今年最初のお出かけは、1月7日土曜日の日本橋へ、でした。
年末から始まっていた「荻須高徳展」を、夫と一緒に観てきました。
生誕110年記念ということと、OGUISSといえば、パリ、なのですが、ヴェネチアへ
滞在していた時の絵や、未発表だった人物画や静物画も公開されるということも
あってか、大変なにぎわいの展覧会でした。
荻須高徳という名前も絵も、私はあまり知らなくて‥でも、夫はいつからか知りませんが
ファンであったみたいで‥今からだと何年くらい前になるのでしょう?
娘が生まれていなかったので、もう16、7年くらい前になるのかもしれませんが
たしか目黒美術館で、荻須高徳展があったのです。
(↑ の箇所の記憶が大きくちがっていました。
目黒美術館での展覧会は、生誕100年記念だったとのことで‥そうなると
今から10年前、うちには5歳の娘がいました。
子どもをおいて二人で美術館へ行くことができなかったから、私は留守番を
選んだということだったのかもしれませんが、気持ち的には、最初に書いて
いた通りなのです‥帰国したばかりでなくても、それから6,7年たっていても
私は同じ場所に同じ想いを抱いていたのです、きっと)
夫に誘われたけれど観にいかなかった私と、すごくよかったよ言って、
図録を何度もめくっていた夫‥
毛嫌いしていたわけでもなく、喧嘩していたわけでもないのですが、その時私は
なんで一緒に行かなかったのかなあと、その後も時折思い返したこともありました。
今回初めて自分の目で絵を観てみて、まず、率直に、いいなあと思いました。
そして、何枚も何枚も観て行くうちに、かつて生じた自分の気持ちがどういう経緯で
生まれたものだったのかがつかめたように思いました。
荻須高徳氏が描いているパリは、ほんとうになんでもない店先や街角なんです。
そう言われていて、知っているような気になっていましたが、自分の目でゆっくり
観ていくと‥それは私が一度も訪れたことがない場所であるにもかかわらず、
この道は歩いたことがあるような? という気持ちになったり、この角を曲がった先に
この店があるんだよね、という錯覚に陥りそうになり‥それはなんでかなと
思ったときに、軒先や道の感じが、何度も何度も私が歩いたマンハッタンの
ダウンタウンの「感じ」と似ていたからなのでは、と気が着きました。
ニューヨークとパリではまるで違うよ、と言われるのはわかっています。
建物だって、道だって、空の色だって、それこそ書いてある文字だって
違うのはよーくわかっていますが、そこに流れている空気感みたいなものが
私の中から懐かしさを呼び起こし、既視の感覚に繋がっていったのでは、と思うのです。
荻須高徳氏は、25歳で渡仏し、第二次世界大戦で帰国を余議された一時期を除いて
84歳で亡くなるまでパリに住み続けたそうです(お墓もパリにあることに驚きました)。
生まれ育った土地や国ではない「場所」が終生の棲みかとなる人も居るのです。
1年と何カ月かのマンハッタンでの暮らしが終わって、自分の生まれた町へ帰ってきた
私は、終の棲家を見つけ、その「場所」を描き続けた画家の絵に直面することを
無意識のうちに避けていたのかもしれないなあと、今、思うのです。
夫は、たぶん、すごく素直に、荻須高徳の絵の中に、自分の好きな場所や街を
重ねてみていたのか‥あるいは、絵に描かれているなんでもない場所や
そういう場所を選んだ荻須高徳という人が、ただ、好きなのかもしれません。
技術はとても大切だけど、いくら技術があってもそれだけでは
誰かの心を動かすことはできないよ、
別の人が、同じパリの街を描いたからといって、この場所をこういうふうに
見て描こうとは思わないよね、
この文字のかすれた感じが、すごくかっこいい、
私は、この白いタライが印象的、
ヴェネチアの絵は、水の色がすごくきれい、
描き手、書き手、作り手にとってのオリジナリティってなんだろうね。
そんなことを話しながら、会場をあとにしました。
*日本橋三越ギャラリーでの会期は、1月16日(月)までです。
中学校の美術の時間に、教科書の中のどの絵でもいいから模写をする、という授業があったのです。
5cm×4cmもない、小さく取り上げられていた、パリの街角の暗ーい絵を何故、中学生の私が選んだのでしょう・・・。
その教科書の小さな1枚の荻須高徳さんの絵を模写して、家に持って帰ったら、母が本棚から荻須さんの画集を取り出して見せてくれました。
その時、母は外国に行ったこともなかったし、もちろん私だって、外国の街角をイメージしたことすらなかったと思います。
人の心に響くものって、直感的なものなのでしょうかねー。
随分展覧会に行っていません。心に響くものを感じたくなりました。
素敵な日記をありがとう。
中学校の美術の時間に、私も模写をやったような気がしてきて
誰の絵を描いたのか考えていたら‥
ゴッホの跳ね橋だったような気がしてきました~
おかあさま、荻須さんの画集をお持ちだったのですね。
私のうちでは考えられない展開で‥すこし羨ましいです。
絵を観に行ったときちょうど、高須さんのお嬢様の
ギャラリートークが行われいて‥聴くともなしに
聴いていたら‥お母さんとそのお嬢さんがお父さんの後から
パリへ行ったとき、船で2カ月かかったそうです。
まだベトナムでは戦争をしていた頃と言ってました。
いろんな家族のかたちがあって、いろんな両親がいて
こどもは最初は「選択」することができないんだなーと
なんとなくそんなこと思いました。