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近代革命の社会力学(連載第30回)

2019-10-21 | 〆近代革命の社会力学

五 ハイチ独立革命

(1)概観  
 ハイチ独立革命は、カリブ海イスパニオラ島西部のフランス植民地サン‐ドマングで18世紀末に勃発した黒人奴隷を主体とする独立運動を兼ねた革命である。独立運動の性格を持つ点では、アメリカ独立革命と類似しており、アメリカ‐カリブという広域内では、アメリカに次ぐ史上二番目の独立革命であった。  
 そして、独立運動という側面では、カリブ海域を含む中南米全域に及んでいたスペイン植民地の連続的な独立運動を触発し、広い意味でのラテンアメリカ解放の最初の力動となる役割も果たしている。その意味では、ハイチ独立革命は、北アメリカと南アメリカの独立をつなぐ中継の役割も担ったと言える。
 しかし、革命という側面では、ハイチ革命はアメリカ革命よりも、宗主国フランスにおける革命に触発された18世紀フランス革命の産物という側面が強かった。中でも、フランス革命の大きな成果の一つであった奴隷制廃止宣言が直接に影響している。  
 フランス革命は、その最初期に発せられた人権宣言において、人間の生来的な自由・平等を謳い、国民公会は1794年に植民地を含めた奴隷制廃止を明確にした。この点は、同様に人間の生来的な自由・平等を謳いながら、黒人奴隷制は温存するという自己矛盾を正さなかったアメリカ革命との大きな相違であった。  
 しかし、フランス革命は植民地そのものの放棄にまでは踏み込まなかったため、フランス革命が直接にサン‐ドマングの奴隷解放をもたらすことはなかった。それどころか、サン‐ドマングの白人支配層は、農園経営の基盤である奴隷制廃止には抵抗したため、サン‐ドマングの黒人奴隷たちは、自分たちの解放のために革命的な蜂起をしなければならなかった。  
 奴隷の蜂起というだけであれば、古代ローマの時代から世界各地で見られる現象であるが、反乱的な蜂起に終始せず、自主的な体制を確立する革命にまで至ったのは、歴史上もハイチ革命だけである。そうした「奴隷の革命」という点で、ハイチ独立革命は独異な異彩を放つ革命である。  
 ただ、立憲革命という観点では必ずしも成功せず、政体は共和制、帝政と揺れ動き、内戦を経て最終的に共和制に落ち着き、「世界最初の黒人共和国」となる栄誉を得たが、その後も政変が頻発し、専制政治がはびこる悪しき伝統を作り出してしまった。
 また、階級制の打破という点でも不徹底に終わり、革命過程で指導的な役割を果たした白人との混血ムラートが支配層として多数派黒人を抑圧・搾取する構造が作り出された。その結果、栄誉ある建国史を持ちながら、現在のハイチは西半球はもとより、世界でも最貧国の一つという不名誉な状況に置かれている。


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