kotoba日記                     小久保圭介

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自己防衛の詳細

2021年05月02日 | パンデミック
  

第四波への対策

ともかく
変異株が1,5倍なら
比例して
1,5倍の自己防衛しか方法がない。


ためになるか判りませんけれど
わたしが実践しはじめた感染予防の具体を
書いておきます。

1。去年から洗濯しては使っていたマスクを全部新品にした
ただし、インナーマスク(ガーゼ、コットン、ガーゼ)なので
それほどマスク自体の消耗は問題ないと考える。
※インナーマスクの利点は風邪、花粉、インフルエンザに効果あり、なので
当然、コロナウィルスにも有効と考える。


2.密の場所に入らず、休憩、食事は、広く、人が皆無な部屋を使用。


3.ソーシャルディスタンスの再徹底


4。携帯用消毒液の使用頻度の増加


5 顔を触る時は『無意識』で指で触れず、ハンカチに消毒液を拭きかけ、それで目や鼻を触る


6 感染症は人から人へ感染するという基本原則の徹底認識。これさえ認識していれば、かなり防御できる。


7 食事前、トレイ前後は手を消毒


8 あやまって口に食べ物を入れてしまった場合や口に感染しているかもしれない指が触れてしまった場合
すぐに水をゴックンとのみ、胃にウイルスを落とすこと


9 インナーマスクの消毒頻度を上げる


10 部屋は換気、及び空気清浄機をつけること。


11 ビタミン、ミネラル、タンパク質を三度の食事でしっかり獲り、抵抗力をあげておく


12 十分な睡眠も抵抗力を上げるために有効


13 体を冷やさないことも同様


14 悲観的にならず、感情に支配されず科学で考える。原因には理由が必ずある。


15 正しく浮ェる(科学的に考える訓練)


こんなところです。

ワクチン接種までもう少し。
頑張って自己防衛あるのみ。
みんな元気でいてください!
お願いします!


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『件p家は悟れない』の本質的意味

2021年05月02日 | 生活
  




柳美里さんは現在、
福島県南相馬市(原発近く)に住み、
ブックカフェを開いています。
時々、彼女のツイッターを見るので、
地震が来た時の様子だとか、新しいケーキの紹介だとか。
ツイートには「神様、」と問いかけている短文もあります。
これは信仰を持っている人にしか書けない言葉で、
素直に、恥ずかしがらず、問いかける。

ノーベル文学賞まで受賞した
ボブディランという歌手は、
ある時期に信仰心が芽生え、
「神が見方、神様のいうとおり、神様」
とキリストへ捧げる歌のアルバムを発表して、
話題になりました。
あからさまに、
あれは信仰を持たない人は度外視されていて、
あるがままの自分の心象を歌う。
面白く、興味深いボブディランの軌跡です。


ーーー

津島祐子が生前言っていたことが忘れられない。
作家としての態度表明だったのだけれど。
「言葉を持たぬ者のための通訳者となるべし」

これは識字の問題ではなく、
日本の、世界中の
最低賃金労働者たちは、
自分たちの苦しみ、
怒り、
悲しみ、
寂しさを、
言葉に表すチャンスも気力も、
原動力もない。
そういう人たち、
または人間にとどまらず、
人間に暴力を振るわれている
言葉なき動植物すべて、
ですけれど。

ーーー

もう一人、
石牟礼道子もそうです。
美しい水俣湾が水銀にまみれ、
たくさんの患者に寄り添って、
事実を書き取り、
話を聞いてまわった。
その時、
石牟礼はあまりにも目線を低くしたばかりに、
同じ苦しみを己で背負ってしまい、
心身を患ってしまったけれど、
それでも、ある覚悟があって、
取材を続け、『苦海浄土』を書いた。
あのルャ泣^ージュは
世に水俣病を知らしめて、
裁判に勝った。
経済発展の裏側には公害があり
四日市喘息等に
あの小説は社会的意義を
拡散させていった。

患者たちは
石牟礼道子が空に帰った時、
集まったという。
それは、
この地にいながらして、
神を石牟礼に見たからではなかったか。

ーーー

石牟礼も柳美里もまた、
神になりたいと思って
そうしているわけではないはず。
神の声に忠実になればこそ、
柳美里は、南相馬に引っ越し、
岩手など、たくさんの東北をまわり、
出稼ぎの実体験を聞いてまわった。
それが全米図書の
必読100選に入った。

祈るという行為を通じて、
手を合わせるという行為を通じて、
わたしたちは気づかぬうちに、
天の上の愛しかない場所と繋がっている。


彼女たちは
帰路、
見る美しい景、
または人の心に痛みに、
日本の文化が生んだ
『もののあわれ』を
思っていたのではないのか。
なんとかしたくても、
どうしようもできないもどかしさ
『もののあわれ』。

ーーー

自分にケリをつけるための言葉。
その叫びの言葉は
汚いものなのだろうか。
吐き出しているものは、
本当に汚いものなのだろうか。
本当にそうなのだろうか。


ーーー

ゴンザレスなんとかという人と
誰かの対談をテレビで見た。
ゴンザレスは、
激戦区やスラムをまわってルャ泣^ージュする人。
その人が言っていたことが印象深い。

「人って、善も悪も両方あるんですよ。例えば午前中に殺人をした人が、午後に転んだおばあちゃんを起きあがらせて、癒しある言葉をかける。悪人というのは、そういうものなんだと思います」

その言葉が、
妙なリアリティを持っていた理由は、
世界中のスラム街で過ごしたことが
あるからだと思う。
命の危険が
たくさんあっただろう。

人間には善悪、
両方がある。
変化とは、
善と悪の分量の変化に
忠実に沿っているに
違いない。

到達したと思っている人は
あまりいない。
到達しても
また行く道が続く。
そして、
柳美里はどこにも到達していない。
今でも戦っている。
何と? 
自分と、
差別と、
最低賃金労働者たちの思いに、
共感できず、
寄り添うことでしかできないもどかしさと。

津島祐子も空に帰ったけれど、
どこにも実は到達していない。
到達するのは、
読者だ。

石牟礼道子も空に帰ったけれど、
やはりどこにも到達していない。
悟りとは、
一回悟れば、
それが悟りではない。
悟るとは、
幾度も幾度も、
悟る心境になること。
それでもきっと誰もが悟れない。
だから書く。
今の素直な気持ちを、
どこに行きたいか、
何をしたいか、
誰に一番最初に読ませたいか、
何のために書くのか、
それをたくさんたくさん考えて、
考えて、
さらに考えて、
作家は、最初の一行を書く。

作家は、
生きている間、
それをずっと続ける。
続けねばならない。
誰でもない、
自分のために。

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