Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

自由と民主主義をもうやめる   佐伯 啓思(幻冬舎新書)

2017年11月30日 | 
Hitorigaten

 「自由」と「民主主義」、この二つの言葉にいったいどれほど永い時間と多くの心象を捉まえられてきたことか…
 恰も完全無欠のロゴスとして、あるいは天衣無縫のパトスとして無意識に無制限に無批判に叩き込んできたのだろう…
 本書の表題を見たときの驚愕地動の衝撃は、膝はカックン、コペテン的歴史観の変遷として胸の内に深く刻まれたものである。


○左翼:人間の理性の万能を信じている。人間の理性能力によって、この社会を合理的に人々が自由になるように作り直してゆくことができる。しかも、歴史はその方向に進歩していると考える
○保守:人間の理性能力には限界があると考える。人間は過度に合理的だあろうとすると、むしろ予期できない誤りを犯すものである。したがって、過去の経験や非合理的なものの中にある智慧を大切にし急激な社会変化を避けようと考える
○個人の自由や物的幸福の追求を極限まで推し進めようとする「アメリカ文明」こそがニヒリズムの先端を走っているというべきでしょう
○民主主義は形式的には平等な権利を保障しているものの、実際には支配と被支配を合理化し弱者を搾取する手助けをすることになる。要するに民主主義は本質的に欺瞞である。
○思想を理解するには、背景にある歴史の重層構造を見なければなりません
○ヨーロッパ保守主義:エドマンド・バーグ(18C英国)「フランス革命の省察」-概して革新の精神は、利己的な性情と狭歪な視野の産物である
○民意が完全に反映された結果として、民主的な意志決定が全くできなくなってしまった
○自由も民主主義も結構、富を追求することも結構、基本的人権も結構、合理的科学も結構、しかしそれらがある程度実現し、切実な課題でなくなったときにどうするか
○日本的精神:自由を極端に主張しない、自然権としての平等や人権ということも声高には主張しない、欲望の気ままな解放も主張しないし、競争というものも節度を持った枠内でしか認めない
○ヒトラーはワイマール共和国という当時としては最も進んだ民主主義の中から出てきた
○根本的に問題なのは、いったい主権を剥奪された国家がいずれの形であれ憲法を持つことはできるのかということ
○西田幾太郎:哲学の動機は人生の悲しみにある 「悲哀の哲学」
○「海ゆかば水清く屍 山ゆかば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」
コメント
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