ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

子ども賑わう公園に

2009年10月15日 | Weblog
公園で遊べない子どもたちが増えていると聞いて、何で? と思った。
公園で遊ぶ歓声や遊具の音で近隣から苦情がくるというのがその理由だ。
私語禁止とかサッカー禁止などと、立て看板を設置している所まである。

夜中に騒ぐというわけでないのにまったく驚いてしまう。
いまや遊びたいときに遊ぶという公園でなくなっているということか。
子ども達が公園でかたまって黙々とテレビゲームをする姿が悲しい。
いったい何のための、誰のための公園なのだろう。
公園を造った意味が失われてしまいそう。無駄な用地となるかもしれない。

水の音でさえうるさく、噴水をふさいでしまった、なんて笑えないことまである。
幼い子たちの親は大変だろう。親子の嘆きが聞こえてくるようだ。
砂場で遊ぶ声、オモチャの音、泣き声、母親同士の話し声までもが騒音になる。
一時、親子の「公園デビュー」というのが話題になった。それすら死語になるかもしれない。
住みにくい時代になったものだが、自身も育児の真っ只中にいたことがあった人なら理解してやれるはず、と考えてしまう。

年をとるにしたがって子供の声がうるさく感じると聞く。
たまたま家族に病人がいて介護の疲れがそう感じさせることもあるだろう。
職業がら交代勤務の人もいるだろう。

そのような苦情とは逆に、近ごろ子供の姿が見られなくなって寂しいと感じている人も多いはず。
まわりに子供がいなくなって、賑わっていた商店街がシャッター通りになっていくのに似た思いを抱いている人も少なくないはず。
公園があるのに子ども一人遊んでいない風景を想像すると、やはりわびしく妙なものだ。

個々人で解決するのは大変だろうが、両者が妥協できる落としどころがありそうに思う。
自治体が近隣住民と掛け合って工夫している所もあるようだ。公園使用の時間を決め、ルールを守ることが前提なのだ。
こういう事柄がこれからの町内会・自治会の出番だろうか。  


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