Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

とことん日本人大好き  アントン・ウィッキー(河出書房新社)

2016年10月31日 | 

Hitorigaten

 およそ30年前のこと。毎朝、職場に向かう準備をする時にテレビから聞こえてくる「グッドモーニング!」の声に、「何時か絶対英語を話せるようになるぞ」と奮起したものである…
 そして、2016 10月。日本を訪れる外国人旅行者数は2,000万人を突破し、まだまだ増加する見通しとのこと(因みに、1,000万人突破から僅か3年間で達成!?)。
 2020には、man-machine interfaceの発達により言語間の翻訳機能が飛躍的に進化し、異文化交流がストレスフリーになるという…
 だが、しかし… Face to Face による対話(dialogue)では、本人の肉声による音声やそこはかとなく漂う表情や態度、息づかいを直接感じることが最も大切なことと考えるのだが…
VIVA, Anton Wicky !!


○英語ができないというコンプレックスをなくすこと → 恥を恐れないこと
○詩人 大岡信(1995):10年後、外国人の日本語・国語教師の出現 → 「脳天をどやしつけられるほどの美しい礼儀を知った日本語」
○「グラスを割ってしまいました」 → 「自分が不注意だったからグラスが割れたのでその原因は私にあります。わざと割ったのと同じです」という意味が込められている
○この簡潔な言い方の中に日本人のすばらしい道義感が感じられる。常に相手を思いやる日本人のやさしさの現れ
○日本語がもしあいまいだと言われるとしたら、それは使う人の日本語があいまいなのです
○道元:春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷やしかりけり
○本居宣長:敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂ふ 山桜花
○松尾芭蕉:名月や 池をめぐりて 夜もすがら
コメント
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