(写真は、”島育ち”ヒット時に奄美で行なわれた田端義夫のコンサート風景。後ろに張られた横断幕に見える”セントラル楽器”の文字に、奄美島唄ファンとしてはニヤリとさせられます)
バタやんこと田端義夫氏の1995年発売のアルバム、「島唄」が欲しくてあちこちうろついているのだが、とうに絶版ということで、また中古品も見当たらず、諦めるしかないようだ。
後にリリースされた、このアルバムの改訂版というのか、”島唄2”なるアルバムなら、今でもレコード会社のカタログに残っていて簡単に入手できるし、すでにこの場でも話題にしている。
”2”は、バタやんのかっての”島唄もの”のヒット曲にプラス、近年になって邂逅をはたした石垣島出身のロックバンド、”ビギン”とバタやんのセッションという形で、ビギンや喜納昌吉などのレパートリーに田端義夫が挑戦した、そんな音源とが半々に収められたものである。
オリジナルの”島唄”は、つまり”島唄1”というべき盤は”2”の前半部分、つまり昭和30年代に田端義夫が放った一連の島唄もののヒット曲、およびその周辺曲ばかりをあつめたものだ。こいつが聞きたくて仕方がないのだ、私は。
あ、もちろん、収められているのは島唄と言ってもピュアな民謡ではなく、歌謡曲調の、例の”新民謡”という奴ですな。
判明した”島唄”の収録曲を表示してみる。
*田端義夫/島唄
1)チョッチョイ子守唄
2)屋久の恋唄
3)ニ見情話
4)すりすり歌
5)奄美小唄
6)ゆうなの花
7)永良部百合の花
8)島有ち
9)泡盛の島
10)くろかみ
11)シーちやん船唄
12)デイゴの花
13)徳之島小唄
14)奄美の織姫
15)奄美恋唄
16)十九の春
あ~聴きたい。半分以上、知らない曲だなあ。1)とか4)とか、「なんのこっちゃ?」と首をかしげる曲名には特に血が騒ぐ。
子どもの頃の記憶に残っている歌もあり、まったく知らない唄もあり、と言うところなのだけれど、そのすべてに濃厚に漂っているのが、独特の斜に構えた雰囲気である。当時、流行だった”粋なマドロスさん”的センスと言うべきか。
”島唄1”に脈打っているのであろう生々しい潮の香りは、ビギンたちとの健全な空気に満ちたセッションからは生まれ得ない、昭和30年代風の”ちょい悪オヤジ”の心意気だ。
フラリと港町にやってきて女を惚れさせ、でも「オカの暮らしはオイラにゃ似合わない」とニヒルに笑い、焼玉エンジンの音と潮に航跡だけ残して去って行く気ままな風来坊の姿は、当時、まだまだ貧しかった日本人の暮らしに吹き抜け、つかの間の自由の夢を唄って過ぎて行く一陣の風だったのだろう。
アナログ盤時代にも、”島育ち/19の春”と題され、”バタやん独特の味わい、島唄ベスト16曲”と惹句の打たれた同趣向のLPが出ているのを確認している。この方面の愛好家は根強くいて、”島唄”の復刻をまっているのだ、なんとかなりませんかとレコード会社関係者各位にお願いしておく。
まあ、ビギンとのセッションも悪くはないんですがね、かってのヒット曲に染み込んでいる昭和30年代の潮の匂いには、敵わないでしょう。
かねてより気になっている、「なぜバタやんは南の島唄をレパートリーに入れることに、あれほど熱心だったのか?」の疑問への回答はいまだ得られずにいる。昭和37年、彼が東京は新橋の沖縄料理店で奄美の”新民謡”であるところの「島育ち」を耳にし、心惹かれたのが事の起こりとまでは分かったのだが。
そして、このアルバムに収められている曲目の奄美への傾き具合から、彼の関心が沖縄より奄美に、より向いていたのは、どうやら確かなようだ。
”島育ち”などのヒットしていた当時、彼に”南島観”をテーマにインタビューなど行なわれなかったのだろうか?あればぜひ、読んでみたいのだが。それにしても欲しいなあ、”島唄1”が。