ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

父の1周忌

2007年09月26日 | Weblog
早いもので父が亡くなって1年が経った。
母の住む家で坊さんからお経をもらって法要を行い、そのあとホテルで食事をした。似たような年令の子供たちが顔を揃え、一番下は2歳に達していない父にとってはひ孫。

父は元炭鉱マンで定年まで働いた。父といえば本人が「スコップのような手」と称したほどの節くれだったゴツゴツした手とハンチング帽子を好んでかぶっていたこと、村田英雄の「王将」をうなっていたことが思い出される。
写真で見る父は若いときはなかなかいい男だった。
一度炭鉱の落盤事故にあったが九死に一生を得て、少し入院するくらいの怪我で済んだ。
その事故の時、父が「とっさに目の前に浮かんだのはアレ(妻)でなくお前たち4人の娘の顔だった・・・」と言った。笑えなかったのを覚えている。
若い時からお酒もタバコもパチンコもダメ。なにが楽しみかといえば働くことと、おはぎが大好きだった。俗にい言う「甘党」なのだ。

趣味でスキーを手作りしたり大工仕事で物置を部屋に改造したり。晩年は木彫りを楽しんで出来た作品を身内にあげたりしていた。
膝が痛い父は日増しに身体を動かさなくなって寝込む日が続いた。だんだん歩行もできなくなり、目もうすく耳も遠くなって言葉を発することもなくなった。
そんな父を自宅で母と姉が5年ほど自宅で面倒をみていたが介護は大変だったようだ。
ある日容態急変で救急病院へ運ばれた。医者に最期かも・・・と言われてみんな駆けつけたが持ち直した。
それから病院で2年お世話になり、88歳の米寿のお祝いも病院でだった。そしてある日静かに逝った。
母がガックリ来るんじゃないかと心配していたが、その母は思ったより元気だった。

ジジババもいく末を考えたときいったいどうなっていることやら・・・誰にも迷惑かけたくないと思うのは皆同じだろうが・・・。



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