ジジババのたわごと

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原発再稼働で沖縄米基地を思う

2015年08月11日 | Weblog
九電の川内原発が再稼働する。
特徴的なのは、立地自治体の住民に歓迎している人が多いことである。
停止中のほかの原発の住民も、おおむね再稼働に賛成を表明している。

国民全般の感情・感覚とはかなり違う。
仮にこれが、福島の原発を再稼働するとなったとしたら、さすが住民に反対が渦巻くものと想像する。
福島以外の原発の周辺住民は、どのような感覚で原発を受け止めているのだろうか。

ふと、沖縄の米軍基地に対する住民の反応と比べてしまった。
沖縄の米基地に関しての地元の反応は、強い反対が占めている
ところが国民全般の反対はさほど強くない。「やむを得ない」と容認が多くを占める。
原発と丁度逆である。ずいぶん違うなという印象である。
この違いはどこから来るのか。

沖縄では敗戦のとき、普天間飛行場もそれ以外の基地も、銃剣とブルドーザーで強制接収をされた、という体験があり不条理であるという感情がある。
そして年月を経ても、米軍基地があるための事件が繰り返されてきた。

住民は危険と不安、不合理を日常的に肌で感じている。恐怖の体験、憎悪の体験がつよく焼き付いているのだ。
最近では実経済へのマイナスが大きいことも明らかになってきた。

基地によって経済が成り立っている面が大きいので、基地建設に賛成する人もいることは言うまでもないが、要するに、基地は不利益の方が大きい、と住民が捉えているということであろう。

さて、だいたいどこの原発でも、計画がもちあがったときは、建設反対に揺れた歴史を持つ。
それが何十年か経つと、強い反対がなくなる。種明かしは、現実的な実入りが多いということに尽きる。
直接的な収入に結びつくもの、間接的な恩恵に浴するもの、さらには補助金、裏金など、カネの魅力に支配されていく

福島で未曾有の大災害をつい数年前に経験しているのに、どうして・・・? と不思議がられても、いますぐに現実的な危害があるわけでない。
潜在的な危険があることは頭の隅にあっても、特段に身の危険を実感することはない のだから。

福島原発のように避難生活をしたり、放射能に汚染されたりしていないと、危険の実感がわかないということであろう。


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