Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

選択の科学 シーナ・アイエンガー 櫻井祐子訳(文藝春秋)

2014年01月05日 | 本と雑誌
Hitorigaten
 人間にとって「選択」という行為(「思考」であるのか?)は、一体全体何なのだろうか…
 「我思う故に我あり(デカルト)」と「人間は考える葦である(パスカル)」という賢人の言説に立ち返えると、必然的に形而下の問題に帰着するのだが(屠蘇に毒された大脳では…)
 プラグマチズム大国でのテスト成果である本書は、誠に興味深い「aha!!本」に位置するのだが…

○誰が選択を行うべきか、選択に何を期待するか、選択の結果をどのように判断するべきかなど、選択に対する人々の考え方が国によって文化によって全く違うことに驚かされる
○エーリッヒ・フロム(自由からの逃走 1941):「からの自由」と「する自由」は必ずしも両立しないが、選択のメリットを十分に活かす
○だれもがみな、正規分布曲線上で、一番居心地の良い場所を採ろうとする
○イメージ的は違いを前面に押し出し、多様性に富んでいるという幻想を生み出すことによってできる限り少ないコストで、できる限り多様な顧客の気を惹こうとするのだ
○サンドブロム(スウェーデン)のイラストが登場する前は、クリスマスの聖人は青や黄や緑の様々な服を着ていた
○ジョンバーグ:日常生活における思考・感情・行動の大部分は、反射的なもので、意識的な選択や熟慮を一切経由せず、その時々の環境の特性によって動かされる
○試食コーナー:24種類の時も6種類の時も、試食客が試食したジャムは平均2種類程度だった
○インフォームド・コンセントからインフォームド・チョイスへの移行は小さな一歩
○選択に制約を課されることで、逆に本当に大切なことだけに目を向け、選択しやすくなる
○アメリカの公立学校でアメリカの中心にある「光り輝くもの、とてつもなく明るいために、目が見えなくとも見えるものに気付いた」
コメント
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