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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”島唄1”を探して

2008-02-10 23:33:46 | 奄美の音楽


 (写真は、”島育ち”ヒット時に奄美で行なわれた田端義夫のコンサート風景。後ろに張られた横断幕に見える”セントラル楽器”の文字に、奄美島唄ファンとしてはニヤリとさせられます)

 バタやんこと田端義夫氏の1995年発売のアルバム、「島唄」が欲しくてあちこちうろついているのだが、とうに絶版ということで、また中古品も見当たらず、諦めるしかないようだ。
 後にリリースされた、このアルバムの改訂版というのか、”島唄2”なるアルバムなら、今でもレコード会社のカタログに残っていて簡単に入手できるし、すでにこの場でも話題にしている。

 ”2”は、バタやんのかっての”島唄もの”のヒット曲にプラス、近年になって邂逅をはたした石垣島出身のロックバンド、”ビギン”とバタやんのセッションという形で、ビギンや喜納昌吉などのレパートリーに田端義夫が挑戦した、そんな音源とが半々に収められたものである。

 オリジナルの”島唄”は、つまり”島唄1”というべき盤は”2”の前半部分、つまり昭和30年代に田端義夫が放った一連の島唄もののヒット曲、およびその周辺曲ばかりをあつめたものだ。こいつが聞きたくて仕方がないのだ、私は。
 あ、もちろん、収められているのは島唄と言ってもピュアな民謡ではなく、歌謡曲調の、例の”新民謡”という奴ですな。

 判明した”島唄”の収録曲を表示してみる。

 *田端義夫/島唄

 1)チョッチョイ子守唄
 2)屋久の恋唄
 3)ニ見情話
 4)すりすり歌
 5)奄美小唄
 6)ゆうなの花
 7)永良部百合の花
 8)島有ち
 9)泡盛の島
 10)くろかみ
 11)シーちやん船唄
 12)デイゴの花
 13)徳之島小唄
 14)奄美の織姫
 15)奄美恋唄
 16)十九の春

 あ~聴きたい。半分以上、知らない曲だなあ。1)とか4)とか、「なんのこっちゃ?」と首をかしげる曲名には特に血が騒ぐ。

 子どもの頃の記憶に残っている歌もあり、まったく知らない唄もあり、と言うところなのだけれど、そのすべてに濃厚に漂っているのが、独特の斜に構えた雰囲気である。当時、流行だった”粋なマドロスさん”的センスと言うべきか。
 ”島唄1”に脈打っているのであろう生々しい潮の香りは、ビギンたちとの健全な空気に満ちたセッションからは生まれ得ない、昭和30年代風の”ちょい悪オヤジ”の心意気だ。

 フラリと港町にやってきて女を惚れさせ、でも「オカの暮らしはオイラにゃ似合わない」とニヒルに笑い、焼玉エンジンの音と潮に航跡だけ残して去って行く気ままな風来坊の姿は、当時、まだまだ貧しかった日本人の暮らしに吹き抜け、つかの間の自由の夢を唄って過ぎて行く一陣の風だったのだろう。

 アナログ盤時代にも、”島育ち/19の春”と題され、”バタやん独特の味わい、島唄ベスト16曲”と惹句の打たれた同趣向のLPが出ているのを確認している。この方面の愛好家は根強くいて、”島唄”の復刻をまっているのだ、なんとかなりませんかとレコード会社関係者各位にお願いしておく。

 まあ、ビギンとのセッションも悪くはないんですがね、かってのヒット曲に染み込んでいる昭和30年代の潮の匂いには、敵わないでしょう。

 かねてより気になっている、「なぜバタやんは南の島唄をレパートリーに入れることに、あれほど熱心だったのか?」の疑問への回答はいまだ得られずにいる。昭和37年、彼が東京は新橋の沖縄料理店で奄美の”新民謡”であるところの「島育ち」を耳にし、心惹かれたのが事の起こりとまでは分かったのだが。

 そして、このアルバムに収められている曲目の奄美への傾き具合から、彼の関心が沖縄より奄美に、より向いていたのは、どうやら確かなようだ。
 ”島育ち”などのヒットしていた当時、彼に”南島観”をテーマにインタビューなど行なわれなかったのだろうか?あればぜひ、読んでみたいのだが。それにしても欲しいなあ、”島唄1”が。

奄美笠利のテレキャスター

2008-02-09 02:32:32 | 奄美の音楽


 ”アイランドガール” by 中村瑞希

 ブログ仲間のNAKAさんからの影響で奄美の音楽を聴いてみたらこれが予想以上に面白くてすっかりはまってしまっている今日なのだが、考えてみれば、かの島の音楽を聴き始めて実質一ヶ月くらいしか経っていないのであって、良く平気でこんな文章を書けるなと自分でも思う。

 まあしかし、まだ何も分かっていない奴にしか見えない事もあるんだから、この文章だってそれなりに貴重になるかも知れません。”誤読の記録”としてね。ふん、ちくしょーめ。と言いつつ、今回も何の反省もなく書いてしまうのだが。

 奄美の民謡を聴き始めて驚かされた事のひとつは、三線の音の多様さだった。弾き手によって、これほどまでに音の響きが違うものだったのか。

 ある人の三線からは弦の狭間から激しく綾なすリズムの洪水が打ち出され、またある人の奏でる弦は、しっとりと濡れた情感で忍び泣く。へえ、文字通り弦が三本張ってあるだけの楽器なのに、奥が深いものだなあ。
 もちろん私は三線の巧拙などに言及できる知識など持ち合わせず、私なりの印象を語る事しか出来ないのだが。

 たとえば同世代的共感・・・というとうら若き女性であるあちらに失礼になるのかな・・・そうそう、ロック世代的共感を感じさせてくれる三線のプレイとして、中村瑞希嬢の演奏など挙げておきたい。

 純粋に技術的意味において上手い下手と言う辺りさえまだまだ分かっていない当方なのであるが、彼女が歌いながら奏でる三線には、軽薄ながらも「イエィ、ファンキィだぜい」などと乗せられてしまう。
 凛と背筋を伸ばした感じで空間を振るわせる瑞希嬢の歌声の魅力も大いに語っておかねばならないのだが、この三線の味わいも捨てがたく思うのだ。

 あまり湿度を含まない乾いた音質で、しなやかなバネを内に秘めて跳ね上がる三線のピッキングは、ごく当たり前にカッコ良い。
 60年代R&Bシーンにおけるメンフィスのスタジオのギター弾きがフェンダーのテレキャスターとかを使って織り成すリズムなど想起してしまうのだが、これは無茶な連想か?いや、そうでもないと思うよ。

 さて、私がもっと奄美の民謡に造詣を深めた暁には、以上の文章を「なんて見当はずれな事を言ってしまったんだろう」と頭を抱えることとなるのだろうか。

 頭を抱えたってその時はもう皆がさんざん目を通して私のピント外れの見解に呆れた後であり、後悔したって遅いのであるが、いや、かまやしないのさ。とりあえず私がこの時点で中村瑞希の三線のファンであったことを言っておければ十分だ。

”きょらうた”と”きゅらうた”の狭間に

2008-02-05 04:39:32 | 奄美の音楽


 この非常時に(?)また里アンナの話題で恐縮です。

 私の前に、奄美出身の歌手・里アンナのCDが2種置いてありまして、一枚は98年、彼女が”奄美民謡大賞”で新人賞を受賞し、その記念に奄美のローカルレーベル、”セントラル楽器”から出したデビューアルバム「きょらうた」です。

 で、もう一枚は、その後、”ポップスシンガー”になるために奄美から東京に活動拠点を移した彼女が昨年、初めて出したシングル、「きゅらうた」であります。上京後、ミニアルバムは出してきたけど、意外にシングルはこれが初めてだったんだな。

 しかしややこしいなあ。なんのこっちゃい、奄美の言葉を詳しくなんて知らないけど、「きょらうた」と「きゅらうた」と、どう違うんだ?インタビューなど読むと、里アンナ本人も勘違いしたなんて話が載っていて、ますますなんのこっちゃである。まぎらわしいタイトル付けをするなと言うのだ。

 先に書いた通り、私としてはデビュー盤で奄美の島歌を歌う彼女に惚れてファンになった者であるのだし、現在の彼女の目指す”ポップス”いや、この場合は”Jポップ”とか呼ぶんでしょうか、その辺の音楽にはあまり興味をもてない。それゆえ里アンナ・ファンとして現在の彼女にどのようなポジションで向き合うべきか、ちと困惑気味なのであった。

 そもそもは「きょらうた」の(つまり、デビュー盤の方ね)ジャケ写真が可愛かったから、というのが里アンナに注目するきっかけなんだから、彼女の音楽の方向性がどうのこうのというなよ、ってなものですが。でもまあミーハー系とは言え、一応、ワールドミュージックのファンなんでね。それは、お洒落なポップスより土の匂いがする民俗サウンドが出来れば聴きたいわけです。

 しかし里アンナ自身はこのあたり、どう自覚しているんだろう。自分の出自である”奄美の唄者”としての部分と”ポップス”の歌い手を目標としてプロの世界に足を踏み込んだ自分の、相克とかはあるんだろうか?
 ポップスの歌い手として世に問うたCDが3枚ともミニアルバムである、フルアルバムでもシングルでもない、ってのが彼女、あるいはそのスタッフの迷いを示しているんでは?とか勝手に深読みしてみたりするんだけど。

 もっともねえ・・・

 たとえば問題の「きゅらうた」(シングルのほうね)など、そもそもがコーラスグループの”サーカス”のメンバーが作り沖縄の歌い手に贈った歌なんだそうで、確かに”ここが聴かせどころだ!”ってあたりに沖縄音階、例の”ドミファソシド~♪”が登場して、沖縄気分を大いに盛り上げる。

 この辺、複雑な気分じゃないのかなあ、なんて思っていたのだ、私は。奄美を沖縄の一部と思っている人も結構いるし。歌うにあったって、「これはあくまでも沖縄風の唄で、奄美の音楽とはちょっとちがうんだけどなあ」なんて内心、忸怩たるものがあったんではないかと。

 ところが。さっきネットの某所で見つけた里アンナへのインタビュー記事を読んだところ。なんと、サーカスのメンバーの作った「きゅらうた」を歌いたいと言い出したのは里アンナ自身であると。一聴、「いい歌だなあ・・」と感銘を受けたんだそうで。
 うん、こちらが入れ込むほど、歌手自身はそのような方向には敏感にはなっていず、もっとおおらかな感性でいるのかなあ、などと拍子抜けした次第で。うん、筒井康隆の初期の短編にあるように、人はそれぞれに勝手な場所に穴を掘りつつ生きているのだろうね。

 変なところにこだわるのはつまらないかも、との啓示と受け取ることにした。
 



偽奄美唄者への無謀なる道程

2008-02-02 02:02:24 | 奄美の音楽


 昔、あれは誰かがライ・クーダーとデヴィッド・リンドレイについて論じた文章の中でだったと記憶しているのだが、”ワールド・ミュージックへの接し方において”誠意派”と”大体あってりゃ良いや派”がいる、なんて話題があったものだ。
 ライのように「あくまでも誠意を持って」みたいな姿勢で(結果はどうあれ)異郷の音楽に取り組む者もいれば、リンドレィのように「この音楽への解釈、これで良いのかどうか分からないけど、とりあえずやっちゃおう」みたいな軽いノリ(内実はどうあれ)でやってしまう者もある、なんて内容だった。

 その伝で言えば私は明らかにリンドレイ派、それも相当に軽薄なそれである。
 たとえば現時点で私にとって一番”来ている音楽が奄美の島歌であるのは確かなのだが、まだ何枚かのCDを聴いただけ、この人は重要であろう、かの音楽に本気で接するには聴いておくべきだろうな、なんて人々の多くをまだ聴いてもいない、奄美の島歌の端っこを齧っただけの現時点で、もう自分で島歌を歌ってしまおうなんて気になっている。こんないい加減な話はありませんぜ。

 要は、島歌のCDを聴いていたら、バックの三線が奏でるリズム・パターンをギターのフレットの上に移し変えて繰り出すアイディアを思いついたのでさっそく実行に移してみたくなった、それだけの話なのだが。

 そんな当方のとりあえずの困惑は、島歌のCDの歌詞カードには納められている歌の歌詞がフルで記載されていない、という事実に関してである。こいつは困るよ、ただでさえ分からない奄美の言葉で歌われているんだから。

 今読んでいる「奄美丸ごと小百科」って本でも著者によってぼやかれているが、奄美の島歌って、余所者にはなかなか歌えるものじゃないです、これは。奄美のそれに比べれば沖縄の島歌の、余所者にもなんと覚えやすいメロディであったことか、である。大ファンであったとは言いがたい私にも口ずさめる歌が何曲もあるものな、沖縄の島歌には。

 何で奄美の島歌がそのように余所者に身に付け難いかといえば、その理由の一つは「小百科」の著者が述べているが如く、奄美の言葉が分からないからである。
 唄のメロディを身に付けるのに、歌詞の存在は頼りになる。それが意味の取れない外国語でも良い、たとえば英語のように聴き馴染んだものなら、判読可能な発音記号として大いに役に立つ。

 ところが当方がこれまで手に入れた奄美の島歌のCDは皆、歌詞カードに歌詞のすべてではなくその一部と唄の大意が記されているだけなのであって、これ、”どうせ意味が分からないんだから”と省略してるんだろうが、ちょっと困るなあ。

 意味が分からないからこそ、歌詞はすべて載せて欲しい。”ハァ~”といった片々たる掛け声に至るまで。未知の音楽を理解するよすがとなるんだから。文字として記された、余所者には聞き取りきれない歌の文句は。

 奄美の島歌をその土地の者以外が身に付け難い理由はもう一つ、そのメロディが近代的な歌謡のフォームではなく、よりアルカイックな古代歌謡のありようを示しているからだろう。今日的”唄のメロディ”ではなく、フレーズの連なりというかモード・ジャズ的というか、どう音楽的に表現していいのやら分からないが。

 そしてメロディ全体の構造も、”A-A'-B-A'で16小節、あるいは32小節”なんて形態ではないのだ、奄美の島歌は。”A-B-A-B-C-D-E-F”とか、”A-B-C-D-E-F”とか、”ポピュラー音楽としての洗練”が形成される以前の”民俗音楽”の様式によって提示される。

 沖縄の島歌が同じ”言葉が分からない音楽”でありながら奄美のそれに比して我ら余所者に比較的受け入れ易いのは、それらが今日的歌謡の体裁を整えているからだろう。逆に言えば、私が沖縄の島歌にない魅力を奄美の島歌に感じたのは、まさにその蒼古の歌謡の響きがスリリングだったからと言える。

 その”モード進行”メロディが伴奏の三線とリズミックに絡み合いながら進行して行く様が、かって好んで聴いていた戦前のアメリカ黒人たちのプリミティヴなデルタブルースなどと構造上似ている部分もあり、先に述べたように”ギター弾き語りによるアメリカ戦前ブルース風奄美島歌解釈”などという邪道を思いついてしまった次第。

 と、なにやら訳の分からん事を延々と書いてしまった訳だが、すまん、いつかもっと要領よく説明できる日も来ると思う。長~い目で見ていてください。むむむ・・・

太陽を孕む唄・里アンナ

2008-01-19 03:07:57 | 奄美の音楽


 ”きょらうた”by 里アンナ

 上の盤、奄美の島歌CDを集め始めた際、ともかくジャケ写真が可愛いんで即、ジャケ買いを決行。ほかにも、パシフィック・ムーンから出ている”島歌”ってアルバムをはじめとして、なかなか可憐に写っているジャケ写真の多い人でして。

 けど、ジャケの裏を返すと、一瞬、「あ」と思うこともあり、いや、騙されたとか言うんじゃなくて、ただちょっとニュアンスが違うかな、と。いや、いずれにせよルックスの良い人であるのに違いは無いですよ。このアルバムの歌詞カードに添えられた高校の頃の浴衣姿の写真とか見るにつけても、かなり気になっていたクラスの男子もいたんではないか。

 けど、どっちがほんとの里アンナのルックスなんだ?まあ真相はパシフィック・ムーンから出ているライブDVDを見れば分かるんだろうが、ファンになって日の浅い私はまだ心の準備が出来ていないんで、それは出来ない。
 ・・・なんという事を言っているのかね。これがファンの書く文章であろうか。というか、音楽の話をせんかい。

 里アンナは、もうずいぶん前に奄美を離れて唄の現場を東京に移しているのだそうだ。活動は島歌だけにとどまらず、「ポップスシンガーを目指して」と言うことなので、その道では先輩に当たる元ちとせのような方向を考えているのか。その後にリリースされたアルバムも、前記”島歌”以外は純島歌の内容のものはなく、いわゆるJ-POP的なものの中に南の島的ニュアンスが漂う構成となっている。

 これは彼女が望んだ路線なのか知る由もないが、彼女のデビュー作である島歌アルバム”きょらうた”を聴いて彼女のファンになった者としては残念だ。

 里アンナの公式(?)キャッチフレーズは「精霊の宿る声」なんだそうで、これも元ちとせの、百年に一度だか千年に一度だかの歌声、といった売り文句を意識しているのだろうけど、そのような神秘めかした方向は、カラッと明るい個性を持った歌い手である里アンナには似つかわしくないように思える。

 全国デビュー前、奄美ローカルの島歌歌手だった頃の元ちとせの録音を聞くと、結構ドロドロした情念をたぎらせているのであって、精霊のなんのと言うあっちの世界の話は、そのような個性の持ち主に任せておいたほうが無難だろう。

 と言うわけでやっと本題の、アルバム”きょらうた”にたどり着いた。
 冒頭に書いたようにジャケ買いしてしまったこのアルバム、里アンナが18歳の時、奄美民謡大賞新人賞を受賞した記念に吹き込まれたものだ。

 まず引っかかったのが、冒頭の”朝花”に顕著にみられるのだが、フレーズの末尾をややアウト気味の音程で放り出すようにして終わるパターン。このような歌唱法の伝統が奄美の島歌にあるのか知らないが、なかなかファンキーでカッコ良く聴こえ、実はその一発で彼女の歌のファンになってしまったのだ。

 たとえば、ややストイックな個性でハードエッジな切れ味が魅力の中村瑞希とくらべると、里アンナの島歌はふくよかな温かみや明るさが感じられる。果汁100パーセントのジュースみたいな個性なのだ。
 そいつがなかなか好ましいので、その辺をアピールして行けばいいのになあ、精霊とか言うよりも。そして時には島歌のアルバムも出してくれれば、などと遠い街よりお願い申し上げる。

 うん、実は私、里アンナの”ポップス”もののアルバムも買ってしまっているんだけどね、「島歌ファンとしては残念だ」とか言いつつも。ファンなんてそんなものであります。
 

奄美新民謡2・水の惑星から

2008-01-16 04:06:28 | 奄美の音楽


 ”海 果てしなく”by 久永さとみ(アルバム”奄美物語”所収)

 前回に続いて奄美新民謡を聴く訳ですが、なかなか悩ましいのは奄美のレコード店のカタログにある新民謡のアルバムのなかで、かなりのものが「10曲入っていれば歌入りは5曲で、後の半分はその5曲のカラオケ」という構成である、と言う事実。これで価格は10曲とも歌入りのものと変わらないんだから、う~む・・・

 新民謡なるもの、ただ聴くだけではなく歌うことが前提の音楽である事の証明と受け取れば良いのでありましょうか。

 とりあえず通販サイトの試聴コーナーを聴いて行き、まず興味を惹かれたのが久永美智子なる作曲家。それほど大量のアイテムが並んでいるわけでもない新民謡のジャンル中に彼女の名を冠したアルバムが2種も出ているあたり、斯道の大家と考えて良さそうな。その作風も、やはり基本は昔ながらの歌謡曲とはいえ微妙にオシャレな雰囲気も漂うようで、気になって来ます。

 ここで取り上げるのは彼女の名を冠したアルバムのうちの一つ、”奄美物語・久永美智子シリーズ”であります。収められているのは

1.ひれん海峡(久永美智子)
2.奄美の女(中島 章)
3.黄昏のラブソング(久永美智子)
4.南回帰線(久永さとみ)
5.海 果てしなく(久永さとみ)
6.奄美エアポート(川元末広)
7.わるつ(久永さとみ)
8.あまみ恋歌(久永美智子)

 の8曲、および各々のカラオケ(ううう・・・)

 歌伴はきわめてシンプル。あまりにもエレクトーンな奏法のキーボードの多重録音に、たまにそれ以外の楽器が一つ加わる程度のもので、このあたりはローカルポップス好きのワールドもののファンとしては、逆になにかありそで血が騒ぐ次第で。

 主人公たる作曲家(ご本人の歌も納められている)久永美智子氏は昭和17年生まれのカラオケ教室講師なる肩書きとなっておりまして、その他、歌い手の方々も名瀬市役所に勤務とか大工であるとか、いかにも街角の流行り歌がダイレクトに収められたという感じが麗しいです。

 居並ぶ各歌はどれも昔ながらの歌謡曲風とは言え、やはり”本土”のそれにはない、南国らしい伸びやかな歌心というものが感じられます。聞いていると奄美の海に沈む夕日を眺めながら時の過ぎ行くのも忘れて一杯やっているみたいな気分。いや、ほんとにそうしてみたいものですなあ。そうか、そんな時、アルバムのカラオケ部分が役に立つのか。

 通販サイトの試聴コーナーで断片として聴いていた時から心惹かれていた曲、”海 果てしなく”を、やはり何度も繰り返して聴いてしまう。

 これは、都会の華やかな暮らしを夢見て北の街に渡った女性が、おそらくは水商売に身を置きながら故郷の奄美を想う、といった趣向の演歌にはありがちな曲。
 とはいえ、歌い手の久永さとみ氏の歌いぶりは奄美の陽光あふれる自然がそのうちに脈打つようななんとも健全なもので、ネオンの街の不健康な翳りはあんまり感じられない。すでに歌の主人公は都会暮らしに見切りをつけて奄美に帰っているのかなあ、などと想像します。

 当方がこの歌に魅了されてしまったのは、歌の背景に広がる豊饒な海の広がり、そのイメージ。
 都会暮らしに疲れて歌の主人公が見つめる、裏町を縫う川の流れ。ネオンの輝きを写したその淀んだ水がやがては合流するその先に予見される広大な海の広がり。その溢れかえるような深い青の奔流は陽光を受けてキラキラ輝きながら、この水の惑星を巡って行く。

 まあ、こちらが勝手にイメージしているだけと言われりゃそれまでなんですが。というか、この文章を読んで過大な期待でCDを購入されたとしても、何の責任も取る予定はありませんから、ととりあえず言っておこうか。でも好きなんだよ、この歌。

奄美新民謡に触れる・1

2008-01-14 03:24:25 | 奄美の音楽


 奄美話が続いて恐縮ですが。まあ、奄美の音楽に興味を持ち始めて、その関係のレコード店の通販サイトなど覗きだした頃ですよ。当初の目的である民謡のコーナーの下に、なにやら面妖な”新民謡・奄美歌謡”なんてコーナーがあるわけです。こりゃなんだ?と。

 そちらをクリックしてみると、「奄美の女」「名瀬セレナーデ」「アダン花」「奄美エアポート」「徳之島小唄」などなど、奄美のエキゾティックな側面を強調した作風の、まあ言ってみりゃベタな観光ソングか?とも思われるタイトルの曲が収められたアルバムが並んでいる。

 その中に私なんかの世代には”子供の頃に三沢あけみの歌で聞き覚えのある曲”である「島育ち」なんて曲も混じっているのを見つけ、ああ、バタやんこと田端義夫が盛んにレパートリーに入れていた”奄美の島歌”とは、この辺のもののことだったんだな、と知る訳です。

 アルバムを取り寄せて聴いてみると、特に奄美の伝統音楽色は濃厚に感じられない、古いタイプの歌謡曲といった佇まいです。

 この辺がちょっと面白いなあと私の嗅覚が反応した次第で。”奄美ローカルの大衆歌謡”が2重に存在しているようだ。しかも、どちらもある意味、偏った存在の仕方で。
 片や純民謡(?)は、なにやら万葉の時代まで遡ろうかと言うアルカイックな様式美の中に立てこもり、もう一方の新民謡なるものは逆に妙に愛想良く、”そてつの実”やら”奄美ハブまつり”やらとご当地名産品を差し出し、物見高い観光客の欲求に応えてくれる。曲も歌いぶりも非常にベタに歌謡曲、歌詞も標準語であったりする。

 通販サイトに記されていた解説には、

 ”新民謡とは、大正末期から昭和の初めにかけて全国的なブームを呼んだご当地ソングの総称である。奄美の新民謡は、1.戦前期  2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期 三つの時代があった”

 とあります。

 この文章によると新民謡なるもの、特に奄美特有のものでもないようで。戦前のある時期、”新民謡”は日本各地に普遍的に存在したもののようだ。
 こいつは調べて見る価値ありかと思えます。今の耳で聴けば古いタイプの歌謡曲と聴こえちゃうんだけど、当時は日本の民衆の心を時代の先端の表現で語ろうとした斬新な試みだったんじゃないのか。本土では、どのような新民謡が作られていたんだろう。

 問題はその後、記されている部分で言えば2と3、”2.戦後のアメリカ支配期 3.奄美ブーム期”なのでしょう。本土ではそのまま忘れ去られてしまった新民謡だけど、奄美においては2度目、3度目の波が来ている。それゆえにリアルな手触りを持って新民謡は奄美の大衆文化の中に生き続けたのではないか。
 もちろんその後、奄美にも本土と同じく欧米化されたポップスも流入しているのでしょうから今日の新民謡、微妙な立場であるかと思われるんですが。

 ともあれ結果的に奄美の新民謡、非常にユニークな形で東アジア大衆歌謡連続帯の一隅にユニークなポジションを占めてしまっていると思われ、私としては、追いかけてみようかななどと考えたりもしている次第なのであります。

長雲ぬ坂よ

2008-01-11 04:17:22 | 奄美の音楽

 シンクロニシティとかって言うの?その種の神秘ネタってなにも信じていないんだけど、なにごとかに興味を持ったとたんに、その関係のものに妙にぶち当たる、なんてことは時に、ありうる。
 今回も。なんとなくつけていたテレビの、真夜中の名も知らない音楽番組で奄美の小特集など今あったばかりなんでちょっと驚いてしまった。

 まあ、番組の内容と言っても、”東京で夢を抱いて頑張る奄美出身のミュージシャンの卵たち”なんて、ありがちな青春群像ものであって、特に見るべき部分もなかったのだけれど。それでも、中村瑞希が地元の民謡酒場のような場所で三線を弾いて歌う姿をほんの数秒だけど見ることが出来たのは見つけものだった。

 で、先日、ここに書いた話の続きになる。これはなあ・・・後々、奄美の音楽についてもっと知識を持てたら「なんてピントはずれなことを書いちゃったんだろう」と反省すること必至の文章になるんだろうが・・・
 まず、オノレの書いた文章を引用するけど。

 >想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、
 >奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って
 >言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、
 >古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に
 >向うタイムマシン感覚。

 >歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で
 >出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくる
 >のではないか。
 >なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、
 >歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知ると
 >ますますムズムズするものを覚え。

 手探り状態で、届いた若干のCDを聴き進んでいるのだが、上に述べたような想いがますます膨れ上がっている状態だ。

 まず気になったのが歌詞のありようだった。急峻な坂道は彼岸へと至る渡し舟であり、船の艫に留る白鷺は神の化身である。そんな世界が、アルカイックというのか、シンと澄んだ余情を持って歌われる。

 例の”梁塵秘抄”などを想起させる、中世歌謡などまでも遡っていってしまうようなモノクロームの幻想を孕んで、時の流れにはむしろ竿差し、森羅万象に宿りたもう神々の隣に歌は存在している。
 歌を歌うという行為が、それらの神々とともに暮らしていた上代の人々との魂の交流を目的としているかのようだ。

 どうしても比べたくなってしまうが、沖縄の音楽などに見受けられる現在進行形の現実との関わりよう、あのようなものとは別の方向に歌が存在している。

 ひょっとしてそれは、あの”新民謡”なるものの存在が大きく作用しているかも、などと恥のかきついでに書いてみる。
 本土の普通の歌謡曲のようなフォームを持ち、標準語で歌われる、ある意味、外向きの奄美の歌。古くからの民謡ではなく、奄美における、より”今日的”な歌謡の創造として(それは、もはやアナクロの影が差しつつありはするのだが)世に送り込まれた大衆音楽。

 奄美における”世につれる歌”の役割は、あの”新民謡”が負い、何か別の祭祀を、純正民謡(?)は受け持っているのかもなあ、などと右も左も分からないうちにとりあえず想像してみる。あとで「なんてピント外れを言ってしまったんだ」と頭を抱えるかもしれないが、その時はその時である。

 とりあえず、本土においても沖縄においても事実上失われた音楽たるド歌謡曲たる”新民謡”が、そのハザマの奄美で不思議な形で息ついている、そのことだけでも十分面白い。あの音楽、当初想像したような”民謡のサイド・メニュー”以上の存在であるのは確かなようだ。
 なんて事を書いても、ほとんどの人には何の話やら分からないだろうなあ。意味不明の思い付きを書いてみただけです、お許しを。

奄美島歌中間報告

2008-01-06 05:10:46 | 奄美の音楽


 ”Kafu ”by 中村瑞希

 奄美島歌関係のその後なのだが。

 奄美のレコード店から第2弾の商品送付が昨年の29日になされているようなのだが、それがまだ届かず。大丈夫だろうな。と言う気分になってきた今日この頃。まあ、発送告知メールには「年末年始が挟まるので一週間ほどかかるかも」とあったので、もう少し待ってみようか。とは言え、昨日がその一週間目だったのだが。
 びっくりしたのは奄美関係の書籍を注文したアマゾンだ。昨日注文したら今日届いた。逆にアマゾンは暇なのか?あるいは奄美ものも年が明けてから頼んだ方が早かった?なにやら分からんです、流通業界。

 奄美のレコード店通販サイトの試聴コーナーで音楽の断片を試し食いするうち、かの地特有の音楽として”民謡”と”新民謡”とがあるらしいことが分かってきた。(まあ、それ以外にもあれこれあるのだろうけれど)いわゆる”民謡”と、いわゆる”本土”の歌謡曲の奄美版みたいな”新民謡”なるものと。
 で、文頭に第2弾の注文などと書いてあるのがそのあたりの事情に絡んでいるのだった。

 つまり試聴コーナーを聴いているうち、学究的音楽ファンは無視しそうな(つまり、いわゆる歌謡曲風で奄美の民族色薄いように感ぜられる)新民謡の数々が、私の本来の興味の対象であるアジアの裏町歌謡の体系に連なるものではないかとの予測が出て来たのだ。

 そんな訳で、注文済みの奄美民謡中心にセレクトした荷が届くのも待てず、慌てて新民謡中心の追加注文を行なったのだが、その第2弾目の注文品が先に述べたとおり宙ぶらりんの状態となっていて、非常に中途半端な気分だ。

 まあ、まだ奄美の音楽に興味を惹かれてから一月も経っていない、こんなジタバタする事はないんだけどね。とは言いつつも、聴きたい知りたいとなったら一刻も早く、となるのがマニア気質と言うもので。おそらくは正気の沙汰で無い文章になっているかと思うがお許し願いたい。

 ともあれ。まだ何枚も聴いていない奄美ものだが、”日本の伝承音楽”として民謡を聴き、”アジアポップス連続体に連なるもの”として新民謡を聴くと言う二本立てになって行くのではないか?という予感がしている。

 そんな次第で、今は第1弾の注文によって届いている”Kafu / 中村瑞希”なるアルバムを繰り返し聞いている現状である。
 奄美島歌を紹介するオムニバス盤にも中村瑞希の歌は何曲も収められていたり、とりあえずのとっかかりとして彼女あたりが適当だろうと見当をつけたのだ。

 パワフルで鋭い歌声である。期待を裏切らない好ましい響きで、彼女のほかの作品もいずれ買っておかねばと思う。
 沖縄のものより乾いていて細く高音域で鳴っている感じの三線。その繰り出すフレーズと歌声を聴いているうち、アメリカ南部の黒人たちのバンジョー音楽を想起した。
 あの、”アコースティックなファンク”みたいなバネを秘めつつ跳ね上がり絡み合う楽器の爪弾きと歌声。共通するものがある。この盤はほぼ三線の弾き語りで出来上がっているようだが、音楽的にはこれで十分、他の楽器の介入は必要ないのではないか。

 想像していたよりも”南島”の感触はない。むしろ、どこだっけなあ、奄美島歌の歌詞に関していろいろ検索しているうちに出会った”万葉”って言葉がふさわしい、なにやら柳田国男の民俗学本とか引っ張り出したくなってしまう、古代日本に通ずる感触を受け取った。つまり南へ向う横の移動感覚よりも過去に向うタイムマシン感覚。

 歌詞について、もっと知りたいと思った。能なんかに通ずる幼形成熟的美学で出来上がっているようで、こいつは突っ込めばかなり面白い世界が見えてくるのではないか。
 なんとなく以前より曲名だけ知っていた” 上がれ世ぬはる加那”をはじめ、歌詞の意味が今では良く分からなくなってしまっている歌も多い、などと知るとますますムズムズするものを覚え。

 あーもう、早く第2次注文分が届かないかな。そいつを聴いた結果では、即、第3次注文も出ようというものを。え、購入予算はどうするのかって?いや、生活費はケチっても、音楽に使う金はケチケチしたくないと思ってるんで。家庭?もう10数年前に崩壊してますが、なにか?

 ・・・などとバタバタしている神話時代が、音楽ファンとしては一番幸せな時期かもしれないんですがね。まあそれは、あとで振り返ってそう思うことで。とかなんとか歌謡曲の歌詞みたいな事を言いつつ、中間報告を終わります。

上がる日ぬはる加那に向いて

2008-01-01 23:57:52 | 奄美の音楽

 明けましておめでとうございます。今年もヨロシク。

 昨夜は久しぶりに本気で酒を飲んでしまった。脂肪肝の件、ドロドロ血の件などから医師に酒をひかえるように言われ、ほぼ(ほぼ)そのように暮らしてきたこの4年ほどだったのだが、まあ、正月くらい良いでしょ。3が日明けたら、また酒ご法度の修道院生活を再開するから許しておくんなさい。てことで。このところずっと血液検査の結果も良好だしね。

 朝目覚めたが、予想した二日酔いはなかった。やはり飲んでいなかった分だけ体が回復力を取り戻していたのだろうか。
 その代り、なんとなくあまずっぱいような感傷が心の隅にあった。それはたとえば気になっていた女の子と上手く行きそうな予感とか、そんな胸騒ぎ。現実にはそのような兆候は私の生活にはかけらもない、そんなものとはまるで無縁の日々を長いこと送っているのだが。

 ”怒れる大家”としての私の昨年の仕事納めは、我がアパートの貸借人の一人(いろいろ問題あり)への説教だった。「一人前の社会人としての常識を知れ」などなど、自分でも信じていないような事を切々と説いた。小一時間。いや、そんなに長時間ではないがね。そんなの、こちらの根気が続かないよ。

 それはともかく。ともかく、「何を考えてるんだよ」と相手の非常識を責め、「しまいにゃアパート追い出すぞ」と説いた。ちなみに相手は私よりずーーーっと年長者である。相手は、「ハア、申し訳ありません」と頭を下げてはいたが、分かっているやらいないやら。
 もう情けなくてね。説教されてる相手も、している自分も。もう少しマシな事をするために我々は生まれてきたんじゃないのか。いやなにも「より意識の高い生活を」とかスカした話をしたいわけじゃない。ただ、「俺たちの人生って、ゴミみたいなものだなあ」とか実感しながら生きていたくないってそれだけの話なんだが。

 昨年の夏は、ブログで相互リンクを結んでくれているNAKAさんが突然、奄美の島歌を取り付かれたように聞き始め、驚かされたものだった。NAKAさんは同じワールドミュージック系の音楽のファンでおられるのだが、「この音楽を聴いてみたいが、自分の今聴いているのがこれだから、まずこの辺を聞いてからその次に」とかトライする音楽の段取りを考えたりして、万事アバウトな私から見ると几帳面過ぎるほどの音楽へのアプローチをされる方なのだ。

 そんな定規で測ったような(?)音楽ファン道を歩むNAKAさんにしてからが、突然、レコード店頭における何の気なしの試聴により、それまで興味もなかった奄美島歌の強力なファンとなり、それ以外の音楽を聴かなくなってしまったりするのだから人生、そりゃ何が起こるか分かりません。
 ともかく一時、NAKAさんのブログは奄美民謡に関する記事で一杯になり、「どうしちゃったの、これ?」とか呆れてそいつを読んでいるうち、ついには自分も奄美の音楽を聴いてみたくなり、現地のレコード店にオーダーを出してしまった私なのだった。

 それまでに奄美方面の音楽に興味を持ったことはない。強いて言えばバタヤン、田端義夫氏が奄美ネタの歌謡曲(現地奄美ではその種のものが”新民謡”と呼ばれていると、今回、知った)を歌っているので、その背景を知りたいと思ったことがある、その程度のものだった。

 いずれにせよ、かっては奄美も沖縄も区別のついていなかった当方であり、左翼の人が何かというと「沖縄の音楽こそ最高!」みたいな、音楽そのものとは別のところに価値基準を置いた上での無条件の持ち上げ方をしたり、また沖縄のミュージシャンも、あまりにも沖縄の人と風土に撞着し過ぎているような感触があり、沖縄方面の音楽は、照屋林助氏とかの一部の例外を除いて、あんまり聴いてみたいとも思わなかった。

 だからそれと区別のつかなかった奄美の音楽も積極的に聴く気など起こしはしなかったのだが、NAKAさんの記事を読むうち、奄美の音楽が沖縄とは異質の個性ある世界を形成している事実を知りジワジワと興味が湧いて来た次第で。
 よしと思い立ち奄美のレコード会社に若干のCDを注文する頃には「これはずっと以前に聴いておくべき音楽だったのだ」なんて気持ちになっていて、一刻も早く聴きたいなんて焦燥感で一杯になっていたのだから、私と言う人間もなんて奴だろうか。

 注文した奄美島歌のCDは昨年の暮れの30日にギリギリで届いた。そして”年末年始特赦”で自分に酒解禁をしたハレの日の夜は、小包みから出て来た奄美発の音盤群を相手に過ぎて行ったのだった。

 まだ聴き始めたばかりの奄美島歌についてあれこれ語る事はまだ出来ないのだが、南国の島歌というよりは、昔良く聞いたアメリカ南部のデルタ・ブルースあたりを想起させる硬質でモノクロな叙情が三線の響きと独特の裏声に乗って一幕の物語を提示する、その世界にまあ、まだ分かっていない部分も大半だろうが、とりあえずスッと入って行け、聴いて楽しめたのが幸運と思えた。

 そういえば。冒頭に書いた、心の底に漂っていた正体不明の甘酸っぱい幸福感て、「これから奄美の音楽でしばらく、楽しめそうだな」って期待感だったと今、分かった。想いが女性絡みだったのは、今回購入したCDが若い女性歌手のものばかりだったせいなんじゃないか。
 なんつーか、くだらないというか寂しい話だろうなあ、傍目には。いいのさ、音楽ファンとしてはこれで十分。以上、年頭の所感でした。今年はまず、奄美で行く。それでは今年もヨロシク。と言うことで。