数日前に、NHKスペシャル「汚された大地から:チェルノブイリ20年後の真実」を観ての感想を、コメント欄にチョッと書いた。これを丁寧にお読み頂き、率直かつ長文のコメントをお寄せ下さった方がおられるので、改めて筆者の思いを書きとめ、NHKへの抗議とする。
正直なところ、あのTVを見ながら、虚庵居士は歯軋りをしつつも、涙が止まりませんでした。
犠牲となった消防士は、ただひたすら消火活動に身を捧げて犠牲になりました。60万人(?)とも言われるリクビダートルは、放射線レベルや身に迫る危険性すら全く知らされずに、後始末に駆り出され、彼らの人生に悲惨な重荷を背負わされて生きてきました。被災者・被爆者とその家族の思いは、誠に身につまされます。何も知らされずに、いわば欺かれた「憤りの声」と、「悲痛な叫び」、訴えても訴えても聞き入れられない「モドカシサ」を思えば、悲憤の涙が止まりません。
ヒロシマ・ナガサキの原爆と、チェルノブイル事故は、人類が二度と再び起こしてはならない大きな「過ち」です。チェルノブイル原子力発電所の事故、悲惨な犠牲者、広大な放射能汚染と莫大な被爆者の発生は、紛れも無い事実です。その事実を報道することに対して、虚庵居士は何ら異議を唱えるつもりはありません。二度の原爆被災を受けた日本人は、「原爆」と「放射能・放射線」に大きな「トラウマ・心的外傷」を負っています。ですから「悲惨な被ばく結果」だけを報道することは、とりもなおさず「原子力=放射線被ばく=癌多発=排斥すべし」との誤解を与え、短絡的な誤解を誘導することに繋がります。「原子力の平和利用」を否定する感情論の種を撒くことは、公な報道機関であるNHKには許されない行為です。
何故あのような大きな「過ち」が起きたのかが、もっとも大切な点です。
人類が反省しなくてはならない、最も大切なことが一言も報道されず、一切触れられもしなかった点は、NHK自らが責を負うべきです。
「原爆投下」は戦争という異常な事態における、意図的な戦闘行為ですが、戦闘員を対象とした戦闘行為の枠を超えて、何の抵抗手段すら持たない国民・婦女子を巻き添えにすることが予め明白であった「原爆投下」は、人道上決して許されてはならない「人類の過ち」です。
「チェルノブイル事故」は、「やってはイケナイ行為」で発生させた「人類の過ち」です。
即ち、①原子炉自体が科学的・技術的にも、世界的に危険な原子炉であることが指摘されていたが、無視して運転した。②事故発生時の放射性物質の放出を防止する格納容器の無いことを指摘されていたが、無視して運転した。③危険ゆえに禁止されていた「低出力運転」を、意図的に継続して試験した。④禁止されていた安全装置を、意図的に外して試験していた。⑤ソ連政府と関係機関は、大事故の発生を直ちに公表せず、放射線被ばく・汚染地域の拡大を放置した。⑥事後処置に携わる者に、適切な被ばく防護知識を与え、措置を取らなかった。数々の「やってはイケナイ行為」の重畳が、大惨事を招きました。さらに、科学・技術・医療の国際的支援を早期に求めなかったことや、ロシア政府は歴史的大事故を、科学的・医学的に記録にとどめ評価する努力を怠ってきたこと等も指摘されています。
「人の命」を犠牲にし、「人の尊厳」を踏みにじり、「人生」を台無しにして来た原因は何か!
そのことを追求し、広く訴え、反省を求め、社会の木鐸たる任に当たるのが報道の公器”NHK”の勤めではなかろうか? 果たすべき役割を果たさず、徒に「放射能・放射線被ばくの恐怖」を煽るのは、許されない行為ではなかろうか。
『人類のために、如何に「原子力」を活かして使うか?』については、別の機会に触れたい。