Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

しのびよる破局  辺見庸(大月書店)

2011年11月12日 | 本と雑誌
Hitorigaten
 Cogito, ergo sum(我思うゆえに我あり)-デカルトが「方法序説」の中で著した哲学的啓示、と若い頃習った記憶がある。
 全てを疑っても、否定しきれない唯一の存在としての「自我」があるという…
 独善に陥いらず、現在の事象を捉えることの困難さ、複雑さ、猥雑さ等々。しかし、遠い将来への不安はさておき、孫子の代への安心に対しては責任を果たすことが、哲学的人生と思う今日この頃…

○資本主義:人びとを病むべく導きながら、健やかにと命じるシステム →ありとある異なった「質」をお金という同質の「量」に自動転換
○インターネット:瞬時に地球の端と端をつなぐ →人と人をつなぐ →人と人の関係を結ぶどころか切断 →世界は切断 →内面が切断、つまり時間と空間を感じる力を失ってきている
○マルクス:労働者は、彼が富をより多く生産すればするほど、彼の生産力と範囲とがより増大すればするほど、それだけますます貧しくなる
○労働の社会的性格が商品の交換価値としてあらわれ、愛や誠実といったあるべき徳目の内実も貨幣価値にすりかえられた-「物象化」
○旧約聖書「コヘレトの言葉」:「かってあったことは、これからもあり、かって起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」
○日常というのは、そうした楽観と鈍感と無思慮で、継続、維持されている
○カーボン・オフセットに見られるような算術的善行がなにやらと透明化した悪に見える
○エレガントで醜怪、アナーキーで狡猾、獣的でノーブル、つねに部分的でありながら全体的、例外的ながら普遍的であり、自然発生的にして陰湿な謀りに満ちており、疲弊と活力、朝と夜、躁と鬱、生と死、知と無知が境界をなくしたまま、こもごも不気味にみなぎっている

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