Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

みだらまんだら   永六輔 山下勇三(文藝春秋) 

2016年07月30日 | 
Hitorigaten

 高校受験に突入した頃から、キンキン(愛川欽也)、那智チャコ(野沢那智・白石冬美)、拓郎(吉田拓郎)、レモン(落合恵子)等々の深夜放送の声に聞き入っていたモノである…
 そんな中、時々ゲスト出演し変な事を言う親父に妙に心を引かれ、勉強の手を暫し休めて心を奪われた、「もっと聞きたい!」と…
 その親父こそ永六輔その人であり、爾来マスメディアでの発言や文章に耳を欹ててきた…
 本書は、初めて手にした永六輔本であり、改めて頁を繰ると、猥雑な内容に目を背ける御仁も多いであろうが、人間観察の正眼とシャイな江戸っ子の原点が際立っていると感じる次第。


○つまり、人間というのは一本の管であって、口から肛門までの穴があいている。~略~理屈としてはこうだから、管に手足や目鼻がついていると考えると、なんだか自分が単純に見えてきて嬉しい
○宮内庁の方の案内で皇居を歩いたとき、「お手洗いは?」と聞いたら、真面目な顔で、「その辺でどうぞ」といわれた
○~略~きっと去年は栗きんとんでも入れたに違いない。作者は並木橋、永六輔の俳号である
○鴨居洋子サンの試作品を履いた、その名を「アッペ・パッチ」(アッペは盲腸のこと)
○深夜放送のD・Jをやっていてダンボールに三箱も盗んだパンティを送ってきた学生がいた。~略~僕は彼が反省するような立派なことをしゃべっているわけではなく、もっと猥雑なことをしゃべっているから、その方が興奮するというのである
○なぜ六輔を六輔というのかというと、NHKの子供の時間で、六輔という少年を演じていたからである
○「煙突みておいで!」~略~煙が出ていれば風呂へ行く支度だ。下町では内湯はお客様用ときまっていた
コメント
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