Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

食い物を粗末にするな  立川談志(講談社+α新書)

2011年03月21日 | 本と雑誌

Hitorigaten

 本書の題名「食い物は粗末にするな!」&「罰が当たる!」という対語…
 明治生まれの祖母と、大正生まれ大東亜戦争に従軍し命辛々生還した父から、物心がつく頃からたたき込まれてきたものである…
 そして平成の今、食糧自給率40%という数字のトリックにリアリティを感じないまま、浅薄なグルメに現を抜かし、人間ドックの数値に一喜一憂する為体…
 一介の行政府の長が宣わった「天罰」は本当に下ったのだろうか、将又これからなのか…

○いいのかなァ、こんなに食い物が有り余って…
○行水から上がって肩に濡れた手拭い、井戸で冷やしたビール呑んで、富士のお山ァ眺めてるなんて幸福は、毛唐なんぞにゃ判るめえよ…
○パクパクやってますな、ガブガブ飲んでるネ、ツルツルやってンな、ガツガツ食ってやがら
○「美味い、不味いは手前で決めろ」
○浅草は馬道の通りに面した「大木」もその一つで、数少なくなった一軒である
○因みにそばは上野の池之端の「更科」、何しろ安くてシンプルで美味い
○チョイと前まで野蛮人であったその日本人…、いや家元はむしろ「野蛮人」と言われようが「文明人でない」と呼ばれようが、そのほうが、自然と一緒に暮らしていた部分が人間の生活の中に多くあったし、自然と一緒だったから、さほど自然に迷惑も掛けなかった
○自分たちが使った残りは、自然が消化してくれたし、日本人には貧乏が一番似合った
○なまじ、国なんぞ造るからいけない。国家なんという「家は国である」「国が家である」なんていう「決め」がよろしくない。すべての間違いの元である。したがって、これの基みたいなキリスト教とマルクス-レーニン主義が一番タチが悪い

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生物と無生物のあいだ 福岡伸一(講談社現代新書)

2011年03月06日 | 本と雑誌

Hitorigaten

 「生物学の面白さってなんだろう?」
 中学生の頃の理科第二分野から始まり、大学の農学部への進学と、一貫して「生き物」に対して尽きぬ興味が続いていた。
 その言い表せなかった理由の一つが、この本には見事に喝破されており、頁を繰る手の遅さに歯がゆい思いがした程、深くのめり込んで読み進んだ次第…

○この対構造が直ちに自己複製機能を示唆することに私たちは気づいていないわけではない
○ウィルス:栄養を摂取することがない、呼吸もしない、二酸化炭素を出すことも老廃物を排出することもない、一切の代謝を行わない
○オズワルド・エイブリー(ロックフェラー医学研究所):遺伝子の本体はDNAである
○エイブリーの確信は、直感やひらめきではなく、最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティに基づくものであったのだ。そう私には思える。
○ルドルフ・シェーンハイマー:生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである
○美しい蝶の発見に第二位がありえないのと全く同様に、新しいタンパク質の発見にも第二位はない
○生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れにそって折りたたまれ、一度折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生物とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる
○生物という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時にどの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである

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