Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

ヨーロッパとの対話  木村尚三郎(角川文庫)

2016年03月28日 | 
Hitorigaten

 学生時代に購入し、本棚に放置してあった本書に、就職してから暫くした後、何気なく目を落としたときの衝撃は、三十年以上経つが、今でも鮮明に思い起こされている…
 行間に吸い込まれるように見入り、一気に読了し、「こんな文章を何時かは自分でも書いてみたい」、と大いに感化されたものである…
 ヨーロッパ文化の源泉における農耕の果たしてきた役割、都市文明とそれらを支えている欧米人の精神・哲学。そして、現代日本への文明批判(重要な提言を列挙)等々、嵐の大海原を漂流する豊葦原瑞穂国への天啓とも言うべき「海図」と言っては過ぎるだろうか…


○ヨーロッパの都市は、限りなく土から離れ、土による生産とこれにもとづいた地方的な法、権力から脱却せんとする理念的存在として、十二世紀に成立した。土の束縛から解放されるということ、それが中世、近代における市民的自由の要諦であった
○自己にとって虚実をいつもわきまえる心が働いてこそ、人ははじめて高度文明社会において見失われていた自己を発見し、自らの手で統一的に構成することができる
○日本ももともと貧しい国なのだという自覚を新たにし、分をわきまえつつ国にとって、企業にとって、また個人にとっての虚実を考え、最低限の自立しうる根拠を確認し、これを大切に守り通す自己防除の体制。そしてその上で工業生産の強化・増大を図ってゆく政策。これ以外に現代日本を恐るべき知的混乱、精神の流民化から回復する道があろうか
○日本の「経済大国」は、物質や食糧についての世界の好意をあてにし、平和的相互依存を前提にしたうえでの仮象のものにすぎない
○世界的な資源不足のなかで、もし日本が戦列を立て直し、唯一豊富な資源である、そして知識のうえで世界一ハイレベルである人的資源を活用して、世界に貢献しうる高度の頭脳集団、技術所有者集団として自己を再構成しなければ、日本が二十一世紀に生き残るどんな道が残されていようか
○「腹八分目」ならぬ「心八分目」のうちに自らの誠実さと人間味を表現しようとする、すべての人に開かれた人間関係の創出がどうしても必要
○欧米における歴史的形成物としての現実の民主主義ではなく、むしろアメリカ人が本国においてかくありたしと長年願望し続けてきた、民主主義の理想を実験的に押しつけられた結果である
○わが国の農耕文化:それ自体は動かない鋤や鍬を手の延長として使うことによって農民自身が耕作する「(自ら)する文化」
○ヨーロッパの農耕文化:それ自体が動く家畜や人間、自然諸力を使っての「(他者に)させる文化」
○古今にも東西にも通じる武士の魂、戦士の心こそ、日本を明日に生かす原動力でなくて何であろうか
○弱虫足ることを恥とし、自らの能力と特性を自ら点検し評価しつつ己を知り相手を知り、いたずらに付和雷同することなく自らの誇りと相手への尊敬のうちに、男は男らしく、女は女らしく礼節をもって生きる
○北西部ヨーロッパは、一年の大半が冷たく暗い冬空であるからこそ、人々は自然と対決し~略~その意味でヨーロッパ文化は、本質において理念に生きる「冬の文化」だといえる
○豊かすぎるほどの陽光の下に形づくられたわが国の現状肯定的な、むしろ理念のないしたたかさを持つ「夏の文化」-みごとな対比
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