ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

宗教の行き着くところは?

2006年02月14日 | Weblog
運命を支配するものにすがりたい、宇宙を支配するなにかに祈りたいというような心理は、人間にとってある種自然なことだ。
そういう心理から宗教が生まれたのだろう。

宗教というものは、心を安らかにするためのものであるはずだ。
しかし、現実は物欲になっている。宗教間、宗派間の対立も行き着くところ、自分たちが都合よくなるため、物欲を達成するために起こっているように映る。

宗教には、往々にしてとんでもない教えがある。キリスト教にしたって天動説を唱えているし、マリアさまが処女のまま懐妊されたとか・・・。 
何世紀も前の古い時代背景のなかで形成されたものだから、今日に至って明らかに誤りだったとしても責められることではないのだが。
だがそういうことさえ、絶対的に盲従してしまうのだから、信者というのは別な境地になるのだろう。
しかし考えてみれば、宗教というのは、そもそもそういうものかもしれない。
疑いを持つことは冒涜である。不合理なことであろうとなかろうと、絶対なのだ。盲従するのが信者の務めなのかもしれない。
《前のブログから転記し再生したものです》



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