kotoba日記                     小久保圭介

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武満徹にタッチする

2007年03月20日 | 音楽
今、武満徹の番組(NHK 人物伝 武満徹の愛した`うた`)
を見終わったところでこれを書いている。
30分の番組はあっというまに終わってしまった。
今日の分は第3回目で、来週が最終回の4回目。武満徹特集だ。
僕は第一回、第二回の放送を番組欄で知っていたけど、
見なかった。労働に追われ、見る気力も、録画する気力もなかったのだ。
そういう自分は、いったい何のために労働しているのか、
何のために生きているのか、と思う後悔に今、刺されている。

武満が亡くなった平成8年、僕は「武満さんのこと」
と題して、友人との℡を録音し(4時間に及ぶ)、テープを起こして、
「じゅん文学」という文兼ッ人誌に発表した。
僕にとって武満徹という人は、何か特別なものがあるのだ。
現代音楽は馴染まなかったし、高橋悠治の音楽は聴けたけど、
武満の音楽は聴いてもピンとこなかった。
それでも、何かが武満の何かが、僕に何か創作に関して影響を投げている、
そのことだけは判っていた。
だから武満の音楽はわからずとも、
著作はかなり読んだし、大きな本(黒くて、写真と文でいっぱいの、「武満徹の世界」)
は、図書館で借りては返し、返しては借りて、読んだり、見たりしていた。

そういう人の動画をふくむ番組を僕は二回も見過ごしてしまった。
次の第四回目は必ず見るだろう。
そして、再放送を願って、僕はこの「人物伝 武満徹」を録画するだろう。
それまで、追悼番組のビデオを見るだろう。

武満徹。
僕はこの人の音楽はわからないけど、
この人の動作や、表情、言葉に、根源のところでタッチしているのだ。

武満徹。
と、
僕はもう一度、キーを打ってみたいのだ。
何度も打って、知りたいのだ。今一度、胸に刻みたいのだ。
何かを。武満徹。武満徹。武満徹。武満 徹。

「いかなる場合でも僕は僕の希望を捨てない」

「あらゆる因習から逃れよ」

この2つの言葉は、武満さんの言葉だ。
この2つの言葉さえあれば、
僕は僕の言葉を自由に書くことができるのだ。

武満さんは、僕に何かを、与えてくれている。
それが何だかは、わからない。

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