ジジババのたわごと

孫たちさらにその孫たち世代の将来が、明るく希望が持てる時代になってほしい。

PTAは変身できるのか

2019年09月10日 | Weblog
近年のPTA役員は「本部役員」と「専門委員」で構成される。
本部役員というのは以前の執行部三役に相当する名称である。

PTAが硬直している最大の原因は、実施した活動を評価することが出来ないところだ。そして一般会員の希望や意見を吸い上げる力が極めて弱い。
だから、前年踏襲となって継続されてしまう。

深刻なのは、いやでも役員を強制されるところにある。
会費だけ納めたら、つらい仕事が免除され参加も強制されない、となってくれないところに問題の大きさがある。


公平性を保つという理由で、6年間に必ず何らかの役を引き受ける「ポイント制」を採用しているところがある。
みんなから嫌がられていることの裏返しだ。イヤイヤやっていると証明しているようなものである。



任意団体は基本的に、嫌がる人を無理強いしてはならない。納得して引き受けるのでなければ存在意義が薄れていく。
「全員参加を基本にするのであれば、最低限の活動にとどめる」ことである。
最低限のことだけやればみんなが喜ぶ。手を広げるにつれ喜ばない人が増えていく。

PTAを退会するとなると、なかなかにハードルが高い。
やはり子供が在学していることが足かせになってくる。

PTAを退会した家庭の子に、卒業記念品やブーケが配られなかったことが話題になった。それらはPTAが購入したものだった。
任意団体だから、非会員に特別の計らいをする義務はない、という意見には一理ある。
PTAに入っていないものがPTAの主催する行事に参加でなくても仕方ない。
ただしそれは、学校ではない別の場所で行った場合だ。

学校という場で公式の催しの中で、差別と間違えられるような配り方をしたことは、思慮が足りなかったと言わざるを得ない。
もし、PTAに加入している保護者が1割しかいなかったとしたら、同じことをしたとは思えない。
この種のものはそもそも学校の費用で賄うべき、という意見は一旦脇に置いた。

「運動会のテントはPTAの予算で購入したものだから、PTAをやめたら運動会のテントに入れなくなる」とか「朝の集団登校に入れなくなる」と脅かされている例もあるようだ。
イチャモンと言ってよい間抜けな発言だが、PTAがこんなレベルかと呆れを越して情けなくなる。


PTAの悪習は「たくさん行事をやることがよいこと」という観念が浸透しているところだ。
役員にその傾向が強い。改めてほしい点である。


会員の意向や意見を把握するためにはアンケートが極めて有効である。必須とさえ言える。ただし少し工夫が必要だ。
項目をならべて「賛成・反対・どちらでもよい」を問うだけでは十分でない。
その活動を行うために「必要な費用」と「必要な延べ人員」を情報として提供する。
これによって費用対効果を横にらみしながら判断してもらえる。

アンケートが回収出来たら、活動を仕分けすると有益だ。
方法は「その活動を止めたら誰が困るか」、「どれだけ困るか、代替は無いか」を分析して影響を図るとよい。
すると「子どもたちのためにどうしても外せないもの」が浮きあがる。
同時に「止めてよいもの」が洗い出せる。

直接的に子どもが困るのでなければ止めることを原則とする。
間接的に子どもに有益だから、というのは止めてよいものに分類する。
この考えが共有されたら、大方の会員が不必要と考える行事は減らすことが出来る。



ママさんバレーをPTAの活動にしているところがあるが、子どもに直接つながらないものはPTAとは切り離す。
続けたければ親睦グループとして活動してもらう。
父母向けの講演会・講習会などもPTAの活動から原則として除く。必要なら教育委員会などに主催してもらい側面協力にとどめる。
親子交流会も止めたからといって特段困るものではない。
どうしてもやりたければPTA活動とは切り離してボランティア的に行えばよい。

運動会は、全員が参加する学校の一大行事である。
先生だけでは手が回らないので、PTAの協力が必要なことは誰しも理解できる。
細部についての意見はあるにしても、運動会にPTAが協力することに異論は出ないであろう。
一般会員からボランティアを募ることを考えてもよいのではないか。
駐車場の交通整理などは外部に依頼することも一案である。

登下校の見張りは子どものための活動のように見えるが、通常は見張りがなくてもよいものである。
でなければすべての通路を見張らなければならないことになる。
なぜ必要かを調べ、原因を取り除くことに主眼を置くべきだ。
行うにしても極力限定して、基本的にはPTAの活動から切り離す方向で見直すのがよいと思う。
ボランティアに任せてしまうことも一案である。

活動の範囲が縮小すると、引き受けてもよいという人が現れる。
費用も少なくて済む。


PTAは上部機関に加盟していて、そこがさらに上部に加盟する重層構造になっている。上納金も収めている。
上部機関は連絡調整に徹するべきなのだが、現実は上部の決定に縛られて行動している。
だから場合によっては、思い切って上部PTAに加盟しないことを考えてもよいと思う。

すべてを学校とPTAによって行うものと考えなくてもよい。
PTA経験者で子どもが卒業してしまったOBをボランティアとして活用することを考えるとよいのではないだろうか。

さらに、外部委託が一つの方策である。
ある意味で、外部に頼んででもやりたいと考えるものは必要性の高い活動だから、引き続きPTAの責任で外注して行うとよい。
外注するまでもないと考えるのなら、止めても影響が少ない。

PTAは法律上の組織でない。だから趣味のサークルと同等で法的な権限はない。
法律が適用されないので、重大な違反行為があっても処罰されることがない。
本部役員の意向で処置が決まってしまう。

さてPTAの場合、ほかの組織と異なる特殊性がある。
父母がかかわるのは子どもが学校に在籍する小学校6年間(あるいは中学校3年間)に限定されていることだ。
改革が必要と感じる父母がいても、卒業すると会員から外れてしまうため関与しなくなる。
これが改革の進まない隠れた要因になっている。
ずっと続くことではないので、疑問に感じる父母がいても意見が反映されずに尻すぼみになってしまう。もどかしところである。
「これではまずいなと思うけど…役目は終わったし…、マァいいか!」となってしまう。

PTA経験者であるOBの意見を反映させることが出来れば、改革改善につながる。
どんな手法でOBの意見を吸い上げるか。そしてそれをどのように現行PTA活動に反映させるか。
至難であるが、誰かが声にだしたりSNSで発信したりすると案外同調者が集まり、良案が集まるのではないか。
そこから改革のヒントが生まれることを期待したい。

往々にしてアンケートすることに役員から反対される。
面倒くさいと逃げたりするが、これまでの運営を否定されることへの拒否反応だ。
「活動の仕分け」にしても、役員は何かと理由をつけて回避する。
活動を縮小することに拒否感を持っている役員を相手に、説得するのは容易でない。

改革に意欲のある人が働きかける覚悟が必要となる。
自ら本部役員に立候補して改革するのが最良だが、それもすんなりいくとは限らない。
改革を嫌う役員から邪魔されるものと想定しておいた方がよい。

障害がいくつも立ちはだかっている感があるが、改革に成功した実例が一つ二つと現れると、多くの人が望んでいることなのでその波及効果はとりわけ強いものがある。
それがさらに波及して好循環も期待できる。
声を上げていこう!

恥ずかしながら、卒業記念品や運動会の賞品がPTAからのものということをこの度初めて知った。
学年を超えて家が近い子らが集団登校する登校班に、PTAが関与していると知って驚いている。



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