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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

城南海の単なるファンです。

2009-04-26 02:52:07 | 奄美の音楽


 ”城南海”

 うわ。今、城南海ちゃんの新曲のビデオクリップ(という言い方で良いのか、まだ?それさえ分からないほどナウいヤングと無関係な生活となってしまっている我が日々・・・)を見てしまった。そうか、あるんだ、そういうものが。なんとなくテレビをつけたらやってたんで終わり近くを見ただけだぞ、くそ。

 他にもあるんだろうなあ、ああいったフィルムは?なんか7月にまたシングルが出るらしいけど、ビデオクリップ集も早いとこ発売よろしくなっ。そういや、「地元・鹿児島ではデビュー前に異例の55分のドキュメンタリー番組が鹿児島テレビ(KTS)で放送されることが決定」なんて昨年秋の日付けの記事をネットで見かけたけど、これはどうなったのだ?ローカルで放映されただけなのか?

 と、もう彼女に関しては単なるミーハーと化してしまっている私である。面目ない話である。
 まあ私は、モーニング娘の歴代メンバー全員の名前とか普通に覚えているアイドル好きであるので、お許し願いたい。
 もっとも、先日書いた新しいシングルへの感想に変わりはないのであるが。つまりはあの方向に行くと、元ちとせの二番煎じで終わりそうで、どうも納得できないのだ。何度か聞くうちに、最初に聞いた時の違和感はある程度薄れていってはいるのだが。

 そもそもが、古代歌謡が原型のまま生き残っているようだ、という方向から奄美の島唄に興味を持った私だった。
 知人が熱烈に入れ込んでいるので気になって奄美の島唄を聴いてみたら、あれももう20年以上前の作品になるのか、桃山晴衣が中世歌謡の再生に挑んだ”梁塵秘抄”なんて作品、あそこに収められていた歌の世界が血と肉を通わせ、立ち上がってくるように思えた。

 うわ、凄い、こんな歌が生きている世界があったのか。お隣の沖縄の島唄とは、まるで次元の違う、不思議な存在の仕方。血が騒いだね、この出会いは。

 そういえば島尾敏雄の小説なんかも高校の頃に読んだよなあ、とか思い出して奄美の風土に関する本も読んでみたら島の文化自体にも惹かれるものがあり、といったルートで我が奄美熱は高まっていったのだった。が、アイドルまで奄美産を嗜好するようになろうとは。
 いや、彼女をアイドルと呼んでしまっていいのかどうかが分からないのだが。そもそもレコード会社は彼女をどういった方向に進ませたいのだ?やっぱり奄美の先輩、元ちとせの路線なのか?

 まあとりあえず城南海ちゃんにおかれましては、タイアップ曲を歌うのはいいけど、”余命なんたらの・・・”みたいな悪趣味なお涙頂戴ドラマの主題歌とかを歌うようにだけはならないで欲しい、とそれだけお願いしておこう。

城南海の2ndシングル

2009-04-19 03:37:05 | 奄美の音楽


 ”誰カノタメニ・ワスレナグサ”by 城南海

 と言うわけで先日、奄美出身・島唄系アイドル歌手(この子の正式な歌手としての肩書きはしかし、何と言うのだろう?)の城南海ちゃんの2ndシングルCDが出たのでさっそく手に入れ、今、聴いてみたのだが。
 う~む・・・微妙かも知れない。とりあえず、デビュー曲の”あいつむぎ”みたいに「これで決まり!」と思える曲がないのが惜しい。

 何しろ彼女は、なぜか心惹かれる奄美の出身であって、アイドル好きのワールドミュージック・ファンとしてはもうすっかり応援したい気分になっているんで、当方としてもなかなかに追い詰められた(?)気分だ。

 一曲目の冒頭、リズムを刻むドラムスの音に、まず「なんだこりゃ?」と呆れる。こんなバシャバシャした音が彼女の歌に合うとは思えないんだが。
 でもこれは、ある意味仕方ないのであって。この曲はテレビの昼のメロドラマの主題歌なのですな。言ってみりゃこの曲は”営業”なのであって、彼女の個性を考えるより、その種の番組の視聴者の好みに合わせるのが優先事項ということで。

 これは曲調とかすべてに言えることで、昼メロの主題歌って実際、こういうのばっかりだよな、湿った感じのバラードでジトッと迫る。”笑っていいとも”が終わったあともテレビをつけっ放しにしておくと小堺の番組の後で昼メロが始まるんで、大体のパターンは知ってるんだけど。
 うん、あんまりねえ、ここでは城南海という歌手が真価を発揮出来るような曲が与えられていない。なんか湿っぽ過ぎたりオシャレ過ぎたりでねえ。彼女自身も不完全燃焼気味じゃないかなあ。

 もっとシンプルで骨太で、南の島の生命力がその底に脈打っているみたいな曲が彼女には合っているよ。
 というかこのシングル盤は冒頭が主題歌、2曲目が同じ番組の挿入歌、残る一曲がある映画の主題歌と言う事で、そのような設定でデビューしたての新人歌手としてはそうそう好きな事が出来るはずもなし、むしろ城南海という歌手の名を皆に知ってもらうきっかけになればそれで十分、と受け取るべきなんだろうな。

 なんて覚悟を決めて、あらためてCDを聴き直してみる。やっぱりね、随所で聞かれる島唄式発声法が魅力的に思えますよ。このあたりの彼女の個性を上手く生かす道を関係者ご一同、見つけてやってくださいとお願いして終わっておこう。

城南海のフリーペーパーと地方格差

2009-04-08 22:54:35 | 奄美の音楽


 mixi内の城南海ちゃんのファン・コミュに、

>HMVにて、フリーペーパー「Kizuki Minami's Voice」が
>配られてました。
>全面カラーで内容もいっぱい書いてあります。
>スペシャル・プレゼントの情報も書いてあります。

 なんて書き込みがあった。おっ、おい!

 これ、もの凄く欲しいんだけど、当方の住んでいるところは田舎なんで、近所にHMVなんてない。 つーかそもそも一度もHMVの店舗なんて見たこともないのだ、ワシは。

 どうすりゃいいんだ?
 思いあまってHMVに「金を払ってもいいからそのフリーペーパーを郵送してもらえないか」とメールを出したが今のところ返答なし。
 なんとかしろよな~も~。田舎ものをないがしろにするのもいいかげんにせ~よ。

城南海のニューシングル!

2009-03-23 04:00:43 | 奄美の音楽

 あっと、うっかりしていた。奄美出身のアイドル(なんだろうか?私にとってはそうなのだが)歌手、城南海(きずきみなみ)ちゃんのニュー・シングル発売と、それに伴う九州ツァーや故郷奄美への凱旋コンサートの日程などがmxiニュースで先日、発表になっていたのだった。
 気がつかなかったなあ。マイナーな話題だからニュースが表示の目立つ位置まで上がってこなくて気がつかなかったってか。ちょっと悲しいが、まあ、まあこれからだよ、南海ちゃん。ということで。

 で、そうかあ、奄美のコンサートや九州ツァーの様子など、ネットのどこかで映像で見ることは出来ないのかなあ。などと、気がつけばもうすっかり城南海ちゃんの単なるミーハーなファンになってしまっている私だった。思えばこの正月、枕もとのラジオから突然流れてきた奄美の民謡に「なんだなんだ?」と驚かされて以来、急転直下、この有様である。
 でもねえ、奄美の民謡の不思議な魅力に魅せられて首を突っ込んだ後、あれこれ音や文献に当たってきたけど、我がアイドル志向まで奄美に満たしてもらえるとは思っていなかったからさ。これはありがたい話であります。

 mixiニュースで、4月15日発売のニューシングルの冒頭部分を試聴出来るので聞いてみる。おっかなびっくり、なんだけどね。彼女みたいな個性をどう演出するのか、なかなか難しいものがあるでしょ?せっかくの若き奄美の島唄歌い、単なるアイドルソングを歌わせるのもつまらないし、と言って、民謡歌手であるからっていきなり”黒だんど節”なんてのをシングルに切ったって、そりゃ、売れる枚数は知れているしね。
 その辺、彼女のスタッフはどのように処理しているのだろうか?ピントはずれな代物を歌わされていやしないだろうかと。

 で、聴いてみた結果。まあ、ほんの唄の出だししか聴くことは出来ないんで、あまり決定的な話も出来ないんだけど、とりあえずひどい仕上がりにはなっていないようだ。といっていいんじゃないかな?
 パターンとしては元ちとせなんかの線、つまり、いわゆるJ-POP路線の唄を民謡のコブシを生かしつつ歌って行く、という形を取るようだ。城南海のデビュー曲もその辺の路線のフォーク調アイドルソングだった。あの曲、民謡のコブシの揺らしどころも巧妙に配置されていて、なかなかの傑作だったと私は考えている。

 まあ、この辺が落としどころだろうなあ。この路線を続けるうちに、奄美の民謡の要素を生かした城南海らしい路線が見出せたらいいんじゃないか、と。南海ちゃんも軽く廻したコブシに南の海の香りを漂わせつつ、爽やかな青春ポップスを切なく歌っております。
 まあ、単なるファン話を書いてしまっているけど。いや、当方、城南海の単なるファンですが何か?とか居直りつつ。ああ、4月に出るCDが楽しみだなあ、うん。


 ○城南海、期待のニューシングル
 (バークス - 03月21日 11:10)
 奄美大島出身のシンガー、城南海(きずきみなみ)が、初めて地元・奄美でコンサートを行なった。
 城南海は奄美大島を離れてから島唄を歌い始め現在に至るため、意外にも奄美でのパフォーマンスは初のこと。凱旋コンサートとなった3月17日の奄美ROAD HOUSE ASIVIでは、デビュー曲「アイツムギ」や4月に発売の2ndシングルなどを披露し、満員の観衆を魅了した。
 奄美からスタートした九州ツアーは、3月18日鹿児島CAPARVO HALL、3月19日福岡ROOMSでも行なわれる。
 4月15日リリースのニューシングル「誰カノタメニ/ワスレナグサ」は、収録曲3曲全てがTVドラマ、映画のタイアップ作品という要注目の期待作だが、3曲とも試聴が届いたのでご紹介しよう。

 ●「誰カノタメニ」試聴
 ●「ワスレナグサ」試聴
 ●「光」試聴

 着うたはドラマ「エゴイスト~egoist~」がスタートする4月6日から先行配信開始なので、ドラマとともにチェックを。

 城南海は、次回地元・奄美にて行なうパフォーマンスは、大注目の<ECLIPSE2009奄美皆既日食音楽祭>(7月16~24日)。神秘的な皆既日食とともに響く城南海の凛とした歌声が、宇宙へ馳せる想いとともに空に溶け込んでいきそうだ。

「誰カノタメニ/ワスレナグサ」
1.誰カノタメニ
東海テレビ・フジテレビ系連続ドラマ『エゴイスト~egoist~』主題歌
2.ワスレナグサ
東海テレビ・フジテレビ系連続ドラマ『エゴイスト~egoist~』挿入歌
3.光
2009春公開予定・映画『アニと僕の夫婦喧嘩』主題歌
※フジテレビ系連続ドラマ『エゴイスト~egoist~』(東海テレビ制作、4/6スタート、月~金午後1時30分)
※映画『アニと僕の夫婦喧嘩』(2009年G.W.、渋谷シアターTSUTAYA他、全国順次ロードショー)

<城南海ライヴ>
●3月17日(火) 奄美大島ROAD HOUSE ASIVI 初ライブ(ワンマン)
●3月18日(水) 鹿児島CAPARVO HALLワンマン
●3月19日(木) 福岡ROOMS
●3月26日(木) 渋谷duoイベントw/川江美奈子、宝美
◆チケット詳細&購入ページ
●4月5日(日) “桜祭り!”Vol.“春”ぽっぽ@渋谷AX
●5月2日(土) N.Y.桜祭りライブ
●5月31日(日) 奄美フェスタ@豊島公会堂
●7月16日(木)~25日(土) ECLIPSE2009奄美皆既日食音楽祭@奄美大島


奄美ロッキン・デルタブルース!

2009-03-06 02:57:44 | 奄美の音楽


 ”ゆりうた” by 山田武丸

 先日来、仕事上の問題が発生していたり、その他大きな事から小さな事まで、どうもゴタゴタばかりで、日々、何もかも上手く行かない。そんなこんなですっかり落ち込んでいて、自分の周囲に灰色のバリヤーを張り巡らせてやっと息を継いでいる現状である。
 と言う次第で、今、手元にあった未聴のCD群の中から一番地味そうなものを取り出して聴いてみているところだ。あえて、更なるディープな感情のドツボに追い込んでくれるような音楽を選び、逆カタルシスを得ようという算段である。

 選び出したのは、奄美の島唄の歌い手、山田武丸氏のアルバムである。奄美北部の龍郷町秋名という場所で一番の唄者として知られているという。CD発売元のJABARAレコードの資料には、”昭和60年、氏が当時保存会長をつとめていた、秋名集落の神霊を招き寄せる祭祀「平瀬マンカイ」が重要無形民俗文化財の指定を受けた”とある。
 このアルバム、ご高齢(大正5年生まれ)の武丸氏の歌声を残しておきたいと思い立ったご子息が昭和57年、奄美北部の唄者たちを集め、唄遊びをした時の記録である。

 奄美の伝統として行なわれてきた歌遊びの現場にマイクを置いて録音されたものゆえ、ノイズも多く、また唄者たちの話し声から咳払いまで入ってしまっている。
 これを、”それが島の唄遊びの昔ながらの雰囲気をよく伝えている”などと言ったら「調子の良い事を言うな」と叱られたって仕方がないだろう。当方はあくまで余所者で、唄遊びの何たるかも、まだ分かってはいないのだから。

 こちらの感じたところをそのまま記せば、まずは凄まじい臨場感を感じ取り、聴き進むうちにそれがいつしか、その場にい合わせ、歌い交わす奄美の唄者たちを包む良い湯加減の空気の流れと意識されていった、と言うところか。
 昔馴染みが気ままに集い、歌い慣れた郷土の唄に声を合わせる。島の唄者たちの歌声が夜の中に流れ出して、暗い海を超えて行く、そんなイメージが広がる。
 と言ったところで、このレコーディングが夜間に行なわれたものかどうかも私は知らないのだが。

 竹丸氏の歌声は渋く重い、相当に迫力あるものだ。”強く高音域に伸びる”ことで評判だったとの事だが、確かに強力なバネの弾みのようなものを、その歌声の芯に感ずる。大地を鞭打つように叩き込まれる重心の低いリズムと、ワイルドに粘りまくる鋼の喉。
 よく奄美の島唄をブルースに例える人がいるが、冒頭の数曲など、ほんとにミシシッピー・デルタブルースそのままのノリである。
 そう聴いてしまうのである、根が古いタイプのロック小僧である当方などは。それでいいのかどうか。まあ、「何も分かっておらん!」と叱られたって、そう聴こえてしまうのであるから仕方がないと居直っておこう。

 アルバム終盤に至り、「座唄」「八月踊り」と、旧暦八月に行なわれる祭り関連の唄が続く。私は勝手に奄美の島唄に、”今に生きる古代日本の響き”を聴きとって悦に入っているものなのだが、これら祭りの音楽はまさにそのような文化人類学上の興味のど真ん中に突き刺さるもので、聴いていると非常に血が騒ぐものがある。竹丸氏の歌声もいつしか、共同体の祭り歌の濃厚な熱気の中に埋もれてしまう。
 と思わせておいて、次に収録されている有名な手踊り歌、「六調」では、とんでもない切り返しが演じられるのだった。

 竹丸氏はアップテンポのリズムに乗り切り、思う存分鋼の喉を披露、囃し方と凄まじい掛け合いを演じて、見事なクライマックスを演出してくれている。こいつはまた、軽薄に「ロックンロール!」などと声をかけたくなる迫力なのであって、途中、フェイドアウトしてしまうのがいかにも惜しい。

 と言うわけで。CDの音楽が止み、70分余の奄美幻想から現世に帰った私は、旅に出かける前と寸分変わらぬ部屋の中で、先ほどは確かに肌に感じたと信じられた南の島の海の残響を探しながら、しょうがない、嫌でも来てしまう明日のことなどまた、思い煩ったりし始めるのだった。
 うん、”一番地味そうなアルバム”なんてとんでもない、えらいスペクタクルを聴いちまったじゃないか、ええ?

アイツムギ紡げば

2009-01-15 21:40:12 | 奄美の音楽
 ”アイツムギ”by 城南海(きずきみなみ)

 正月2日、早朝のラジオに生出演しているのを聞いてファンになった、なんて記事を先にここに書いた奄美の民謡系アイドル歌手(?)の城南海ちゃんだけど、その後、デビュー・シングル”アイツムギ”を入手し、聴いてみた感想など。
 まあ、デビュー盤はラジオで聴いたときにすでに気に入っていたんで、それを手元に確保してより良い音で確認したというだけなんだけど、改めてきちんとした形で聴きなおしてますますファンになりましたね。

 デビュー曲の、アイドル歌手的可愛さと幼いながらも島唄歌いの魅力と、彼女の歌声が持っている二つの持ち味を上手く生かす味付け具合は上手いものだと思いました。
 郷愁を誘うような唱歌調Jポップ(?)のメロディ・ラインのあちこちに、巧妙にコブシを効かせて歌える箇所を配備した曲構成とかね。
 まあ、計算ずくなのか偶然そうなったのか分からないけど。ちなみに作詞作曲者の素性、不勉強で私は知りません。

 城南海の歌唱の個性についても、奄美の島唄シーンの一方を古くからリードしてきた”セントラル楽器”のサイトが彼女の歌声に、”これまであまり聴いたことのないタイプ”と呼び、”ゆっくりとした奄美がよみがえるような”なんて評価を加えている。
 そうですね。他の、どこかストイックでハードエッジな感触のある奄美の島唄の歌い手たちとはどこか違う、ホッコリとのどかな手触りがある。
 なんか悠然たる時の流れ、みたいなものを彼女の歌から確かに感じます。十代の女の子のデビュー・シングルを、そんな具合に評するのも妙かもしれないけど。

 今回の盤で唯一、どうなのかなと首を傾げてしまったのは、その歌詞内容です。
 なんかメッセージ・ソング風な臭みがかなりあるんだけど、そんなものはこの歌手では聴きたくないな、と思った。いや、どの歌手でもあんまり聴きたくはないけどさ。聴いていて、若干、気持ちが白む部分がある。

 もっとも、民謡には説教調というか教訓唄というか、そのような方向の歌詞を持つものがあって、たとえば沖縄島唄のスタンダードである”てぃんさぐの花”なんかがそうですな。「どんな才能でも磨かねば錆びる」なんて歌詞内容でしょう、あれは。
 で、この唄もそんな説教調民謡の味わいを生かそうとした作品なのである、という方向で無理やり納得しようと思えば出来ないこともない。実際、私はそうして聴いているんだけど。

 けどまあ、そんな細工をせずに済めばそれに越したことはないんで、関係者ご一同はこの辺、ご一考願いたいものである。これを作品評と思うな、ファンからの要望です。
 まあ、とりあえずこんなところで。ああ、早くアルバムも聴きたいなあ。



アイツムギ

2009-01-03 04:49:45 | 奄美の音楽
 ”アイツムギ”BY 城南海

 このところの私の日記を読んでくだすっているかたはお感じだろうが、昨年の暮れからこの正月にかけて私は、「新年の景気付けに酒を飲みたいのだが、あいにく風邪気味である。でも、飲みたいなあ。飲んじゃダメかなあ」と、そんなことしか考えていない。まったく、情けない人間である。
 天国で植木等大僧正が、「みっともないからおよしなさい もっとでっかいこと なぜ出来ぬ~♪」と私を見下ろしながら唄っているような気がしてならない。まあ、今に始まったことでもないのだけれど。

 一月二日の早朝、寝ようとしてベッドに入ると、枕元に置いたラジオから三線弾き語りの奄美の民謡が流れてきた。おや、なんだなんだと首を傾げたが、番組に、今度デビューする奄美出身の少女歌手がゲストに出ていたのだった。

 彼女の名は城南海(キズキミナミ)といい、まだ18歳とのこと。人に”石原さとみに似ていると言われる”と言っていたが、何しろラジオのこととて、そいつがリアルか勘違いか、今のところ私には判断出来ない。
 でも、最後にかかった彼女のデビュー・シングル「アイツムギ」が、民謡の響きを残しつつのアイドルソング的なものになっていて、それがちょっと良い味を出している。それなりに気に入ったのでとりあえずファンになっておくことにした。

 その後、調べたところによると、彼女は兄の影響で奄美民謡を歌い始め、レコード会社の目にとまったのは、奄美から鹿児島に出て来て民謡の路上ライブをやっていた時だったそうな。
 つまり、すでに名のある奄美の歌手たちのように、地元の民謡コンテストに優勝することによって歌手として頭角を現したわけではないようで、この辺、ちょっと面白いかも知れない。民謡の世界の厳格な”縛り”から、どの程度か知らぬが”自己流”ゆえの自由な部分もあるのではないかと期待するのだ。

 そういえば彼女が番組の中で、奄美の民謡独特の裏声混じりの発声法を、羊の鳴き声の物真似の延長線上にあるものと捉えて説明していたのは面白かったな。

 ところで彼女、「天(そら)の才が宿る歌」とか、「人が最後に還る声」とか、そんなキャッチフレーズで売られる予定とかで、この辺のレコード会社のセンスの無さにはすっかり脱力。
 どうせ同じ奄美出身の元ちとせがそんなキャッチフレーズで受けたから、その真似してるんだろうけど、もはやなにやらの一つ覚えみたいな雰囲気も漂い、なんか聞いていて恥ずかしいからやめて欲しいね。



マリカミズキ

2008-12-08 03:38:21 | 奄美の音楽

 ”Song Fruits” by MaricaMizki

 というわけで。いい加減にしろよっと言いたくなるくらいにいつの間にか寒くなっていて、やっぱり今年も秋をすっ飛ばして、いきなり冬がやって来ている。何だよ最近の気候と言う奴は。春と秋というちょうどいい気候はどこへ行ってしまったんだ。
 そして。酷暑と酷寒に直結されたんではやりきれないなと愚痴を言っているうちに気が付けば年末。
 久しぶりに奄美民謡のCDを引っ張り出して聴いてみると、これが実に良いのだった。

 夏の暑さの中で今年は、ひたすら沖縄の音楽を聴きまくった。それなのにお隣の奄美の音楽は放り出したままだった。それがここまで寒くなったら急に奄美の民謡を聴きたくなって来たというあたり、やっぱり自分は奄美の民謡を”南国の便り”ではなく、”今に生きる古代歌謡”という方向で捉えているようである。

 深夜、ストーブの前に身をこごめて、昔放浪したあれこれの土地のことなど振り返り、またあの場所に、昔と同じ気ままなヒッピー(死語。苦笑)として訪れることが出来ないものだろうか、なんてあてもない事を考え、もう逢う事もなくなって久しい懐かしい人々を思い出しながら、”らんかん橋”を聴く。”上がれ日ぬはる加那”を聴く。
 そんな風にしていると、夜闇の向こうの静まり返った国道を吹き抜ける寒風に耳を澄ませて、遠い昔に過ぎ去ってしまった人々の日々の生活の残滓を聞き取ろうとしているみたいな気分になったりするのである。

 というわけで、奄美の若手女性歌手二人、吉原まりかと中村瑞希による民謡ユニット、”マリカミズキ”の1stを聴いている。
 このコンビで3枚、アルバムを出しているようだが、まだこの盤しか聞いていないせいか、あえてデュエットのチームを組む意味は当方、まだよく分からずにいる。
 掛け合いの妙を聴かせるのか、普通はソロで歌われる民謡をコーラスで聞かせる試みなのか。あるいはそれ以外。いずれにせよ、いつものソロとは一味違うなにごとかを目論んでいるのだろう。

 二人とも、一人で歌っている時より歌の表情が柔らかく聴こえる。あるいはそれは、ギターやウクレレといった、いつもは民謡では使われない楽器がバックに加わっていて、演奏にふくらみが出ているせいでそう聴こえるのか。
 実は、あんまりそれらの楽器の導入が成功しているとは思わないのだが、今はその柔らかな響きが”癒し”と響き、救われた気分だ。なんかこの年末、いろいろ心が擦り切れるようなことが多いんでね。
 それでもやっぱり、ギターの音がメインの1曲目が終わり、三線の鳴り渡る2曲目になると音に気合が入るようで、聞き手のこちらの気持ちも湧き立つ。この辺は難しいかなあ。

 サウンド面で言えば、”赤木名観音堂”に始まるメドレーでパーカッションのアンサンブルをバックに聴かせ、なかなか血の騒ぐ出来上がり。
 これには相当な可能性を感じる。複数の打楽器の織り成すリズムに乗った二人の歌声は、非常に自由でパワフルに飛翔している。
 もともとがモノトーンの奄美民謡、旋律楽器も和音楽器もいらないと言うか邪魔になるんじゃないか。その代り、音の隙間をリズムのみで埋めて行く、というのはかなりいけるんじゃないかな。

 けれど、製作サイドはそのような風には考えなかったのか、その後、この路線で行ったという話は聞いていない。この次のアルバムはバリに行ってガムランをバックにしたもののようだけど、それは違うだろうなあ、ちょっと。まあ、聴いてみないとなんとも分かりませんが。行くならアフリカでしょ、アフリカ。
 相当良いんだがな、パーカッション群をバックに歌う二人は。私がプロデューサーだったら、バックに専門的な打楽器プレイヤーを揃えて二人に歌わせ、フル・アルバムを作りたいね。絶対に良いものが出来ると思う。あるいは全然逆方向で、打ち込みリズムのみをバックに、テクノなファンクで迫るのも一興かと。まあこれは冒険になるけど。

 とかなんとか。いやまあ、里アンナが”吾島”であれだけ頑張ったんだから、今度はこの二人に一発やってみせて欲しいな、とかひそかに期待しているんだけどね。
 

奄美島唄と酒

2008-11-07 03:30:04 | 奄美の音楽


 前回、懸念の(?)里アンナの「吾島」に関する文章を書いてしまえたので余勢をかって、というかついでにと言うか、以前から興味深く思っていることなど。
 いつぞや奄美島唄についてあれこれ考えた際から、なにかというと沖縄島唄と比べる習慣が付いてしまい、まあお隣なのだから両者を比較して考えると分かりやすいから、ということでやっているのだが、こいつもあんまり良い習慣ではないのかもしれない。まあでもとりあえず書いてしまうが。

 で、両者を比べてもっとも気になる案件は、”沖縄の島唄は一杯呑みながら聴くことが出来るが、奄美の島唄はそうではない”というあたりで。

 沖縄の島唄は一杯機嫌でいい加減な気分になりつつ聴ける、と言うかその方が気分が出るのだが、奄美の島唄は違う。シラフで、真正面から受け止めたい種類の音楽だ。というか、酒に酔っている状態では、すんなり心に入ってこない感じがある。
 これは相当な違いで、ここらに何かありはしないかと考えているのだが。

 もっともこれは私だけの現象で、他の人は奄美の島唄と別の付き合い方をしているのかも知れない。「俺は酒がなけりゃ始まらないぞ、奄美はっ!」と言うかた、おられましたら、お話をお聞かせいただけたら幸いです。
 あるいは奄美の出身で、奄美の島唄に幼い頃から馴染んでいるという人にしてみれば、「え?何を言っているんだ?」と言われるかも。その場合もお話をお聞かせ願えれば幸いです。どうか一つ・・・

 以上、「なんだよ、奄美の音楽、全然分かっていないじゃないか」と馬鹿にされる可能性大で、ビクビクもので記す(笑)
 ちなみに今、上にジャケ写真を挙げた坪山豊氏のCDを聴きながらこの文章を打っているんだけど、氏の渋い歌声と三線からは、「島の名物、黒糖焼酎でも呑みながら聴いてくれよ」みたいなメッセージは伝わって来ている・・・ような気もするんだけどね。

里アンナの「吾島」

2008-11-05 05:27:34 | 奄美の音楽


 ”吾島(Wan Shima)”by ANNA

 この盤、しばらく前に手に入れておいたものの、どうも聴くのが恐ろしくて(!)放っておいたものだが、まあ、聴かなきゃしょうがないからね。
 奄美の民謡コンテストで十代の頃に見出され、その後、いわゆるJーポップのフィールドでの成功を視野に入れて、奄美から東京に移り住み歌手活動を続けている里アンナのアルバム。それもこれは、彼女が”ワールドミュージックの歌い手”である事を意識して製作された初のアルバムである。アーティスト名の表記も里アンナではなく”ANNA”となっている。

 それをなぜ、聞く事を躊躇などしていたかといえば。これはアマゾンで購入したものなのだが、そこに掲載されていた”カスタマーズ・レビュー”の内容に、音そのものを聴く前に考えさせられてしまったからなのだ。

 そこには二人の評者による正反対の内容のレビューが発表されていた。
 かたや、”奄美発、極上ワールドミュージック!”と五つ星、満点を与え、かたや”凡庸なワールド&エイジアン・ミュージックとしか評価できません”と、二つ星で酷評している。
 まあ、他人の評価などいつもなら気にもしないのだが、今回、否定派の文章に”こいつは共鳴してしまうかも”との懸念が生まれてしまったので。里アンナのファンとしては、悪い結果も予期せねばならないかと暗い気持ちになるのを禁じ得なかったのだ。

 たとえば、アメリカ人のアレンジャーが起用されていて、その手になる伴奏が”やたらうるさい”とのこと。アメリカ人の今日の大衆音楽のフィールドにおけるセンスなどまったく評価しない当方でもあり、これは大きな不安要素と受け止められた。
 西洋人のセンスなど導入してインターナショナルなイメージを強調する。そんな、今どき、90年代の”パリ発・ワールドミュージック”の幻など追う時代錯誤を演じてしまっては良い結果が出るとも思えない。

 その不安に輪をかけるのが、”古臭い山本寛斎のジャポネスク・ファッションに身を包んだジャケット写真”なる一言。なるほど、”なぜ、奄美の伝統衣装にしなかったのか?”なる評者の指摘は妥当なものに思える。やっぱり”何をいまさら”な、ありふれたワールドものになってしまっているのか?
 などと悪い空想ばかり溜め込んでいても仕方がないので、ここらで現物を聴いてしまうこととしよう。

 ここで当方の里アンナに対するポジションを明らかにしておくと、奄美のローカル・レコード会社のカタログで里アンナが十代の頃に出したデビュー・アルバム”きょらうた”のジャケ写真を見、その美少女ぶりに惹かれ、即、アルバムを購入。収められていた歌声にもすっかり魅了されてしまった、と言う次第。
 だから、と言うべきか、その後に発表された何枚かの里アンナの”ポップス歌手”路線のアルバムには、あまり興味が持てずにいる。「島唄をまた歌ってくれないものかなあ」などと思いつつ、彼女の活動を見守っている状態。
 上記アマゾンの否定的レビューを書いたのは里アンナのポップス作を評価している人であり、それに比べれば当方はさらに”右派”の聴き手である訳で、これはますます・・・

 などとゴタゴタ言いつつCDを再生してみる。
 ・・・う~む、やはり微妙だ。

 とりあえず気になるのは、やはり全体を覆うジャパネスク気分である。
 たとえば、奄美の伝統音楽にはあまり関係がないと思われる尺八が全編に渡って鳴り渡っているが、これはいかがなものか。
 里アンナのライブ写真など見ると、バックバンドに尺八のようなものを吹くメンバーがいるのを見ることがあり、この尺八の響きは今の彼女の音楽には定番として存在しているのかも知れないが。私としては、導入しないほうがいいのではないかと思う、この盤の出来を聞いての感想として。
 どうしても木管の響きが必要なら、民族性をあまり主張しないフルートなどのほうが、ここではむしろ効果的なのではないかと考える。

 また曲によっては、中国の二胡や津軽三味線なども参加しているのだが、これの効果もどうか? 
 いまさら手垢の付いた”汎アジア”などを演じてみせるよりも、奄美ローカルにこだわることのほうが逆にインターナショナルな成果への近道ではあるまいか?

 まあ、聴き馴染むにつれて、静かにうねる南の海が夜の月に照らされる悠然たる情景が浮んでくる、全体のイメージなどが段々に好ましいものに感じられてくるのも事実。「なかなか良い感じだな」とも思いかけるのだが・・・
 しかし、そこで最小限の伴奏しか付いていない奄美民謡、”黒だんど節”などが始まると、どうしてもそちらの歌声の表現の深さに感じ入ってしまうのである。島唄を歌うアンナは良いなあ、やっぱり。

 そして時に、打ち込みの野太いリズムをバックに「壮大なるワールドミュージック」を演じる里アンナの様子が意外に線が細くて、ちと痛々しく感じられる瞬間もあり。そうすると元ちとせというのは相当に逞しい女なんだな、などと変なことに感心してしまったり(?)

 などなど。やっぱり否定的な方向に傾き気味の感想になってしまったのだが、不愉快な出来のアルバムとは思っていない。これからも聴き返すことはあると思う。そして里アンナには、さらに2度でも3度でもワールド志向の音楽にトライして欲しく思っている。
 彼女の資質なら良いものが出来ると思うのだ。楽しみに思うのだ。”島の唄者”としての里アンナの一ファンとしては、それをこれからも待ち続けようと思う。