ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

町内会は強制加入でない

2007年03月18日 | Weblog
― 町内会の持ちまわり役員が回ってきた。免除してほしかったが、「町内会を抜けたり、班長を引き受けないなら、町内会に住まわせない。引っ越ししていけ」といわれ、仕方なく引き受けた。夫が脳出血の後遺症がある老老介護世帯で、高齢者には町内会の役員は酷だ―  新聞の投稿欄に載った投書である。
数日して― 投稿者のような介護を要する世帯を支えることこそ、町内会にとって必要な活動ではないか。― という投稿が載った。

町内会といわれる組織が、古い体質を抱えていて弊害を生んでいることは、よく言われることである。
一番の錯覚は、町内会という組織を 「強制加入」と考えている人が多いことだ。
原則的にいえば、「サークル」などと同じで、町内会というのは「自主的な組織」である。
いうまでもなく、加入は任意で、脱退も自由である。
投稿にあるように、「町内会に住まわせない」などというのは、とんでもない話だ。

町内会は、行政から指示を受けるものではないし、出先でもない。行政とは全く別の組織である。
もちろん、ごみ収集をはじめいろいろな面で町内会と行政が協力しあったりしているので、普通の団体とは性格を異にするところがあるが、あくまでも任意の集まりである。

公報配布を町内会が行っているところが多いが、本来は町内会とは別の体系で、町内会活動とは関係ない。
たまたま便宜上、町内会が取りこんで慣行的にやっているだけで、やらなければならない義務はない。
だから、極端に言えば、全く同じ区域内に、AとB二つ町内会があってもかまわない。
隣同士がAとBに分かれて加入してもいいわけだ。

ずるいことに町内会三役などから、半強制的な姿勢の発言が飛び出す。任意では困るという本音が出てくる。 しかし都合悪くなると、任意の団体だと開き直る。
今日の社会にマッチしていない組織なのに、古いまま惰性で変えようとする力が働かない。
町内会幹部が、暇つぶしと名誉のために居座り続けるのも、改善されないことを助長する。
町内会に住む人たちも、毒にも薬にもならないことに時間を取られたくない、と逃げ腰になる。
そんなわけで、一部の人だけのものになっていて、時代遅れになっている。
扱うお金は相当な額になる。金銭の疑惑もあちこちよく聞かれる。連合町内会など上部組織の無駄も多い。
どこかの組織に似ているんだよなー。



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