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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アンドロメダからのソウルな孤独

2010-10-11 04:22:55 | アジア

 ”정인 From Andromeda”by Jungin

 韓国のCDリリース事情というのもよく分からなくて、まずシングル盤がない。まあ、そういう行き方の国もあるだろ、それはいいとして。ではそのかわりフル・アルバムのリリースが頻繁に行なわれているかといえばそうでもないようで、何だか5曲入りとか6曲入りとか言う中途半端なミニアルバムという奴が幅を利かせているようだ。
 けど、このミニアルバムというのも良し悪しでね。安価に手に入るのはいいけれど、たとえ素晴らしい歌手に出会えても、その盤をあっという間に聴き終えてしまうので、その才能を堪能する暇がない。試食だけして皿を下げられちゃう物足りなさがある。その後、ちゃんとした楽曲収録時間のフルアルバムが出ればいいけど、そうでもなかったりするんで、なかなかもどかしい思いをさせられるのだ。

 このアルバムの主人公、ジョンイン嬢なんかは苦節10年なんて苦労人なのだから、初めからドーンとフルアルバムを出させてやればいいじゃないか、などと思わないでもない。
 私がジョンインの歌に興味を持ったのは深夜、You-tubeを彷徨いながら、韓国の新人歌手たちの歌を聴き漁ってた時だった。ひときわパワフルな歌唱力で他を圧しながら、でも歌声の裏側に、ふと淋しい影というか、変なたとえだが知らない街角で迷子になり途方に暮れて佇んでいる子供の孤独、みたいなものがうかがわれたからだった。そりゃ、私の深読みかも知れないですよ、それは。でも、そんな影を感じたんだ、彼女の歌に。

 ジョンインはもう10年近く前から韓国R&B界では実力派として知られた歌い手で、これまでもいくつかの重要なセッションに参加し、その喉を聞かせてきた。けど、なぜかソロ・デビューの機会に恵まれず、今年になってから遅いデビューを飾ることとなった。
 先にも言ったように物がミニアルバムなんで、本の味見程度で終わってしまうのだが、それでもファンクありバラードあり、彼女の多彩な実力を垣間見ることは可能である。一部で評判を呼んでいるらしい3曲目の”憎みます”なんて曲など、さりげなく始まって後半、壮絶に盛り上がるあたり、これは聴き応えがあります。

 ジャケが素朴な茶色の紙で、そいつにおそらくは彼女自身による文字やぶっ飛んだ感覚のイラストが描かれている駄菓子屋感覚も、お洒落なようでいてどこか下町風にぶっちゃけているジョンインの気の置けなさを表しているようで、良い感じだ。
 そしてどこからやって来るのかしらない彼女の引きずる影はここにもあって、表ジャケでステージ衣装で佇むジョンインは、なんだかやっぱり途方に暮れた迷子に見える。なんたってアルバムタイトルが”アンドロメダ星雲からやって来たジョンイン”だからねえ。そういや、そんな星々を越えた天文学的孤独について、谷川俊太郎が詩にしてなかったっけ?




風立ちぬ、タイにて

2010-10-08 04:02:58 | アジア

 ”WORM EYE’S VIEW”by PLOY

 昨日の”Fair Ladies ”の流れで、さらにタイの女の子のポップスを聴きたい気分なのだった。これはジャンル的になんと呼ぶのか知らない。タイのナチュラル志向のフォーク系ポップスとでも?
 先日、某有名レコード店の閉店の際、何かの雑誌で読んだ「すでに”渋谷系”音楽の本場は実質タイになっているわけだが」なんて言葉が今、頭の隅に浮んだのだが・・・おい待て、”渋谷系”の意味がよく分かっていないのに何となくそういう言葉を使わないほうがいいぞと内なる声がする。そりゃそうだな。この文章はなかったことにする。なんか使えそうな気がしたんだが。

 アルバムの主人公のPloy嬢は、上の方の音域になるとすぐに裏声になってしまうような、か細い可憐な歌声の女の子である。そんな彼女が非常に繊細なメロディのフォーク歌謡を素朴な独り言を聴かせるみたいな、なにげないタッチで歌っている。なかなかに切ないです。過ぎ去った青春の日々など思い出せば胸の一つも痛もうと言うものであります。
 内ジャケの写真を見るとヨーロッパからやって来たトラッド系ミュージシャンが参加してバグパイプやアコーディオンを演奏もしているようだ。ティン・ホイッスルの響きが心地良い。あるいはジャジーにギターが響き、時にマリンバがトロピカル調な潮風の香りを運んでくる。多彩な隠し味が憎い。そんなマニアの仕事が裏で進行している状態の、洗練されたバッキングが爽やかに流れて行く。

 ジャケ写真。Ploy嬢は秋の柔らかな陽の中で、高原の風に吹かれながら振り返り笑顔を見せている。彼女の足元に広がる、すでに冬の影が忍び寄っている下草の色合いが妙に切ないのです。時の流れはすべてを飲み込み、何もかもを変えて行く。
 やがてこの高原にも木枯しが吹きつけ、すべてを覆う雪景色が・・・。いや、ちょっと待て。そんな白樺揺れる高原の感傷なんかが存在しうる気象条件にあるのか、タイという国は?めちゃくちゃ暑いんじゃなかったのか、おい?

 などと言っても、もうこういう音楽が存在しちゃっているんだからしょうがない。そして私は、これから深まる秋に向けてPloy嬢の他のアルバムも欲しくなったなあ、などと呟いてみるのでした。



パタヤビーチに沈む21世紀を見送りながら

2010-10-07 01:23:09 | アジア

 ”Fair Ladies ”

 ところでタイのアイドルグループ、”ネコジャンプ”はどうしちゃったんですかね?彼女らの出現には、ほんと「一本取られた!」って気分でした。この混迷の世界に、突然空から舞い降りて、あっけらかんとポップスの王道を歌い踊ってしまった。そのあまりの鮮やかさに、我々は言葉もなかった。
 我々はただ唖然とし次には大笑いし、そして彼女らにどこまでもついて行こうと決めたものでしたが。その後、日本のアニメの主題歌を歌うは日本盤も発売になるはで、このまま世の中はネコジャンプの支配下に落ちるんではないかと思ったものでした。

 でも、なんかその後が続いていませんね?タイ本国では新曲が発表されたとも聴きましたが、新録アルバムの発売の話は聴かないし。彼女らの活躍に何の障害が発生しているのやら知らないけど、必ずやまた、元気な姿を見せて欲しいものだと思います。
 そんな私ですから、タイ発のアイドルグループにはどうも過反応してしまう。先日も、こんな新人デュオのデビューアルバムを買って来たんですがね。フェアレディズというのがグループ名なんでしょう。KayoとNanの二人組です。

 収められているのは、夏の終わりの海辺の感傷ソングとでもいうんですかね。元気いっぱい飛び跳ねていたネコジャンプとは、かなり個性は違っています。
 どれもスロー~ミディアム・テンポの、ややフォークがかった透明感のあるメロディ。頼りなげな声で歌い流しながら二人は、もう人影も見えなくなったシーズンオフの砂浜を散歩している。失われた夏の恋の思い出でも歌っているんでしょうか。
 隙間の多い爽やかなバックの音もお洒落なものです。ジャジーなギターが聴こえたりボサノバのリズムが流れたりします。

 でもこのCDを、「これは違う」と一蹴する気にもならなかったのは、この「海辺の感傷ソング」が時代の気分としてはこれで正解だろうという妙な確信が私の心に生まれていたから。
 うん、今、こんな時代だろうと思うんですよ。ここに流れ続ける仄かな哀感は、いろいろ未解決の問題を抱えながら、時の流れに流されるままに第4コーナーを曲がってしまった現代のタイ国の、いや今日の全世界の人々の戸惑いや喪失感の根本に連なるものである。

 それはどういう意味だ?とか問い返されても答えることは出来ないが。そんな気がする、というだけの話なんで、軽く聞き流していただきたい。うん、まあ、それだけの話なんですがね。





椰子の葉陰でジーザスは

2010-10-02 01:40:43 | アジア

 相変らず、シコシコとインドネシアのキリスト教系ポップスである”ロハニ”を聴いたりしているのですが。
 あの赤道直下の喧騒の町には不似合いにも思える繊細なメロディの宗教歌謡を、清楚な美女が切々と歌い上げる、その不思議な光景にすっかりはまってしまって。それにしても、まあいろいろと困惑させられる部分の多い音楽ジャンルではあります。
 そもそも、イスラム国家の色彩強いインドネシアで、なぜキリスト教徒のためのポップスであるロハニがあんなにも盛んなのか?という基本的なところが分かっていないのであって。

 で、大体あれですね、なんでロハニの情報がネット上に何もないのか、これも分からない。たとえば新人のロハニ歌手が気に入り、この場で紹介してみようなどと思い立ったとしましょう。
 彼女の人となりなど知っておきたくなり検索をかける。が、何もかかって来ない。十分な情報がない、なんてもんじゃない、「何もありませんでした」とグーグルがいきなりお手上げ状態になってしまうんだから。彼女に触れた記事の一行もなし、画像の一枚もない。
 普通、歌手がデビューしたなら最低、レコード会社の宣伝サイトくらいはあるものじゃないのか?その他、歌手本人がブログを書くとかファンが応援サイトを立ち上げるとか。
 何もない。彼女の影もないんだな、ネットの世界に。

 おもいあまってCDジャケの片隅に書いてあったレコード会社のURLにアクセスしてみると、パソコンの画面上に「このサイトの安全は保障できません。すぐに画面を閉じて、このサイトに2度とアクセスしないようにしてください」なんて文字が出てしまうんだから。なんだよこれは。どういう会社だ。
 しょうがないから警告も無視してサイトを探ってみるが、目的の歌手の記事一つない。どういうことなのか。彼女は本当にこの会社に所属しているのか。

 ひょっとしてロハニという音楽、弾圧を受けていて話題に出来ないのかなんて思いかけるが、あんなに頻繁にCDがリリースされていて、弾圧もないもんだ。
 もちろん、You-tubeに画像なんかないよ。そんなこんなで、ロハニ歌手を紹介したんだけど、これまで何人断念してきたか。
 そんなわけで。こんなことになっている理由、ご存知の方、ご教示いただければ幸いです。ということで。

 下に貼りますは、そのロハニのライブの模様です。ロハニ以外に普通のポップスでも活躍している大歌手、ルース・サハナヤがメインで歌っているんで、こういう場合はYou-tubeもあるんですな。
 画像では、会場の模様にご注目ください。不思議な動作ですっかり宗教的感動の世界に入り込んでいる観客たちの姿。ステージ上のルースたちも、異様な入れ込みよう。南の国、インドネシアではキリスト教もかなり違った形で機能しているのでは?なんて空想したりしますが、これだって浅い疑いでしかない。

 以上、”ロハニは何も分からない”という趣旨でお送りいたしました。しまらない話ですいません。



雨上がりのソウルを散歩

2010-09-22 00:53:44 | アジア
 ”My Favorite”by Park Hye Kyung

 90年代の後半に韓国の”ロックの新しい波”をリードしたバンド、”The The”のボーカルをつとめた事もあるシンガー・ソングライター、パク・ヘギョンのソロアルバム最新作。
 なんでもトップに収められている”ハイヒール”がNHKの韓国語講座の”今月の歌”か何かで流されていたとかで、「その歌が好きだったので買いましたが、他にも可愛い歌がいくつもあって大事なアルバムになりました」なんて投稿文をどこかで見かけた。うん、現地韓国においても、女の子たちには共感をもって迎えられているのではないかな、このアルバム。

 問題の”ハイヒール”をはじめ、どの曲もメロディ、サウンド、アレンジ等々、”雨上がりの日曜日”っぽい爽やかさを感じさせる瑞々しいものがある。私などの世代の者は70年代初頭のアメリカの女性フォークシンガーなど連想してしまったり。初期のジョニ・ミッチェルとかね。
 音の隙間を生かした音作りで、エレキギターがソロを取っても、ホーンセクションやコーラスが入っても、”基本はギター弾き語り”と感じさせる軽やかさがサウンドの芯に一貫してあって、そこが快感なのだ。

 「家へ行く道」「幸せが送れました」「恋愛してみる?」「告白する日」「すべて好きになるつもり」「私魅力ないから」などといった各曲のタイトルからも想像がつくように、ごく普通の女の子のなんでもない日常に訪れる心の移ろいが歌詞のテーマとなっているようで、この辺も女の子のファンの共感を呼ぶのではないか。
 そういえば、このアルバムのタイトルは”My Favorite”なんだけれど、我が国にも昔、「私の好きなもの」なんてヒット曲があった。「雨上がりの匂い♪」などと言う歌いだしで、気ままに自分の快く思える事象を挙げて行くんだけど、あの歌がこの盤に入っていても何の違和感もないだろうな。

 しかし、パク・ヘギョンは見かけもその歌の世界も、年を取るごとに若くなって行くみたいだけど、どうなっているのだ。バンド脱退後のソロ・アルバムだって、これが7枚目を数える結構なベテランだってのに、この瑞々しさはどこから来る?不思議な人もいるものだ。




シャボン玉、ソウルの空に

2010-09-11 03:45:13 | アジア
 ”Devote one's love”by SHOO

 先日も書いたことだけど、我が国で韓国の女子アイドルグループの人気に火がつき始めている、しかも日本において彼女らを支持しているのは、主に女の子たちである、なんておまけまで付いた意外な展開になって、何がどうなるやら分からんなあ、などと感慨にふける私である。
 そんなある日、ふと気になり手にしたアルバムがこれである。現在、韓国の女子アイドルグループの最前線に位置して活躍しているグループ、”少女時代”や”カラ”たちの大先輩と言うことになろうか、その種のアイドルグループとしての行き方を韓国において切り開いた大先輩グループ、”SES”のメンバーだった”SHOO”の、これはソロアルバムである。

 今、なにやら分かった風の事を書いた私だが、実はこのSESが現役で活躍していた時代は、韓国の音楽にはまだ興味を持っておらず、リアルタイムで聴けていない。後に振り返って資料的に彼女らの存在を知っただけであり、SESの音楽に親しいわけでもなんでもないのだ。
 それなのにこんな分かったような文章を書き出したのは・・・ただただ先日、このアルバムの存在を知り、ジャケを手にした際に心に生まれた切なさや懐かしさや暖かさ、みたいなものが入り混じった不思議な感情が膨れ上がり、こんな文章でも書かねば始末がつきそうになくなったからだ。

 まずこのアルバム、大人気だったはずのアイドルグループ、SESから独立したSHOOのソロアルバムなのであるが、なんとグループ解散後、8年目に出たアルバムなんだそうである。何でそんな時間がかかったのだろう?彼女、一時的に引退でもしていたんだろうか?
 今だにその事情は知らないのだが、なんかあんまり幸運じゃないのかもしれない彼女の生涯、なんてものを勝手に想像してしまった私なのである。ついでに言えば、写真など見る限り、メンバー中、一番のんびりしていて人の良さそうな顔立ちのSHOOである。

 そして、ジャケ写真である。裏ジャケ、高層ビルに囲まれた空き地でシャボン玉遊びに興ずる彼女の姿がある。頭上には冬の青空が広がっている。・・・服装から想像するに季節は冬だよね?
 寒風の吹き抜ける青空の下に大地は広がり、数え切れないくらいの多彩な人生がそこでは送られているのだろう。そんな青空の下でSHOOが吹き上げるシャボン玉は、まるで儚く、大気の中を渡って行く。彼女の人生にも、様々な事があった筈だ。何とか皆、この人生をやりくりしつつ生きている。シャボン玉の輝きみたいにちっぽけな夢や希望をよすがにして。
 なんて事を考えてしまって、胸がいっぱいになってしまったのだ。(そういう次第で、上には慣例を破ってこのCDの裏ジャケのほうを貼ってある)

 そんな思いで聴けば、流行りのR&Bっぽい作りの曲調ながら、なんとも柔らかな手触りの彼女の歌声は、いろいろな辛苦を舐めて来た人特有の、すべてを優しく包み込むような暖かさに満ちている、なんて感じられるのだった。
 いや。あのね。上に書いた事、私の勝手な思い込みで、すべて見当違いかも知れないんですがね。そんな風に感じられ、聴こえてしまったものは、もうしょうがないじゃないかと居直りつつ。



韓国美少女ディスコ演歌近況

2010-09-09 04:37:39 | アジア
 ”The Rebirth”by 금비(Geumbi)

 アーティスト名のハングル文字は、これで”クムビ”と読むらしい。そういえば私は、韓国美少女ディスコ演歌路線、なんて代物に入れあげていたんだった、と今これを聴きながら思い出したのだった。
 韓国では、アイドル歌手で通用しそうな可愛い女子をド演歌の歌い手としてデビューさせているようで、しかもそのサウンドが身もフタもないディスコ・サウンド仕立てである。そのパチパチ弾けるリズムの感触と、意外に高い歌唱力を誇る少女たちのコブシコロコロの歌唱の熱さが、奇妙にヒリヒリする切実さをもって聴く者に迫ってくるようで、もの凄く惹かれるものを感じていたのである。

 それを私は勝手に美少女ディスコ演歌路線などと名付けて面白がっていたのだが、そのようなムーブメントが当時、韓国本国に起こっていたのかどうか、いまだ分からない。とりあえず、その路線に入りそうなアルバムを見つけては買い込んで来たのだが、そこは気まぐれなワールドもののファンである。その方面以外にも気を引かれるサウンドが見つかり、そのあたりに夢中になっているうち、美少女たちのディスコ演歌の世界をうっかり忘れていたのであった。

 で、このアルバムだが。
 いつかこの場でも取り上げたことのあるが、韓国演歌をヒップホップの要素を取り入れて、と言っても全然お洒落じゃないんだが、とにかく独特のコミカルなノリでディスコ演歌を聴かせて、韓国演歌界に唯一無二の世界を築いていた”タートルマン”なる男女三人組のユニットがあった。面白いアルバムを連発していたのだが、2年前だったか、中心人物だったボーカルの男が急死してしまった。(巨漢だったからなあ。心臓やられたと想像している)それで、そのままあっけなくユニットも解散となったようで。
 そのタートルマンで歌っていた女の子二人組みの片割れがこの子、クムビである。オヤブンの死後、健気にもこうしてソロデビューしてきたんで、さっそく聴いてやろうとCDを回転させた途端、あ、これは一時凝っていた美少女ディスコ演歌サウンドじゃないかと思い出した次第。そうだよなあ、忘れていたけど、俺はこの音、好きだったんじゃないか。

 もともと、藤本美貴が調子悪い時、みたいなルックスのクムビちゃんだったのであるが、その歌声もルックスに恥じない清純路線であった。”若い清純な女の子に無理やりえげつないド演歌を歌わせてしまう”という、美少女ディスコ演歌特有の嬉し恥ずかしさ感覚は自ずから溢れ、すっかり嬉しくなってしまったのだ。
 思えばあの頃から時は流れ、韓国の女子アイドルグループが我が国でも大人気、なんて昔では考えられない状況が生まれてさえいる。しかも、その女子アイドルを支持しているのが、我が国では同じ女の子たちであるなんて、事は意外な方向へ進行しているようだ。

 まあ、この美少女ディスコ演歌のピリピリ人の心を炒り立てる唐辛子のような韓国裏町の演歌魂は、我が国の若い女の子たちにまさか受けはしまいが、とりあえず私は一人、ここで支持の札を上げているんでガンガン行って欲しいと、役にも立たないエールを送っておく。
 それにしても下に貼った映像、ミキティというよりはむしろスザンヌみたいに映っていて笑えるね。



赤い夕日の故郷

2010-08-31 05:42:16 | アジア
 ”黃昏的故鄉”by 秀蘭瑪雅
 
 台湾ポップスを聴いて行くと、日本の歌謡曲のカバーに少なからず出合うことになります。
 たとえば、我らが三橋美智也の「赤い夕日の故郷」などはほんとにいろいろな人がカバーしていて、よほど台湾人の琴線に触れる曲なんだなと感心してしまいます。ともかく、演歌歌手からラッパーまでジャンル越えてやってるわけで、ただごとではない。
 You-tubeなど覗くと、この歌の台湾版がゴロゴロ出てくるわけですが、ここでは私が最近、気に入っている”懐念R&B演歌”の歌い手、秀蘭瑪雅のヴァージョンなど紹介しておきます。
 画面を見て行くと、台湾の人たちは特に誤解も無く、まるでまともにこの歌を受け止めているようですが、実際、どんな風にこの歌が聞こえているのか知りたくてたまらん。まあ、台湾人になって聴く、というのも不可能なんで、何とももどかしいんですが。



台湾R&B小夜曲

2010-08-23 03:39:32 | アジア

 ”真心話”by 秀蘭瑪雅

 山之口獏にあったよな。”昔、恋人だったあなたがあの男と寝ると思うと、ただでさえ暑そうだったあの台湾が、ますます暑そうに想われてくる”なんて詩が。あれはほんとに短い詩で状況がよく分からないのだが、逆にそれゆえに、こんな関係もない場所と時間において、ただ大気の孕む熱気の気配にだけはうんざりするくらい切実に共鳴する、みたいな気分。そう、異常気象的にクソ暑い夏が続きますが、いかがお過ごしですか。

 秀蘭瑪雅を取り上げるのは、これで2度目だ。もう少し詳しいところを知りたく思うのだが、台湾の演歌系列の歌手に関する情報なんて、どこを探したってありゃしないよなあ。
 とりあえず分かっていること。秀蘭瑪雅は台湾の先住民族、ブヌン族の血を引く人だそうで、確かに四文字の、中国人としたら相当に珍しい姓名である。その容貌も、いかにも南方系のワイルドな風情が漂い、少なくとも私は、なかなか惹かれるものを感じる。
 それだけでも気になるところなのに、レパートリーの主なところは演歌や台湾の懐メロであり、そいつを台湾における一等言語(?)である北京語ではなく、やや疎外された庶民の言葉的存在である台湾語で歌い上げる。なおかつそれを独特のR&B風と言うか黒人っぽい感覚を濃厚に漂わせた歌唱法で行なうのだ。

 この、なんだか不思議な歌手としてのポジションの取り方が、どうにも気になる。先住民の血を引くものでありながら、先住民独自のポップス(というものが存在するのだ)を歌わない、のはまあ、個人の勝手と言うものだが、その代りに歌っているのが古い演歌や懐メロなのである。宣伝文句にも「懐念」とか「望郷」なんて言葉が目立つ。聴いてみても、台湾に特別の思い出などない、関係ないはずの私までが正体不明の郷愁に誘われてしまう、そんな曲ばかりが並んでいるのだ。

 ここだけ見れば台湾のお年寄りにアピールしようとしているのかと納得しかけるが、歌唱法が”R&B”なのが、よく分からない。「アメリカのブラック・ミュージック、大好きです」って嗜好が丸出しの歌いっぷりなのである。
 この辺がどういう構造になっているのやら分からない。台湾にもブラックミュージック好きの音楽ファンは存在するのだから、その連中を相手に、真っ黒な音楽を心行くまでやったらよいのであってね。
 などと、彼女の歌を聴いていると様々な「?」で頭の中がいっぱいになってくるのだ。ちなみに彼女は決してマイナーな歌手じゃない。1999年にデビュー以来、もう十数枚のアルバムを世に問うているし、映画やテレビドラマの主題歌の仕事も多く、それなりに結構な人気者と考えてよいだろう。

 もっともこれ、ワールド・ミュージック好きとしては結構居心地の良い状況でね。なんとも不思議な一面を持つ、そして魅力的に思える歌手を知り、その歌手が抱える”不思議”の真相についてあれこれと想いをめぐらす。これは、なかなかに胸ときめく時間であったりする。
 もちろん、有効な資料に出会え、謎が次々に解明されるのも楽しいには違いないんだが、見当の付かない謎を前にあれこれ気ままな推論を成しながら酔い痴れている時が一番楽しかったりする。そして秀蘭瑪雅、当分楽しませてくれる歌手の一人といえそうなのだった。




ハリラヤ音楽を聴いてみる

2010-08-20 04:01:00 | アジア
 ”SENTUHAN HARI RAYA”

 ハリラヤとはマレーの人々にとってのお盆のようなもの、と聞いた。彼らの信ずる宗教イスラムの重要な季節の行事のようだ。そのなかでももっとも大規模なものは、有名な断食の月ラマダンが明けた日を祝って一族の集まる祭り、ハリラヤブアサなのだそうだが、まあ、こんな付け焼刃の伝聞など書いていても何の説得力もないだろうなあ。

 ともかく今回の盤は、そのハリラヤを祝うための音楽を収めたもの。ここにあるような音楽を聴いてイスラムの祭りを寿ぐのだろう。とはいっても、たとえばナイジェリアのフジであるとかパキスタンのカッワーリーのように濃厚なイスラム的個性を持った音楽がハリラヤ用に存在している、というのでもないようだ。
 男女の歌手の掛け合いでウィ・アー・ザ・ワールド調に盛り上がるバラードものや、レゲのリズムでホテルカリフォルニアっぽい歌謡ロックのメロディを聴かせたり。その合間にマレーっぽいメロディが差し挟まれたりする。でも基本はアジアっぽくマレーっぽく解釈された今風の世界標準ポップスという感じだ。

 やはり世俗音楽と一線を画すのは、どの曲の歌詞にも律儀に”ハリラヤ~♪”の一言が挟み込まれていたり、参加歌手は皆、背筋のきちんと伸びた清潔感のある人たちで、ヤクザな個性を売りにしている気配がないところだろう。
 そしてなにより、どの曲にも家族的といっていい優しさや暖かさが込められているのが、この音楽の特徴と言えるんではないか。どこか鼻の奥がツンとしてきそうな懐かしさに包まれて、「俺たちは家族じゃないか」と呼びかけてくるような。そんな音楽。

 聴いていて、ふと昔読んだ、”怪傑ハリマオ”のモデルとなった人物の評伝の最後のページなど思い出した。故国である日本と生まれ育ったマレーの地。第2次大戦の真っ只中、その二つの故郷の狭間で翻弄された人生。彼はその人生の最後の時に臨み、マレーの地のイスラムの墓に自ら望んで身を横たえたのだった。