灼熱地獄の昼間にまさか日課のウォーキングは出来ないので、このところ日が暮れて少しは涼しくなってから歩き始めているのだが、今日も今日とて遅めの夕食を終えて海岸に出てみたら、街は霧に包まれていた。
まだ昼間の熱気が地面から立ち込める街は、上からは霧に蓋をされ、ひどく蒸れた風呂場の脱衣場みたいなうっとうしさで、いずれにせよウォーキングなんか出来る日ではないのだと思い知ったのだが、もうこちらの体が一日歩かないと気持ちが悪いと感ずるようになってしまっているので、そのまま海岸遊歩道を行くよりしかたない。
それでも夜の砂浜では蒸すような熱気の中、ビーチバレーに興ずる若者たちなどもいて、若さと言うものの持つ果てしなく無駄で猥雑なエネルギーに呆れさせられてしまうのだった。
そして夏の夜の海岸における定番のお楽しみ、自主・花火大会。
観光客がコンビニで仕入れてきた大型の打ち上げ花火を、砂浜のあちこちに陣取り盛大に打ち上げているのだ。夜の砂浜付近がそのせいでひどく火薬臭いのも、もう夏の風物詩として我々浜辺の住人は認知しかけている。
ちなみに、砂浜での花火は禁止なのだが、というかそもそも夕刻を過ぎての海水浴場への立ち入り自体も本来は禁止なのだが、もはや誰もそんな事は気にかけていない。
ライトアップされた砂浜は、際限なく打ち上げられる花火が上げる硝煙と、上空を漂う濃い霧とが入り混じり、白いもやの塊があちこちで渦を巻くような状態にあった。その中で三々五々打ち上げられる大小の花火は、妙に音が伸びず、ポンと気の抜けたような炸裂音を響かせる。
”ザ・フォッグ”と言う映画は、仰ぎ見るような出来ではなかったが、結構気に入ってはいた。今蘇る百年以上前の恩讐と、海からの怪異の襲来。それらが、孤独な人々が日を送る物寂しい海辺の小村を覆った霧の神秘に絡めて語られる様子が、良い雰囲気を出していた。
私が見たのは90年代に作られた初代作だったのだが、その後に作られたリメイクの出来はどうだったのだろう。
先日、交通事故死したばかりの、知り合いのA氏の事が妙に心に引っかかっている。長いこと、私の車の面倒を見てくれていたのだし、それが突然の訃報が入り、その時点でもう葬儀が終わってしまっていたので死に顔も見ていない。会葬者も駆けつける間もないうちに早々と葬儀を終えたのは、奥さんたちの看病で親族たちが大変だろうとの配慮のようだが、なるほどそりゃそうだと、今となっては納得出来る。
それはそうなのだが、どうにもA氏が亡くなったという実感がわかないのだ。そのうちひょっこり、いつものようにその辺に顔を見せるのではないかという気がして仕方がないし、そうしたら一言、言ってやりたいこともある。
「何やってんの?あんな場所で無茶なスピード出して、曲がり切れるわけないじゃない。あんたらしくもないなあ。奥さんも娘さんもいまだに助かるかどうか分からない状態なんだよ。ひどいこと、やっちまったなあ」
「ウチの女房と娘が「ですか?なにかありましたか?」
「何をとぼけた事をいってるんだよ。あんたが事故を起こして大怪我させちゃったんじゃないか。わすれちゃったのかい」
「えーと・・・そうですかねえ・・・あ、あのバイクですけど、マフラーに問題がありまして。部品が入ったらすぐに直して、そちらに持って行きますよ」
「いや、それはいいけどさあ、あんた、その」
「・・・部品が・・・あればすぐに・・・直せたんですがねえ・・・入ったらすぐに・・・」
A氏の姿はゆっくりと崩れ落ち、あたりに立ち込める霧の中に同化して、見えなくなってしまう。後には、今夜は妙にオレンジ色が強く感じられる街路灯の光の下に放置された私のバイクと、ただ立ちすくむ私自身、それだけが残されている。あとは立ち込める霧、霧、霧・・・
海岸からは、相変らず花火が打ち上げられる音が遠く近く響いている。ずっと遠くの県道を、救急車のサイレンが行くのが聞こえた。
街のホテルや飲み屋の発する明かりは、淀む大気の中で混じりあい、不思議に郷愁を誘う黄色く曖昧なひとかたまりの輝きと化している。
街を覆った厚い霧は、その黄色い光を内に飲んだまま、まるで葛で作った和菓子のような、つるりとした半透明の固形物の感触をいつの間にか感じさせつつ、中空に淀み、動こうとしない。いや、ほんとうに霧は、固形物と化し、街を覆い始めているのかも知れない。
固形物と化した霧に街もろとも飲まれ閉じ込められてしまう前に、一刻も早くこの街を出るのが得策のような気もするのだが、私のバイクの調子が悪く、動けない。そして、バイクの面倒を見てくれていたA氏が死んでしまった今となっては、どうすることも出来ないのだった。
霧は立ち込め、夜は更けて行く。