ジジババのたわごと

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威光が汚れてきた裁判官・検察・警察

2009年06月18日 | Weblog
DNA鑑定という動かしがたい証拠によって犯人とされ、やはりDNA鑑定によって冤罪が明白になった「足利事件」は、暴力的な取調べを印象付けた。
そしてその奥に、意図的に犯人に仕立て上げてしまう、警察や検察の薄汚い体質を浮かび上がらせた。

今もでっち上げや冤罪が延々と続いていることを再確認した。
もしかしたらほかの事件でも無罪の人が強引な取調べと冤罪で、死刑になっていたのではないかという疑いを抱かせる。
つい最近も、女性暴行の罪で刑に服した後に、別の真犯人が見つかった「富山事件」。選挙違反の罪で逮捕され暴力的な取調べを受けた「志布志事件」が発生している。

この足利事件は、かつてないほどに裁判官への不信を増幅させた。
これが論理構成を重んじ、法を守るとされる裁判官なのか、と一般の国民は感じたことだろう。
どんな思考でこういうヘリクツとしか思えない結論に導くのかと考えてしまう。
揺るがない権威を持って君臨している印象があった裁判所が淀んでいて、裁判官自らの保身で警察・検察への迎合があることもあらわになった。

「裁判官にとって被告人を喜ばしても何の得にもならない。無罪を出すのは警察と検察を否定する、国家に立てつくことを意味する。そしたら出世はできない」という言葉が実感を持って伝わる。
周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」の中での言葉だ。

検察が早々と菅家利和さんを釈放した。再審開始前に釈放するのは前例のないことである。
次長検事が謝罪会見もおこない、栃木県警の本部長も謝罪した。
警察・検察・裁判所という権威に対する、かつてないほどの非難を無視できなかったということである。
「小沢秘書の逮捕」や「SMAP草薙剛氏逮捕」で、捜査当局の恣意的捜査でないかと疑いを持たれたこともかなり影響しているだろう。

そんな空気を察したからではないだろうが、「沖縄密約文書」裁判で、東京地裁が従来は考えられなかった国への説明を求めた。
「沖縄返還に伴う日米間の密約文書」の情報公開を求める裁判は、原告に作家の澤地久枝さんや当時密約をあばいた元毎日新聞記者西山太吉さんら25人。
当時交渉責任者だった外務省局長の吉野文六氏が密約のあったことを明らかにしているのに、日本政府は密約の存在を一貫して否定してきた。
当時西山記者が密約をあばいたが機密漏えいで有罪となったことを、澤地久枝さんは、「存在しない文書で西山さんが裁かれたのか」という。

杉原裁判長は、「米国で密約文書が公開されているのだから、日本側にも同様の文書があるはずだとする原告の主張は理解できる」
「仮に密約文書そのものを保有していないとしても、合議内容を報告するための関連文書はあるはずという主張にも理解できる」
「もし、密約そのものが存在しないというのであれば、アメリカの公文書をどう理解すべきか説明することを希望する」と述べた。
さらに元局長の吉野氏を証人として招くように促した、ということである。

こういう思考と姿勢こそが、裁判所として権威を高め、国民から信頼される裁判官となる。
国家や権力に擦り寄るのでなく、本来の独立した裁判所を期待している。


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