かれてしまったが身の因果だ。
そういうわけで、私のように青春時代にシンガー・ソングライターの音楽が繚乱と咲き誇っていた、そんな記憶を持つ者にはさまざまな感慨を持って受け取るしかないアルバムの話である。今年の春に出たばかりの、Kate and Anna McGarrigle姉妹の追想アルバム(?)、”Tell My Sister”だ。
なんだかなあ。こう書き始めてみると、夏の盛りに書いているせいばかりではなく、何の故か、「夏休みの宿題をやっている」みたいな気分になってくるのよなあ。それがどこから出された、何の学科をマスターするために必要な課題であるのかもさっぱり分からないのだが。
シンガー・ソングライター・デュオ、Kate and Anna McGarrigle姉妹は、全盛を誇ったアメリカのシンガー・ソングライターたちの音楽が、そぞろ煮詰まりの影を漂わせ始めた1970年代の半ばに、北国カナダから忽然と現れた。
二人の掲げる伝承音楽の影を漂わせたメロディアスで独特の陰影を持つ音楽は、とても新鮮な輝きに満ちていて、カナダの広大な森の香りを、その内に秘めているようにも思えた。彼女らの音楽は当時の口うるさいマニア連中からも、熱烈な支持を取り付けたものだった。
とか言っているが、私は二人がデビュー・アルバムを世に問うた1975年、そろそろシンガー・ソングライターの音楽から足を洗うことを考えていた。
もうシンガー・ソングライター連中の歌う孤独や放浪の歌は賞味期限が切れかけていて、移り行く時代と切り結ぶには無理が出てきた、なんて思えていたからだ。感傷的なギターの爪弾きよりは、カリブ海やアフリカから聞こえてくる賑やかなパーカッションの響きに惹かれ始めていたのだった。
だから、彼女らのデビューアルバムというのは私が、立ち去ろうとしていた土地で見かけた最後の輝きとでも言うべきものだった。「あ。面白い連中が出てきたな。昔の俺なら夢中になっただろうな」などと平気で嘯きつつ。私はその場を立ち去ったのだった。
それから長い年月が流れた。20年も30年もの。その間にあれはこうなり。これはああなり。それはあまりにも長い物語だから、そちらで勝手に回顧しておいてもらいたいのだが。
そんな時の流れのうちでも、Kate and Anna の片割れが、私が以前、ひいきにしていたお笑いシンガーのラウドン・ウエインライトと結婚してみたり、といった話題が伝わってきて驚かされたりしたものだ。
そして昨年。姉妹の片割れのKate が癌で亡くなったとの知らせが伝わってきた。時の流れの中である者は生き残り、ある者は不在となる。そしてもう、姉妹の物語は進むことはない。
今回、取り上げたこのアルバムは、Kate and Anna のデビュー盤と2枚目のアルバム、そして二人の未発表だった幾つかのレコーディングを集めた拾遺集の3枚から成っている。この全体が、彼女らがシンガー・ソングライターのチームとして過ごした時間へのオマージュなのだろう。
ことにこの3枚目の、未発表曲集の存在が大きい。要は、デビュー前後の、二人が出来上がった曲をピアノやギターの弾き語りで、すっかりリラックスして歌っているものだ。
デモテープにでも使う気だったのか、あるいは単に心覚えのノート代わりに録音しておいたものなのか。ともかくそれは、姉妹二人の素顔のぬくもりがそのまま伝わってくるような暖かい手触りの曲集であって、Kate and Anna の長い間のファンであった人々にはたまらないものではあるまいか。
そして、実際には二人の音楽とはすれ違ってしまった私も、その拾遺集欲しさに、この3枚組みのCDを買ったのだった。そいつは、彼女らの音楽をそばに置いて生きていたかは別として、同じ時代をすごした事実、それに対する私なりの感傷かと思う。
30数年の時を隔てて虚心に向かいあうKate and Anna の音楽は、驚くほど豊富なユーモアを孕み、今聴いても新鮮な感覚を持ち、創造的な幻想を繰り広げ、何より自由な魂の発露がある。
この盤で、彼女らの出世作である”Heart Like a Wheel”の原型である歌など聴き、改めて、うわあ、良い曲を書いていたんだな、などと感心してみる。
そしてあの時代、もし自分がこのようにして、あるいはあのようにして生きていたら今頃・・・などという、しても報いのない妄想に浸り、あるいはもう逢うこともなくなった友人たちの顔を思い出してみる。
さて、時は過酷にすべてのものを押し流して行ったが、我らに、まだ踏破すべき道は残されているのか?