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近代革命の社会力学(連載第76回)

2020-02-25 | 〆近代革命の社会力学

十一 ハワイ共和革命:ハワイ併合

(2)白人既得権益層と「銃剣憲法」
 1874年の国王選挙によってハワイの新国王となったデービッド・カラカウアは野心家であり、即位すると直ちにアメリカと交渉し、ハワイの基軸産品である砂糖や米の対米輸出自由化を柱とする貿易関税撤廃相互条約(互恵条約)を締結した。
 これによってハワイとアメリカの関係は緊密化したが、その中に「ハワイのいかなる領土もアメリカ以外の他国に譲渡し、または貸与しない」という趣旨の条項が含まれたことは、裏を返せば、ハワイがアメリカにだけは領土を割譲することもあり得るとの含意であり、ハワイ併合への道を開く最初の予兆であった。
 しかし、カラカウア自身の野望は、アメリカへの併合ではなく、ハワイを拠点にポリネシアを広く支配する「ポリネシア帝国」を建設することにあった。そのため、彼は農業を支える外国人移民を促進すべく、世界旅行を挙行し、その過程で、明治維新直後の日本を初めて公式訪問した外国元首となった。
 ちなみに、日本側の辞退で実現しなかったものの、カラカウア王は自身の姪と日本の皇族との政略婚を持ちかけており、日本皇室との縁戚関係を築いて、新興の近代日本とも連携するような構想を抱いていたと考えられる。
 一方、アメリカ側では自国農業にとっては不利な互恵条約を更新するに当たって、真珠湾の独占使用権の保障という取引を持ちかけた。ハワイにおける基幹港湾の独占使用はアメリカへの従属を促進する危険があり、カラカウア王は難色を示すも、条約更新のためのやむを得ない代償として、期限付きながらこれを受け入れた。
 この間、ハワイ国内では製糖利権を持つアメリカ白人層の支配力を低下させかねないカラカウア王の移民促進策に不満が高まっていた。また、彼のポリネシア帝国構想も白人層にとっては障害となりかねないハワイアン・ナショナリズムの企てであった。
 こうした危機感を背景に、白人支配層を中心とする政治結社「ハワイアン連盟」が結成される。いかにも土着ハワイ人の結社をイメージさせる名称のこの団体の実態は、1840年にアメリカ人宣教師の子孫が結成した「改革党」の流れを組む白人系政治結社であった。
 「ハワイアン連盟」は同時に、白人自警団組織の「ホノルル・ライフル隊」と連携し、実質的な新憲法の制定となる憲法改正を要求した。こうした武力を背景とする突き上げに直面したカラカウア王は譲歩を余儀なくされ、1887年、新憲法を発布する。
 その制定経緯から「銃剣憲法」の異名を取る新憲法は、当然にも白人既得権益層にとって有利な内容であり、王権を制限し、政府権限を強化する立憲君主制の外形を備えつつ、収入資産による制限選挙制度を導入し、結果として先住民系ハワイ人の選挙権を否認するという民族差別的なものであった。
 カラカウア王はこの憲法に否定的であり、これを廃案にしようと画策するが、1891年、滞在先のアメリカで死去してしまうのである。後継者として、妹のリリウオカラニ女王が即位した。彼女もまた「銃剣憲法」には反対であり、白人既得権益層との対決姿勢を強めた。
 ここまでの展開は、白人既得権益層と王室を中心とする先住ハワイ人勢力の対立状況とみなすこともできるが、これが憲法闘争を越えて、前者の決起による王政廃止の共和革命へと急進展するに当たっては、政治経済上の急激な情勢変化があった。

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