はぁい!ミス・メリーよ!
今日はあの魔女の家、『ヘクセンハウス』について話すわね!
ヘンゼルとグレーテルに出て来る魔女の家『ヘクセンハウス』はお菓子で出来ている、というのが世間の常識の様になってしまっているけど…実はグリム兄弟が生前中書いた『ヘンゼルとグレーテル』内では、『ヘクセンハウス』はお菓子の家ではなかったの。
それじゃあ元々は何で出来ていたのかというと…実は『パン』だったのよ。
グリム兄弟自身、魔女の家をグリム童話の第2版では『小さいパンの家』と呼んでいるのよ。
『小さいパンの家』が何故『お菓子の家』になってしまったのかしら?
『お菓子の家』を創造した人物は、19世紀末にケルンに住んでいたアーデルハイト・ヴェッテという、或る医師の奥さんだった人。
切っ掛けは自分の子供達に、クリスマス劇の台本を書こうと思い立った事から。
クリスマスには演劇をする伝統というのが向うには有って、キリスト誕生といった宗教劇だけでなく、それとは関係無い演目でも盛んに行われていたのよ。
或る時、子供達が『ヘンゼルとグレーテル』を即興で演じていたのを見て、アーデルハイトはそのお話の脚本を自分で書いてみたくなったのね。
彼女はグリム童話等を参考にしつつも、自分のオリジナルな部分をどんどん話に加えて行き、そしてヘクセンハウスは『パンの家』ではなく『お菓子の家』として生まれ変わったの…その方が子供は喜ぶだろうからって。
パンですら手に入らない大昔の貧しい時代のヨーロッパと比較して、この頃はそれだけ生活に余裕の有る家庭が増えたという訳ね~。
出来上がった脚本は、当時フランクフルトで音楽活動をしていた自分の兄に送り、曲を付けてくれるように頼んでみたの。
その兄は小さい歌やデュエットを4曲書いてくれて、更に『子供部屋のクリスマス劇』と言う題まで書き添えてくれたんですって。
その後彼女の兄はそれを本格的なオペラにまで発展させたの…これがフンペルディンク作曲の『ヘンゼルとグレーテル』、そして1893年の12/23にはワイマールで初演の運びとなり、この事で『ヘクセンハウス(魔女の家)』と言う名のお菓子の家は一気に有名となっていったのよ。
フンペルディンクのオペラは『クリスマスの贈り物』の出し物として定着し、今日でも12月の待降節(アドベント)に入ると、歌劇場の在る街では必ず上演されるようになったわ。
グリムの『ヘンゼルとグレーテル』にはクリスマスの話とは何処にも書いてないんだけど…クリスマスに上演される事で、『ヘクセンハウス』と言う名のお菓子の家は、すっかりクリスマスの物となってしまったのね。
この『ヘクセンハウス』、本家ドイツでは『レープクーヘン』という、粉と香辛料と蜂蜜で練った硬いクッキーで作るのが今では決まりみたいになっているの。
硬い生地だから、しっかりとした家を作るには最適という事みたい。
もう1つ、この硬い生地で作る理由としては――
オランダのクリスマス定番お菓子に『シュペキュラースクッキー』と呼ばれるクッキーが有るんだけど、この『レープクーヘン』同様、蜂蜜と粉と香辛料を混ぜ合わせて練った生地を、動物や人や木の実等の型で抜いて焼いた物で、やっぱり歯が立たない程硬く中々癖の有る味らしいのね。
でも香辛料たっぷりなお陰で、腐らず10年近くは日持ちがするらしいわ――
ヨーロッパやアメリカの家庭では、クリスマスは1年の終りの歳末行事で、日本で言う仕事納め、クリスマス以降店閉まっても大丈夫な様に、日持ちする菓子は必需品という訳よ。
写真の説明~、ハウステンボスで『ヘクセンハウス』と言えば、ホテルヨーロッパのが有名ですが、ユトレヒト地区のパティスリーという店でも飾られています。
沢山のプチシューを使って作ったクリスマスツリーも飾られています(←写真はまた後日)。
中々可愛いので、皆さん観に行ってみて下さい。
今日はあの魔女の家、『ヘクセンハウス』について話すわね!
ヘンゼルとグレーテルに出て来る魔女の家『ヘクセンハウス』はお菓子で出来ている、というのが世間の常識の様になってしまっているけど…実はグリム兄弟が生前中書いた『ヘンゼルとグレーテル』内では、『ヘクセンハウス』はお菓子の家ではなかったの。
それじゃあ元々は何で出来ていたのかというと…実は『パン』だったのよ。
グリム兄弟自身、魔女の家をグリム童話の第2版では『小さいパンの家』と呼んでいるのよ。
『小さいパンの家』が何故『お菓子の家』になってしまったのかしら?
『お菓子の家』を創造した人物は、19世紀末にケルンに住んでいたアーデルハイト・ヴェッテという、或る医師の奥さんだった人。
切っ掛けは自分の子供達に、クリスマス劇の台本を書こうと思い立った事から。
クリスマスには演劇をする伝統というのが向うには有って、キリスト誕生といった宗教劇だけでなく、それとは関係無い演目でも盛んに行われていたのよ。
或る時、子供達が『ヘンゼルとグレーテル』を即興で演じていたのを見て、アーデルハイトはそのお話の脚本を自分で書いてみたくなったのね。
彼女はグリム童話等を参考にしつつも、自分のオリジナルな部分をどんどん話に加えて行き、そしてヘクセンハウスは『パンの家』ではなく『お菓子の家』として生まれ変わったの…その方が子供は喜ぶだろうからって。
パンですら手に入らない大昔の貧しい時代のヨーロッパと比較して、この頃はそれだけ生活に余裕の有る家庭が増えたという訳ね~。
出来上がった脚本は、当時フランクフルトで音楽活動をしていた自分の兄に送り、曲を付けてくれるように頼んでみたの。
その兄は小さい歌やデュエットを4曲書いてくれて、更に『子供部屋のクリスマス劇』と言う題まで書き添えてくれたんですって。
その後彼女の兄はそれを本格的なオペラにまで発展させたの…これがフンペルディンク作曲の『ヘンゼルとグレーテル』、そして1893年の12/23にはワイマールで初演の運びとなり、この事で『ヘクセンハウス(魔女の家)』と言う名のお菓子の家は一気に有名となっていったのよ。
フンペルディンクのオペラは『クリスマスの贈り物』の出し物として定着し、今日でも12月の待降節(アドベント)に入ると、歌劇場の在る街では必ず上演されるようになったわ。
グリムの『ヘンゼルとグレーテル』にはクリスマスの話とは何処にも書いてないんだけど…クリスマスに上演される事で、『ヘクセンハウス』と言う名のお菓子の家は、すっかりクリスマスの物となってしまったのね。
この『ヘクセンハウス』、本家ドイツでは『レープクーヘン』という、粉と香辛料と蜂蜜で練った硬いクッキーで作るのが今では決まりみたいになっているの。
硬い生地だから、しっかりとした家を作るには最適という事みたい。
もう1つ、この硬い生地で作る理由としては――
オランダのクリスマス定番お菓子に『シュペキュラースクッキー』と呼ばれるクッキーが有るんだけど、この『レープクーヘン』同様、蜂蜜と粉と香辛料を混ぜ合わせて練った生地を、動物や人や木の実等の型で抜いて焼いた物で、やっぱり歯が立たない程硬く中々癖の有る味らしいのね。
でも香辛料たっぷりなお陰で、腐らず10年近くは日持ちがするらしいわ――
ヨーロッパやアメリカの家庭では、クリスマスは1年の終りの歳末行事で、日本で言う仕事納め、クリスマス以降店閉まっても大丈夫な様に、日持ちする菓子は必需品という訳よ。
写真の説明~、ハウステンボスで『ヘクセンハウス』と言えば、ホテルヨーロッパのが有名ですが、ユトレヒト地区のパティスリーという店でも飾られています。
沢山のプチシューを使って作ったクリスマスツリーも飾られています(←写真はまた後日)。
中々可愛いので、皆さん観に行ってみて下さい。
行ってらっしゃい!良い旅を!!(と、しつこく言って済みません)
(ってもう戻ってるし・・)
それでは行って来ます。
(早く寝なくては:汗)
以前はあそこにも売り物だけでなく、おっきいヘクセンハウスが飾って有ったのよね~。
もう飾らないのかしら?メリー寂しいわ。
そう、ウロウロさん、いよいよ明日帰国されるのね!
行ってらっしゃい!色々沢山癒されて来てねv
追伸…いやんv撃たないでv(←銃殺)
…いいかげんチキン肌なってるでしょうが…ご安心下さい、取敢えずは今日までです。
自己紹介&ブログ説明も元に戻しますんで。(笑)
ミス・メリー…自分に敬称付けて呼ぶ女、モデルとしてはリカちゃん辺りだろうか?本当に居たら嫌だな~。(苦笑)
コメントどうも有難う御座いました!
どうぞゆっくり癒されて来て下さいねv
そうか最初はお菓子じゃなかったのですね。パンの家の方が実際には立てられそう(笑)
ところでいよいよ明日からHTBに行って来ます。色々癒されて来ますね。
PS、
あの~自己紹介見たんですけど。。。。(^o^;
リボルバーカノン使っていいですか?(爆)