Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

「里」という思想    内山節(新潮選書)

2009年01月03日 | 本と雑誌
Hitorigaten

 ミレニアムからおよそ十年。大きな歴史の流れの中で、生き証人としての我々の精神構造や社会機構は、はたして健全か。飛べない飛行船の設計図を片手に、座り心地の悪い定位置に甘んじ、心と体の安寧をかき乱していないだろうか・・・
 森の民、農耕民の叡智に触れ、今を生きるヒントを与えてくれる歴史哲学の一冊である

○誰もが自分の仕事や暮らしを守ろうとしている。そして不機嫌なおだやかさ
○近代以前の歴史伝統からの検証を受けない前進を、あるいは「近代」の暴走を可能にし、ためらいもなく自己を主張する「自由」を確立したのである
○科学がすべてのものを解き明かしていくだろう、という感覚とともに展開してきたのが近代世界
○具体的な他者とのかかわりのなかで、他者のまなざしを自分のものにしながら主体性を発揮
○農家の時間、漁民の時間、職人の時間、商人の時間:時間は風土であり、文化であった
○時間の統一こそがグローバリゼーションの基盤になっている
○共同体の一員として生きながら、同時に孤独に生きる自分をみつめるという精神の多層性をもつことができた
○政治的な判断の底には、その社会で暮らしてきた人々の美意識や歴史の記憶が存在する
○現代社会の基本的なかたちは変えてはいけないという合意が成立しているような感じさえ受ける
○自分の精神が何者かに乗っ取られ、ひとつの時代や社会がつくりだす精神の習慣のなかにとりこまれながら、「現代人」という群れのなかにのみ込まれていく:実存主義の哲学
○真理や正義の独り歩きを阻止するものは、文化の深さのほうであろう

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