Hitorigaten
臨済宗の僧侶にして芥川賞作家、若い頃の「心の放浪」が人生に幅と深みを持たせるのだと感じさせてくれる。
心のバランスを崩すほどの悩みを抱え込む現代人にとって、「気分を楽にしていこう、悩むならこんな風に悩もう!」と傍らに立って話しかけてくるような… 小春日和のような一冊であった。
○座禅というのは、ある意味では錯覚の文化だと思うのです →体は心を容れる器ですから、その器のほうを整えていこうというのが座禅という文化
○あんまり奉るもんだから、心に振り回されてしまうことがあるのだと思います
○小原庄助:朝寝朝酒朝湯が大好き(会津磐梯山)-義勇道忠信男(戒名)
○座布団:縫い目が三方→縫い目のないところが正面
○やりたくないという気持ちが変わらないままでいられなくなるんですよ。やっていることを好きになる能力というのを、人間はたぶん、だれでも持っていますから、やっぱり好きになっていった
○他人と比較できない人生をわれわれは生きているんだという、たぶんそういう認識が人を明るくするんじゃないでしょうか
○「幸せ、不幸せ」、「良い、悪い」ということではない見方 →自分の人生が広くなるから深くなるということがあるのではないか
○比較できない生き方を表すのが、自分だけの「物語」なのです →棺桶の蓋がおさまるときに初めて終わる物語だと思います
○阿頼耶識:今までのあらゆる経験や知識がおさまっているところ、指向性を持たない無尽蔵
○末那識:なんらかの一貫性を求めるはたらきが我々のなかにある →自己愛、自己執着(末那識の根源)